あんな奴忘れなよ。
昔からの知り合いは口を揃えて皆言う。もうあの頃の彼はいないんだから、と。それでも健気に見守る女性の姿を私は心でひっそり羨む。
私には彼を想い続けることは出来なかった。
かつては好き合って、健気な彼女に嫉妬の念を向けられながら、仲良く交際していたのに。それでも、離れた時間が長くなる程、彼が落ちた闇が深くなる程、あんなに抱いていた愛おしさが波が引くように影を潜めていった。傷付いて帰ってくる同郷の忍を見るたび悲しくなった。その頃の塩らしささえ、もう遠い記憶に残るだけだ。彼が引き起こした大戦で恋人が殉職してからは憎悪の念さえ抱いた。
何度も連れ戻そうとぶつかって、正面切って闘って、命を削って迎えに行く彼の親友と、それを見守る健気な彼女。その3人の均衡を保つ大きく優しい影。それが今の彼の全てで、私はそこにはいない。
傷付いた里がほっとひと息をついた頃、彼の罪は見逃されたのか、何年か越しに里内に彼の気配を感じた。噂ではここには留まらず旅に出るらしい。
「名前。」
想像していたよりも低く落ち着いた声だった。振り向こうとする足が震える。
「すまなかった。」
振り向きもしない私に掛けられた言葉に、心の奥にしまっていたキラキラした思い出が溢れ出てきた。大事に大事にしまい込んだそれは、もう何年も思い出しすらしなかった。
「聞いたかもしれないが、これから旅に出る。」
一歩一歩こちらに歩み寄ってくる足音が聞こえる。旅立つ前に挨拶に来てくれたのか。私のことを覚えていた事実に素直に驚いた。音も立てずに涙が頬を伝う。
「お前にも、たくさん迷惑かけた。」
恋人を亡くしたことを聞いたのか、昔私を置いて里抜けしたことを思い出したのか、彼はそう言った。優しく肩に手を置き彼の方を振り向かされる。随分高い位置にある顔を見上げた。背が高くなって、髪が伸びて、男の人になっていた。
「ずっと、謝らなければ、と思ってた。許してくれとは言わない。ただ、俺に出来ることがあれば、」
聞き終わる前に手が動いていた。乾いた音がして右手の手のひらがジンジンと痛む。避けようと思えばできたのに、彼は避けなかった。叩かれた左頬が赤くなる。衝撃で目線が外れていたのに、もう一度私の方を向き直され目が合った。涙が止まらなかった。私は彼の贖罪の対象に入っていたようだ。
「許さない。」
いつも自信満々だった彼の目が寂しそうに揺れる。もう一度、許さない、と戯言のように呟く。
「サスケが幸せになるまで、絶対許さないから。」
震えた声で睨みつけ最後まで言い切ると、どこに溜まっていたのかと思わされるほど涙が溢れる。遅れて自分の発した声が耳に届く。目の前の彼が驚いたように目を見開いている。私も驚いていた。気まずさと可笑しさで涙を流したまま微笑みかけると、つられて目の前の顔も微笑む。綺麗な笑顔だった。
「ありがとう。」
私は、絶対許さない、と言ったのに、彼は嬉しそうに安心したようにそう言った。大きな手で優しく頭を撫でられ、なぜか目の前の逞しい胸に飛び込んだ。いつのまにか抜かされた身長も、すっぽりと私を覆うような広い肩も、ちらりと視界に入る長い髪も、大人な余裕さも、全部全部私の知らない彼だった。優しく宥めるように背中をぽんぽんと叩かれる。
あの頃の燃え上がるような愛おしさはないけれど、彼のこと憎んでも恨んでもいないことに気が付いた。ふと懐かしい、私の知っている彼の匂いに包まれ、ひどく安心する。涙は止まっていた。
なんだ、私、彼のこと、とっくに許してたのか。