坂を転がるピアスみたいに

*

 リエーフは歩いていた。
 休日の昼下がり。近所のコンビニにスナック菓子でも買いに行くつもりだった。ついでに姉に頼まれた飲み物と雑誌も。

 家からコンビニに行く途中、左手に坂道がある。そこそこの距離と角度を持っていて、自転車が猛スピードで下りてきたりするから結構危ない。

 通りがけにその坂道をふと見上げると、肩に大きなトートバッグを提げた女性が歩いていた。

 凛。
 ふわ。 

 出で立ちが綺麗な人だな、と思った。

 思って、その刹那。ピュウと上った風が彼女のスカートを揺らす。お、と心の中で期待の声が漏れた。

 致し方なし。

 これは、男の子の性である。

 捲れるか、捲れないか。
 見えるか、見えないか。

 見てはいけないとわかっているのに目を背けられず、なんなら少し期待なんかもしてしまう。階段で上にいる女子のスカートの裾を無意識に追ってしまうのと同じである。

 一瞬でリエーフの準備──何の準備かはわからないけれど──は整った。さあ、あとは風がスカートを捲ってくれるのを待つだけです、といったところで、しかし彼女が慌ててスカートを抑えるほうが幾らか早かった。

 
「ああー……」


 隠すことなく落胆の声を落としたのも束の間、次の瞬間には彼女からも転がり落ちてくるものがあった。

 赤くて。丸いもの。

 スカートを抑えようと少し前屈みになった弾みで、彼女のバッグから小振りな赤い玉が坂を転がってくる。

 それが林檎だと理解するより前に、リエーフの身体は林檎を拾おうと反射的に動き出していた。

 一個、二個、さんこ……
 よん、ご、あたりになって、随分転がってくるなと思い彼女へ視線を移す。

 移して、リエーフは目を丸くした。

 転がりだした林檎を拾おうと、彼女が屈む。そのたびに林檎が落ちる。それをまた拾おうとする。また落ちる。その合間合間には、「わ、まってまって」と暢気な声。

 そんな間の抜けた姿に、リエーフは思わず声をかけた。


「ちょっオネーサン! 俺が拾うからもう屈まないで!」
「えっ?」
「あっ! ほらまた! 動かないで!」


 あっちへころころ。
 こっちへころころ。

 着ていたシャツの裾を広げて、拾った林檎をそこに乗せていく。すべてを拾い終えた頃には、リエーフの腕の中は甘酸っぱい香りでいっぱいになっていた。


「ふう、これで全部スね」
「ありがとう、お兄さん」


 近くで見ると、一段と美しい。そして笑顔がめちゃくちゃ可愛い。その笑顔のせいか、腕いっぱいの芳香のせいか。なんだかくらくらする。

 くらくら。

 頭の奥が、くらくらする。

 なかなか林檎を手放そうとしないリエーフを不思議に思ったのか、彼女は「あの?」と控えめに口にした。


「はっ! いえ何でも! 何でもないデス!」

 
 慌てて取り繕って、彼女のバッグに林檎を戻していく。最後の一個を戻しかけて、リエーフは再度「はっ!」となった。いや言った。

 このまま林檎を全て渡してしまったら、彼女とはそれまでの関係だ。だってリエーフはくらくらしていたのだ。このまま終わらせたくなんてない。咄嗟にそう思った。


「いややっぱ何でもあります!」
「え?」
「え〜〜〜っと、あっ、ほら林檎! 重いでしょ? 俺運びます!」
「えっ?」


 なんだかナンパっぽい。
 いや、ぽいじゃなくてナンパなのか。わからない。ナンパなんてしたことなかったし。

 でも、と些か警戒する素振りを見せられて、リエーフは焦る。「別に怪しい者じゃないんで! ね!」だなんて、今時小学生でも信じないような言葉しか出てこなかった。

 必死さが可笑しかったのかくすくす肩を揺らした彼女は、「じゃあお願いします。ほんとうは重たくて困ってたの」と言ってくれた。





 リエーフがきた道を戻る形で彼女の隣を歩き始めたが、往路とはまるで景色が違って見える。

 そこかしこが、キラキラ眩しい。


「……眩し」
「? そう?」
「あ、太陽がじゃなくって」
「?? そう?」


 変なの、と笑ったその顔。

 ああ、可愛い。反則だ。
 自分の頬がポッ、となるのがわかる。


「ね、お兄さんお名前は? 聞いてもいい?」
「リエーフです!」
「りえーふくん」

 彼女は慣れない音を確認するように繰り返した。

「リエーフ。片仮名で」
「ああ、リエーフ、なんだね」


 彼女から出る「リエーフ」が、急に実態を持った。聞き慣れた自分の名なのに、心臓がどくんと打つ。

 この得も言われぬ動悸に、リエーフは【ひとめぼれ】と名前をつけた。しっくりくる。こういう時に使う言葉だったのか、と。

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