はんぶんこした世界のなかで
「どうしたものかなあ……」
ベッドに寝転がっている、浅緋の浴衣。と、その他もろもろの小道具。それを見下ろして、わたしはひとり、自室で頭を悩ませていた。
勢いで買ったはいいものの、夏祭りは一週間後。それまでに、どうこうできるものだろうか。顔すらも知らない、おそらく【彼】と。
知っているのは、ほんの僅か。
彼──便宜上、男性と断定してこう呼ばせてもらうけれど──が同じ圏内に存在しているということ。
細々とした、申しわけ程度のブログ。そこにぽつんと書き込みをしてくれるということ。その言葉が、わたしをとてつもなく惹きつける【なにか】を放っているということ。
惹きつけられるというより、ひっぱられるという感じ。
惹っぱられる。
こう書いてしまいたいくらいに。
ベッドに向かって嘆息して、机に向かう。
ウイィー…ン。PCが立ち上がる音が、夏の夜、カーテンをそよがせる温い空気の中に響く。
あの日、自身のブログに書き込んだあの言葉。
【はんぶんこにした世界】
答えを探すつもりでパソコンに向かったはずであったけれど、結局検索ボタンを押すことができなくて、検索してしまうのはどこか違う気がして。ひとりごとのつもりで書きこんだ。
それに反応してくれたのが、──彼だった。
・初めまして。自分なら【画面のこっち側と、そっち側】で分けます。
匿名
・はじめまして、ご意見ありがとうございます。【こっちとそっち】、ですか。なんだか切ない分け方ですね。でも、……それだと、実際に分けられないのではないでしょうか?
管理人
・【画面】の者です。分けられないとは、どういうことでしょう?
匿名
つら、つらり。
最初のひとつで終わってもなんら問題のなかった会話だった。
だけど不思議と、つらつらと。
わたしたちのそれは止めどなく。ゆっくりと、しかし確実に連なっていった。
・わたしからすればあなたは【画面のそちら側】で、あなたからすればわたしが【画面のそっち側】。つまり、どちらも存在している側は同じではないですか?
管理人
・……なるほど。しかしそこに【境界に立つもの】は存在しません。
匿名
・だって同じ側、ですもんね。
管理人
・ああ、そうか。これでは大前提が崩れてしまうんですね。世界を分かつはずが、結局、みんな同じ側になってしまう。
匿名
・……もしかして、そういうもの、なんでしょうか。
管理人
・そういうもの、とは?
匿名
・いくら分かとうとも、結局すべて、ひとつに集束するものなのではないか、ということです。ちょっと極論でしょうか。
管理人
・極論、でしょう。しかし、……面白い。そうなのかもしれません。
匿名
・でもこれも、前提を大無視したものになってしまいますけどね。
管理人
・分かつことなどできない、という答えもまた、乙だとは思いませんか。
匿名
とくん、と鼓動が跳ねた。
乙だなあ、と思ったまさに直後のことだったから。
・不思議です。あなたと意見は違うのに、交える言葉とその先に見る景色に、【近いもの】を感じます。
管理人
・それはきっと──見ている世界が近しい色だから。
匿名
『え?』
この言葉を見た瞬間、わたしは思わずひとりの部屋で、声を出していた。
(近しい色……)
なんて、響く言葉なんだろう。
教えて。教えてほしい。あなたのことを、あなたの考えてることを、もっと教えて。
・近しい色、とは……?
管理人
・そのまま、の意味です。きっとあなたにも、分かるはず。
匿名
わからない。ちんぷんかんぷんだ。
教えて。ちゃんと教えてほしいの。
・申し訳ありません……よく、理解できません。なにかヒントでもいただけませんか?
管理人
・あなたの、プロフィール。【東京都】というのは、本当ですか? それならば明日の二十三時、空を見て下さい。そうしてぴったり十分後、空と星の色をここに。
匿名
(んんん……?)
なにがなんだかさっぱりだった。
禅問答か。禅問答なのか。もしや【画面のそっち側】のお相手は、その道のお方なのだろうか。
だけど、惹っぱられた。
否、という選択肢など存在しなかった。
部屋の灯りを消し、カラカラ、窓を最大限開け放ってみた。【その日の今】は、22:56。あと、二十四時間と四分。と、そのさらに十分後。
わたしは彼の言葉の意味を知った。
*
『う、わあ……! 流星群だ……!』
言葉にならなかった。
ほんとに、言葉にならなかった。
この地球上にこんなにも美しい光景が存在するのかと、自分の目を疑ったほどだった。
空に近い、マンションのてっぺん付近の部屋だからだろうか。こんなに人工光で溢れる東京都ですら、こんなにも美しい。
約束の23:10。星降る夜の、画面越し。
・ミッドナイトブルー。降り注ぐ一瞬。
管理人
・降り注ぐ瞬きの、ミッドナイトブルー。
匿名
(こういう、こと……)
ほぼ同時に画面に出現した文字。
わたしは無意識に、画面の上からその文字に触れた。
・ほら、ね。言ったでしょう。
匿名
・すごい、ほんとうに、すごい。こんなことってあります?
管理人
・あったでしょう? 言っておきますけど、俺、怪しいことはしてませんよ。
匿名
初めて【あなた】が垣間見えた瞬間だった。自身を俺と称したのだ。自分を俺と呼ぶ女性、という可能性ももちろんあるのだけれど、でも、それよりも。
嬉しかった。
少しでもその、存在に近づけた気がして。
そんな奇跡みたいな日々を連ねて、わたしたちは少しずつ、お互いに向かって歩いていた。
・ねえ、今日の虹、見ましたか?
管理人
・青が一番綺麗だった。でもあなたが気に入ったのは──赤、でしょう。
匿名
・わあ、ご名答!
管理人
嘘みたいな日々だった。
心地よかった。このままでもよかった。このまま彼と、ずっとこうして日々を重ねても。
それでも、よかったのに──…