人間みたいな音がする
街中が浮き足だっているようだった。
可愛らしいラッピングの小箱。ショーケースに宝石のように並ぶチョコレート。どこからか漂う甘い香り。
そんなある日の放課後のこと。
わたしは、週末に作った試作品のカップケーキを教室で友達に毒味してもらっていた。
「どう? ちょっと甘すぎるかな? おじいちゃんたちでもおいしく食べれる? せっかくだから、お料理もちょっと凝ったものにしようと思うんだけど」
「めちゃくちゃ美味しい! マジであたしが嫁にもらいたいわ……って、そうじゃなくて、名前はこんな主婦みたいなことしてていいの?」
「え? だって楽しいし……」
「だからそうじゃなくって、なんかあげないの?」
「へ、誰に?」
おばあちゃんとおじいちゃんには、本格的な寒さがやってくる前に膝掛けと帽子をプレゼントできた。帽子のぽんぽんは、二口くんが作ってくれた最高傑作をつけて。
喜んでくれたふたりの顔が、今でもわたしをぽかぽかにしてくれる。「よかったじゃん」と笑ってくれた二口くんの顔が、まだ頭から離れない。
プレゼントできたことは、友達にも話している。だから、別の誰かのことを指しているのだとは思うのだけれど。
首を傾げるわたしに、友達は「何言ってるのこの子」みたいな顔をした。
「誰って、二口に決まってるでしょ」
「え゛っ?!」
ひっくり返りそうになった。
ガタガタと椅子が音を立てる。指先で摘まんでいたケーキの欠片が落ちそうになって、「危ない! もったいない!」と友達がすかさず取り上げた。
そのままわたしの食べかけを自分の口に入れて、「バレバレですよ、奥さん」だなんて、したり顔だ。唇の端にちょっとチョコレートがついている。
「嫁だったり奥さんだったり、わたしも大変だなあ」
「大変だなあ、じゃないよ、もう。暢気だなあ」
友達には、まだ話せていなかった。彼のことを。彼に対して抱いている思慕を。
言葉にしてしまうと、本物になってしまう。
それがなんだか、──怖かったのだ。
「……ね、わたし、そんなにわかりやすかった?」
「うん」
「うわあ……やだ、恥ずかしい」
彼には気づかれていないだろうか。
伝わってしまっていないだろうか。
離れていってしまわないだろうか。
「ほんとはね、渡したいの。でも、」
一歩が踏み出せない。
今の関係がなくなってしまうかもしれないと考えると。おはようも、頑張ってねも、昨日見たテレビの話も、朝ごはんの話も、バレーの話も。
これまで普通であったことが、普通でなくなってしまうかもしれない。毎日必ずわたしの前に座っていた彼が、いなくなってしまうかもしれない。
日常が、実はいつまでも日常ではないのだと気づかされることが、どれほどの喪失感を伴うか。想像するだけで胸が苦しくなる。
でも、でも、考える度に。
「ふえ、やっぱり渡したい」
「うんうん、そうだよね」
ずびずびと情けなく泣いてしまったわたしを、「ほら、これでも食べて。美味しくて元気でるよ」と慰めてくれる。
手渡されたのが、わたしが作ったカップケーキだと気づいて、笑ってしまったのは言うまでもない。
わたしが落ち着いて、一息ついた頃。
ぐぐーっと伸びをした友達が問うた。
「そろそろ帰る?」
「あ……実は今日もね、編みかけの持ってきてるの。ちょっとだけ編んでから帰ろうかな」
「そっか、わかった。気をつけて帰るんだよ。何かあったらいつでも言ってね」
「本当にありがとう」
バレンタイン、友達にはおいしいお菓子をプレゼントしようと誓って、背中を見送る。