坂を転がるピアスみたいに
「オネーサン、林檎、いっぱいですね」
「名前です。アップルパイ作ろうとして……買いすぎちゃった。まさか詰め放題セールやってるなんて」
「……名前さん、っていうんですか」
「うん」
「素敵な名前スね!」
「ふふ、ありがとう」
何の変哲もない会話にこころが踊る。
もっと。もっと。
たくさん聞いてみたいことがあった。ので、本能に忠実にあれやこれやと話しかけていると、そのうち、名前の耳に揺れるピアスに目が留まった。
「そのピアス、綺麗ですね」
「あ、これ? 綺麗だよね」
つん、指先で触れられたピアスが煌めいた。独特の色合い。その宝石の名前を、リエーフは知らなかった。
「……それ、誰のですか?」
名前は一瞬、きょとんと目を丸くして。「あら」、と困ったふうに笑った。
「なんでわかったの?」
「えっ、と、なんか言い方が他人事っぽい気がして。それに名前さんの物じゃないみたいに触るから」
「そう……だった? ていうかそれだけで? 鋭いなあ」
「貰いもの? ですか?」
「内緒です」
「えっなんで」
「ふふ、なんでも」
穏やかな口調の中に有無を言わさぬ拒否を見て、リエーフは口を噤んだ。多分こういうところが、自分の悪いところだ。よく言われる。デリカシーがうんちゃらかんちゃら。
それが誰かを知らず傷つけていたりすることを。リエーフはまだ、身を持って知らない。大切なひとを、それで失ったことがないからだ。
謝っても戻らない。
償っても償いきれない。
そんな経験がないから。
「じゃあ、じゃあ、名前さん」
「ん?」
「彼氏はいるんですか!」
ぱちぱち。
ひと呼吸おいて、またぱちぱち。
瞬きを繰り返して、名前は「……なんで?」と首を傾げた。
「なんでって、だって俺、一目惚れしました。名前さんに」
「……へ、」
「へ、じゃなくて、一目惚れです」
「や、そうじゃなくって……その、わたしに?」
「はい!」
この時の、名前の表情を。
どう形容したらいいのか、リエーフは今でもわからない。
嬉しいようで。
哀しいようで。
迷っているようで。
無になったようで。
「……わたしは、やめたほうがいいよ」
ヒュ、と風が言葉にかぶって上手く聞き取れなかった。
「? すいません、よく聞こえな──」
「ううん。ね、わたしのこと何も知らないのに? 好きなの?」
「??? だってそういうものじゃないんですか? 一目惚れって。よくわかんないけどこの人だ! みたいな」
「みたいな」
「一目惚れなんて初めてだからホントによくわかんないっスけど! ハハ!」
名前はぽかんとして、少し口まで開いてしまったりなんかして。案外いろんな表情をする人なんだなあ、なんて呑気なことを思った。
「……ぷ、あはは、すごい。すごい真っ直ぐ」
「ありがとうございます!(?)」
「……ちょっと、羨ましいな。その真っ直ぐさ」
「……、名前さん?」
なんだか名前が泣いているような気がして、顔を覗き込んだ。
「わっ、近」
「あ、泣いてなかった」
「泣いてなんかないよ。……もう、なんでそんなに鋭いの」
「??」
すっと背筋を伸ばした名前に真っ直ぐに見上げられて、リエーフは喉をこくりと鳴らした。さっきの質問の答えが来る、と身構える。
「彼氏は、いません」
「よかっ──」
「でも、すきなひとはいる」
「エ゙ッ」
肩に掛けていたトートバッグごと林檎を落としそうになった。
彼氏がいたなら、そこまでだ。くらいは考えていた。だから聞いた。
しかし好きな人、ときた。
こういう場合はどうしたらいいのだろう。好きな人か。それはつまり、片想いというやつで間違いないだろうか。
「え〜〜〜っと、それってつまり、俺にもチャンスがあるってことですよね! ラッキー!」
「ら、ラッキー?」
「だってそうでしょ」
「……すごい、こんな前向きな子はじめて会った、ふふ、おかしい」
「可笑しくなんてないです、超マジ。というワケで名前さん」
「はい」
「連絡先教えてください!」
「ふふ」
「ね! いいでしょ?」
この時の名前はいったいどんな気持ちだったのだろう。つまり──なぜ連絡先を教えてくれたのだろう。
リエーフは今でも不思議に思う。