02

「もう一回!」

約束通りたまの休みに家に呼んで将棋を指していると、泣きの一回を強請られた。俺に勝てた事はないのに誘ってくるのが不思議なくらいだ。

「今からまた8時間するつもりかよ。」

すっかり暗くなった外を見て溜息をつくと目の前の奴が明らかに不貞腐れた。今回は結構いい所まで行ったのに、と悔しそうに呟いている。今回どころか親父以外で此処まで長丁場の対局をした事がある人はいないけど、悔しいからそれは言わないでおいた。

「名前ちゃん、折角だしご飯食べてく?」
「あ、いえ、そろそろお暇します。遅くまでお邪魔してすみませんでした。」

お袋に丁重に頭を下げるとそそくさと将棋盤と駒を片付け始めた。いつの間に覚えたのか、俺がいつも片付けるやり方だ。お邪魔しました、と頭を下げて玄関へ向かう其奴にお袋が手を振る。ドアが閉まった瞬間、顎で送っていけと指示された。重い腰をあげる。

「送ってく。」
「大丈夫。帰り道結構明るいから。」

そういう問題じゃないだろ、と心の中でツッコミを入れ自分も靴を履いた。申し訳なさそうに眉を下げた彼女は何も言わずに歩き出した。

「意外と紳士だよね。」
「教育の賜物だな。」
「そっか、シカクさんとびきり紳士だったもんな。」

俺の事は奈良と呼ぶ癖に親父の事は名前の方で呼んで懐かしそうに笑った。親父が紳士だと思う程関わりがあったのだろうか。昔同じように家に来た時は彼女の兄が迎えに来ていたけど、大戦で殉職したと聞いた。そんなに交友関係が広そうではないから、俺でもいいから昔から知る人と会いたかったのかもしれない。そういえば、とふと職場で聞いた噂を思い出した。あまり好ましくないその内容と唐突に俺を誘った行動を照らし合わせる。コイツなりに凹んでいたのかもしれない。

「戦術班の班長に突っ掛かったんだって?」
「知ってたんだ?」
「『1から10まで説明しないと分かんないの?面倒くさいったらありゃしない!』って暴言吐いた事だけな。」
「つまり全容ですね。」

思わず笑ってしまった。ソツないように見えてそういう訳でもないらしい。自分で考えた事を説明している時に噛み砕いてるつもりがいちいち質問されて苛立ったというのだ。

「奈良はどうやってるの?IQが20違ったら話するのも大変っていうじゃない。」
「あ?お前何十年ってそれでやってんだろ。そろそろ慣れろよ。」
「そうだけど。ってかまだ二十代だけど。」

しっかりとツッコミながら不服そうにそう言った。相当堪えているようだ。

「私とだってIQ20は違うでしょ?やっぱり同じように思う事ある?」
「どうだろうな。考えた事なかったけど。」
「私は自分のスピードで話せるの奈良だけだから好きだよ。」

でも普段はなかなかそうはいかないでしょ、と嘲笑するように言った。その前に自分と話すのが好きだと言ったのが自分の事を好きだと言われたようで胸が高鳴った。

「まぁ、たまに愚痴くらいは聞いてやるよ。」
「…優しいと調子狂う。」
「面倒くせぇな。」

IQの問題というよりそうやって負けず嫌いなのが悪いように出てるんだと思うけどな、とそっと思う。ちょうど彼女の家に着いてお礼を言われた。建物に入って行くのを見送って今来た道を歩く。まどろっこしい言い回しで彼女が言った言葉を浮かべる。そういえば将棋を指しながら楽しそうにあれこれ話していた、か。彼女が俺と話す時は前提が分かってると踏んで三段跳びで進めてくる。あれが彼女のいう自分のスピードなんだろう。確かにあれで話そうとすると相手を選ぶだろうなと苦笑した。彼女の戦略がトリッキーだと言われるのも納得だ。ロジックを繋ぐ際にワンステップ捻りが入る。そのクセを知らないと「なんて脈略のない」と言われかねない。それが戦術という分野では武器になるのがせめてもの救いだろう。もっとストレートに考えれるようになれば楽なのに、と憐れむ。でも捻くれているからこそ彼女と話すのが刺激になるのは事実だ。はぁと溜息を吐いた。しょうがねぇな。あんな捻くれ者、俺ぐらいじゃないと理解してやれないだろ。真っ暗な夜空で小さく輝く星々を見上げた。