15

忍者隊で働くことに疑問を感じ、そうして逃げてきた。追っ手はどこまでもやってきて逃げるのは一筋縄ではいかない。深手を負わされたが何とか逃げ切り納屋を見つけて隠れていれば美しい女がやってきて、一瞬夢かと思った。
自分を負う新しい追っ手かと思ったが暗がりの中でも見えるその姿は筋力はなく、訓練を受けていない様子がすぐにわかる。暗闇の中で手さぐりで移動する彼女は、明らかに刺客ではないだろう。だからと言って油断はできない。

警戒を怠らずに女の挙動を見逃さないように見つめる。しかし女が自らの服の一部を破ってまで治療を行おうとする姿に、追い詰められて、だれにも頼れずにいた私は少なからず動揺し、心が揺り動かされてしまった。おそらく本当に何も知らない迷い人なのだろう。自分がいれば巻き込まれると思い出て行こうとするが彼女は私を引き留めた。

女は口が利けないようで私の手に文字を書いて言葉を伝えてくる。文字が書けるということは教育を受ける環境にいたのだろう。だが貴族というには粗末なみすぼらしい姿だ。品がないわけではなく所作は美しい。中流階級の女性、あるいは没落した令嬢か、と考えた。

なぜ女が一人で夜に山に来たのかはわからないが理由を追求する気はない。深く関わればどちらにとってもいいことにはならないだろう。私は明日の朝になればこの場所を発とうと思う。そうして眠りについた後目が覚めれば……私は女に抱きしめられながら眠っていた。









「う、 おわああぁああっ…………っ!」


自分でも驚くくらい大きな声が出た。


女が自分を抱きしめながら寝た様子やどこかぼんやりとしている様子に対して大丈夫なのか、と思わず心配してしまう。何も言わずこの場所を去るつもりだったのに予定が狂った……まあいい、適当に別れよう。名前を教えてほしいと言われたが名前を名乗る気はなかった。私の名前はあまりよくない意味で広まっている。どこでだれが聞くともわからぬのに、出会ったばかりの女に名乗れるはずもない。女は自らの名前を名乗る。"聞き覚えのない"名前だ。あまりにしつこく私の名前を聞いてくるのでそんなつもりもないのに名乗ってしまった。この女にはなぜか調子を狂わされる。
先ほどまでニコニコとしていたのに、名前を名乗った途端にしゅん、と明らかに落胆したような顔をする。おい。どうしてどんな顔をするんだ。……ああ、調子が狂う。

彼女はどうやら旅をしているらしい。私は探るように問いかけた。どうして一人で旅をしているのか。どこか不安げに見えるその姿に、何か引っかかるものがあった。女性だけでこの時代に旅をするのは危険が多すぎる。普通はまず試みようとしないだろう。

彼女はしばらく黙ってから、手を伸ばしてきて、私の手のひらに字を書いてゆっくりと答える。

「命の恩人に、また会いたいから」

彼女の言葉は、どこか切ない響きを持っていた。

「生き別れてしまったの」と語る彼女に、私はふと過去を思い出していた。自分がまだ忍者隊に入る前、幼かった頃のことを。


昔、両親と臣下がそばにいて、未来が明るいものだと信じて過ごしていたあの日々。楽しい日々を送っていた。毎日が笑顔であふれて、無邪気に過ごしていた。その頃は、血塗られた任務など知らなかった。どこで何が変わったのだろう。いつからあの笑顔が遠いものとなり、血にまみれた任務ばかりをこなす日々が続くようになったのだろう。

手に染みついた血の匂いは、きっともう落ちることはないだろうな、とぼんやりと思う。どれだけ洗っても、きっと消えない。思わず己の手のひらを見つめる。

目の前の彼女を見ていると、彼女がとても平凡で、汚れを知らない無垢な存在に見えた。目の奥には何もかもを信じているような、澄んだ瞳が光っている。その瞳があまりにも真っすぐで、まっすぐに顔を見ることができなかった。



彼女の目があまりにも清らかで、無垢で、まるで自分が触れてはいけないもののように思えたからだ。


生きている世界が、きっと違う。思い出など、もう捨ててしまった。汚れてしまった今の自分が、美しい過去に縋ってしまったら、それがさらに汚れてしまうような気がしたから。過去に戻ることはできない、もう戻ってはいけない。そう自分に言い聞かせてきたのだ。それなのに、なぜかこの女は忘れたくて、忘れたくない思い出を。しまい込んでしまったそれを掘り起こすかのように思い出させてくる。この女は危険だ。おそらく近づいてはいけない。私が、壊れてしまう気がする。



彼女とはそのまま別れようと思って、出て行こうとすると、まあまあ朝ごはんでもというように悠長に食事の準備を始めようとするので思わず後ろに倒れてしまいそうになった。お気楽な女だ。明らかに手負いの訳アリの男に対して何の疑問もなく治療を行い、無防備な姿をさらし、朝餉まで……ちょっとでも追っ手ではないかと疑った自分が情けない。勘が鈍ったか。

それでも長らく触れていなかった、日常のような体現の女にやはり、どこか居心地の悪さを感じる。準備をしている女に構わずやはりもうここを出よう。おかしくなりそうだ。

出て行こうとする私を見上げた女はどこに行くのかと言いたげな目をしている。
私は振り払うように歩き出そうとすれば、女は私の服をつかみくいくいと引っ張って食べないのかと言いたげに見ている。


「私は追われている身であるため、いつまでも一緒にいることはできない」

「………………」

「本当は名も明かす気もなかった、お前みたいな女はきっと私と一緒に居ればすぐに殺されて死ぬ。……それが嫌ならもう私に関わらないことだ」


突き放してここまで言い切れば大丈夫だろうと歩き出す。それでも女が引き留めようとしてくるので驚いた。なぜそんなにも引き留めるのか。関わらないのが一番だと、そういっているのに。心の中で何度も「離れろ」と言い聞かせながら、女を突き放すようにして、走り出した。後ろに振り返ることなく、ただ前を見据え、早足で山道を進んだ。

だが、すぐにその音が耳に届いた。走る足音、そして何かが地面にぶつかる音。振り返った瞬間、彼女が思い切り転んで、地面に倒れ込んで転がっていく姿が見える。
ぎょっとして、その瞬間に心が揺れた。こんなところで、もし彼女が大怪我をしたらどうしよう。そんなことを考える暇もなく、私は反射的に彼女の元へ駆け寄っていた。そうして転がったまま彼女はすでに川に落ちていた。大きな怪我はないようだったが、浮かんでこない。心臓が一瞬止まったような気がした。もしものことを考えると、ぞっとしてしまう。迷っている暇などなかった。

私は躊躇うことなく、川に飛び込んだ。冷たい水に体を浸してすぐに彼女を掴む。手を伸ばし、なんとか彼女を川の岸へ引き寄せる。冷たさと重さに体が震えるが、助けなければならない。心臓が高鳴り、息が荒くなる中、なんとか二人して川から上がることができた。

岸に上がり、必死に起き上がる。水を吸った布は重く動きにくい。手負いであるため傷が痛むと少し呻いてしまう。その様子を見て彼女は心配そうに私のことを気にする。死にかけてたのはお前の方だろ。そういえば彼女はふ、とにっこりと笑った。その笑顔に、私は言葉を失った。

あまりにもきれいな、笑みだったからだ。



「ありがとう」そう言いたかったのか、それともただ笑っていたかったのか、彼女のその笑顔は、私の心の中に深く刻まれた。それがあまりにも無防備で、無邪気で、私を心のどこかで突き動かすような気がするのはなぜだ。胸がざわつく。なんだか落ち着かない。

この女はいけない。
私をいつか焼き尽くすだろう。


そんな予感がした。

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