紅葉畑の紅梟

*

 練習、練習、練習。

 毎日あるのは練習だけだった。気持ちが高まれば高まるほど、心身に蓄積する疲労もまた、大きくなる。

 家に帰ると泥のように眠り、起きたらすぐに学校に来る。底なし体力オバケの木兎さんですら、時偶疲れの色を見せる。

 と、思っていたのに。
 この顔は、疲れじゃない。な、んだ?この微妙な顔。初めて見る。


「……ちょっと木兎さん、その顔やめてください。トス上げにくすぎ」


 ある日の練習後、自主練中のことだ。
 汗を首襟で拭って告げると、途端に周囲の目の色が変わった。本当にこの手の話題、好きなんだな。思わず溜め息が出る。


「なに? 木兎、失恋? 失恋か?!」
「ちげーし! 全然失恋じゃないし! まだまだだし!」
「誰? なあ誰? 俺らの学年?」
「だからちげーって!」
 
(……今日の練習はここまでか)


 奇しくも時間も丁度いい。これ以上はオーバーワークだ。騒ぎまくる一群を横目に、俺は球をボールカゴに放った。





「なー、赤葦」


 そんなほとぼりが漸く冷めた帰り道。
 心なしかとぼとぼ歩く木兎さんが、遠くに浮かぶ月に目を細め、呟いた。

 もう十一月だ。朝晩はだいぶ冷えるようになった。最近の木兎さんはマフラーをしていない。お気に入りだった、あたたかそうな。


「? はい」
「日本語しゃべってくんない子とは、どう会話したらいーんだ?」
「……? ジェスチャーとかでいいんじゃないですか。木兎さん、よくやってるでしょ」


 木兎さんは、そういう種族だ。
 言葉よりも上手く伝える術を持っている。日本語が幾ばかりか不自由ともいうけれど。


「それじゃだめなんだよ。なんか違えの」
「違う?」
「日本語なのに日本語じゃねえの! でも分かりたいの! もう、どうしたらいいか分かんねえんだよ」
「……はあ?」


 詮方なく余白を補って察するに、木兎さんには難易度の高かった日本語を理解しようとしている、のだろうか。

 へえ、木兎さんが。日本語を。

 …──木兎さんが(?!)

 隠しきれなかった疑問符片手に、思わず二度見をした。しかし彼の表情は至って真剣だ。

 木兎さんをこんな気持ちにさせる。
 その想いを知りたいと切望させる。


「あの女性ひとですか」
「そ、名前ちゃんってーの」
「やはり撮るひとでしたか?」
「ん、……まだ見せてはくんねーけどな」


 まだ、か。

 先程も言っていた。まだまだだと。木兎さんは探しているのだ。自分の中に、彼女と分け合える部分を。

 でも、なんとも木兎さんらしくもない。


「木兎さんは、──囚われすぎなのでは?」
「なにに?」
「言葉に」


 言葉は、ややもすると最も伝わらないものとなり得る。全く本当に、木兎さんらしくもない。


「木兎さんは、本能で動くから木兎さんなんじゃないスか。頭使うの、似合いませんよ」
「言いたい放題! もちっと優しく!」
「……そのまま、隣りにいればいいのに。分け合うんじゃなくて、埋め合えばいい」


 隙間を。それぞれの世界で。

 きっとそれで大丈夫だ。
 木兎さんなら、大丈夫。


「赤葦お前、……結構恥ずかしいこと言えんのな」
「うるさいです黙ってください」

 
 やっと笑顔を見せた木兎さん。しかしもう一度顔が曇る。ああ、この問題ばかりは解決できない。大会は間近なのだ。


「でも疲れて朝起きれなくて、モヤモヤしてたのもあったし、最近ちっとも行けてねえの」
「…………」
「会いてえなー」


 哀しげに揺れた木兎さんの声が、夜道に小さく消えてゆく。彼のこんな声を聞いたのは、初めてだった。

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