「あ、やっと起きた。ねえちゃん、全然起きなかったから心配したよ」
「ごめんね……」
私はふらっと起き上がりながら、頭を押さえた。
「体調悪いの?」
「大丈夫だよ」
きり丸の心配そうな顔を見て、私は無理にでも笑顔を作った。まだ痛む頭を抱えながら、何も覚えていない夢のことを考えていたけれど、それもやがて消えていく。目を覚ますと、部屋の外からは涼しい秋風が吹き込んできていた。風が木々を揺らし、窓の外にはもう秋の気配が感じられる。夏の暑さが遠くなり、季節は着実に進んでいた。
「もう秋かあ」
きり丸がふと呟いた。外の景色を見ながら、少し寂しげに声を漏らす。秋になると山の色どりは最高潮を迎え、木々の葉は赤や黄色に染まり、豊かな実りが広がる。自然の恵みがあふれ、どこもかしこも美しい景色が広がる。
「そうだね、冬がすぐに来ちゃうから、がんばんなきゃ」
きり丸は少し前を見て呟くように言った。冬の厳しさが心に浮かんで、ふと、その先に待っている寒さを感じた気がする。
「きのこの種類を覚えるの大変だよなあ、まだわかんないや」
「たくさんあるものね。きのこはね、ほとんど決まった特徴で分かるんだよ。大きさや色、かたち、そして周りの環境。山の中で出会うきのこたちを、少しずつ覚えていくうちに、だんだん分かってくるよ」
「へぇ……姉ちゃん、自分のことはからきしなのに、昔から山のことに詳しいんだよなあ……なんで?」
きり丸は不思議そうに笑いながら私を見ている。私は少し照れくさくなりながらも、自然に教えられることを当たり前のように感じていた。
「私は……たぶん自然の中で生まれたんだよ」
「え?」
「だから自然が教えてくれたんだよ」
きり丸はしばらく黙ってから、ふっと笑いながら言った。
「変なのー」
私はその笑い声に、ちょっとだけ嬉しく感じながら、外の景色を見た。秋の風が吹き、もみじの葉が色づき始め、景色が一段と美しくなる季節だ。
きり丸が、もみじの葉を指差して言った。
「見て、俺の手くらいのもみじだ!手のひらと比べてみて」
私も手を広げ、もみじの葉を手のひらに重ねてみる。葉の大きさがまだ小さく、次第に大きくなるのが楽しみだ。姉ちゃんの手の大きさくらいのもみじもあるかなと紅葉を探してる。
私はきり丸の手と同じくらいの大きさのもみじを拾い、見つめながらしみじみとつぶやく。
「もっともっと大きくなるねえ、きり丸が大きくなるのを見るのが今から楽しみだね」
きり丸は目を輝かせながら、少し不安そうな顔をしながら、私を見上げる。
「ねえちゃん、俺と一緒にいてくれるの?」
「もちろんだよ」
私はしっかりと頷き、そのままきり丸に近づいて、優しく手を握った。きり丸は安心したように、ほっと息をつきながら、嬉しそうに私にすり寄ってきた。
「……もっとでかっくなったらもっと稼げるようになるぞー!そんでっ、そんで姉ちゃんと一緒に住む家を見つけるんだ!」
その言葉に、私は心の中で、どこか暖かな気持ちが広がっていくのを感じた。季節が変わり、すべてが変わりゆく中で、きり丸と一緒に過ごす時間は、何よりも大切に感じられる瞬間だった。
その小さな体が、私の側にぴったりと寄り添ってくる。その温かさに、秋の冷たい風がどこか遠く感じられた。
秋の空気が肌に心地よく、風が木々を揺らしながらそっと私たちを包んでいる。おばあさんの店を手伝っているうちに、私は次第にその場所が好きになり、自然とそこに馴染んでいった。おばあさんも、私の存在をあたたかく受け入れてくれるようになった。
ある日、おばあさんが突然、私に言った。
「これ、あんたにあげたいんだ」
手に取ったのは、古びた着物だった。繊細な柄が施されており、色は少し褪せているが、それでも見る者を惹きつける美しさがあった。おばあさんの手が、そっとそれを差し出してきた。
「これは、私の娘が昔着ていたものなんだ。身分違いの人と恋に落ちて、家を飛び出していったきり、もう帰ってこない」
おばあさんの声には、淡い悲しみと共に、深い思いが込められていた。娘がどれだけおばあさんにとって大切な存在だったのか、痛いほど伝わってきた。
「でも、これをあんたに渡したい。もう、誰も着る人がいないから……」
私は一瞬戸惑った。大切な娘のものを、私は受け取る資格があるのだろうか。
「でも、これは大事なものだから、私は……」
「いいんだよ」
おばあさんは静かに微笑んだ。
「あんたには、もう着る人がいないからこそ、もらってほしい。私には若すぎる柄だから、このまま置いておいてだめになってしまうより、あんたが着てくれればうれしいよ」
私の心の中で、迷いが少しずつ溶けていった。誰かのもとに何かが渡るには、必ず理由がある。おばあさんの目が、何かを語りかけてくるようで、私は深く頷いた。
「ありがとう、おばあさん」
着物を受け取り、そっと身にまとった。おばあさんは私を見つめながら、嬉しそうに微笑んだ。
「ほら、着てみて」
私は着物を整えながら、少し照れくさく思っていたが、その瞬間、何かが私の中で変わるような気がした。着物は、まるで私を包み込むように、優しく心地よく感じられた。おばあさんの目に、涙が滲んでいるのを見て、私は言葉を失った。おばあさんは、私を見つめながら、静かに泣き出した。
私は言葉にできず、ただおばあさんを抱きしめた。おばあさんはそのまま私に身を預け、肩を震わせながら、静かに泣き続けた。
おばあさんが誰かの名前を呼ぶ。その名前が、私の耳に深く響く。――――きっとその名前には、たくさんの物語と想いが込められているのだろう。私は何も言わず、ただおばあさんをしっかりと抱きしめ続けた。
どんなに悲しくても、どんなに辛くても、愛した人を忘れることはない。みんな、何かを追い求めている。その追い求める先には、きっと大切な人がいるからだろう。
私は、ただその思いを胸に抱きしめていた。
着物をもらって嬉しそうにその姿を見せると、きり丸は目を輝かせながら言った。
「似合ってるじゃん!」
その笑顔に、私は思わず胸が温かくなるのを感じた。素直に嬉しくて、少し照れくさかったけれど、きり丸が一緒に喜んでくれることが何よりも嬉しかった。
「ありがとう、きり丸」
その後、少し考えた。きり丸にも、何かお返しができたらいいなと思ったからだ。おばあさんのもとで働いたお金を使って、きり丸に新しい服を作ってあげることに決めた。布を買うところから始め、必要なものを揃えた。
おばあさんが時折アドバイスをくれながら、私も裁縫を始めることにした。初めての試みで上手くいかないこともあったけれど、きり丸のために何か作りたかった。その一心で布を寄せ集めながら、一つの服を作り上げることができた。完成した服は、寄せ集めの布地で少しよれよれかもしれない。でも、それでも心を込めて作ったものだ。私はきり丸に渡すためにその服を手に取り、少し緊張しながら彼に差し出した。
「きり丸、これ、あなたのために作ったんだ。気に入ってくれたらうれしいな」
きり丸は最初、驚いたような顔をしていたが、すぐに目を輝かせて、私の手から服を受け取った。
「え!?……ほんとに!?これ、…………俺の?」
「うん、君に似合うと思って」
きり丸は驚きながらも着物を何度も見て、そして嬉しそうに服を着てみると、すぐにその場でぐるりと回った。
「すごく似合ってるよ、きり丸!」
「ほんとに!?すっ……ごく嬉しい!」
きり丸は興奮気味に笑顔を見せ、満面の笑みで言った。
「一生俺この服着る!」
その言葉に、私は驚きながらも笑った。
「一生は無理だよ」
「それくらい嬉しいんだよ、ありがとう!ねえちゃん」
きり丸は、嬉しさを隠せない様子で私に飛びついてきて、ぎゅっと抱きしめてきた。私はそのまま、照れくさい気持ちと嬉しい気持ちが入り混じったまま、きり丸を抱き返した。お互いに笑い合いながら、その瞬間を楽しんでいた。きり丸は本当に嬉しそうで、私はその笑顔を見て、心から幸せな気持ちでいっぱいになった。
二人で穏やかな日々を過ごしていた。きり丸と共に過ごす時間は、どんなに小さな瞬間でも幸せで、どんな困難も乗り越えられる気がしていた。しかし、そんな平和な日々は突然、思いもよらぬ形で終わりを告げた。
ある日、城主の使いが訪れた。その使者は、私に見初められたことを告げ、金を渡す代わりに奉公に来るようにと申し出てきた。最初はその意味がわからず戸惑ったが、すぐに理解した。城主は私を気に入って、何かしらの理由で私を自分の手元に引き寄せようとしているのだ。
「城主に仕えれば、しばらくは楽な生活ができるかもしれない」
その言葉が、私の心に引っかかっていた。きり丸を置いていくことになってしまう。なんでも城主の評判はあまりにも悪く、戦が絶えないそうで危険な目に遭うことも考えられた。しかし、現実は厳しく、私はお金を稼ぎ続けなければならない。今日明日の賃金を稼ぐのに精いっぱいで、私一人じゃこの子を守ってあげられるほどのお金を稼ぐのは難しいだろう。
女性が一人でこの世界で生きていくことは難しいのだ。きり丸はまだ幼いのに、この子はずっとお金を心配している。子供がもっと安心できるように、大人である私ができることがあるならやらなくてはいけない。奉公に出る前にまとまったお金がもらえるならしばらくはあの子は生きていけるだろう。
私が奉公に出ようかと話をすると、きり丸は顔を青ざめ、私を強く止めた。
「絶対、行っちゃダメだ!」
その声には、私への深い愛と心配が込められていた。きり丸は私を危険に晒すつもりはなかったし、私が傷つくのを見たくなかった。彼が泣きながらそう言うのを見て、私は胸が痛んだ。
「でも、きり丸……」
「だって、奉公に出たら返ってこれなくなるじゃん!なんで!?ねえちゃんまで俺を置いていくの!?」
きり丸のその強い言葉に、私は少しだけ迷った。しかし、二人で働き続けないと生活が成り立たないことを考えると、きり丸が楽な生活を送るために、きり丸に負担をかけずに済むなら、少しの間でも城主に仕えることが必要だと思った。
「きり丸……」
私は深く息を吸い、彼に向き直った。
「私は絶対にまた帰ってくるよ。また会えるから。だから……行くね」
その瞬間、きり丸の顔が歪んだ。涙が頬を伝って流れる。
「やだ、そんなのやだよ!」
「きり丸……」
「絶対に行かないで!ひどい目にあわされるよ!!!!」
きり丸は涙を拭いもせず、私を必死に抱きしめようとした。しかし、私はその手をやんわりと振り払って、強い決意を込めて告げた。
「私は大丈夫。きり丸のためにも、少しだけ離れることが必要なんだ。必ずまた会えるよ。だから待ってて」
泣きながら、きり丸は私を引き止めようとした。しかし、城からの使いの者が来て来るように告げた後私の手を引いていく。連れられて行く私にきり丸の必死な声が、背中で響く。
「行かないで!ねえちゃん、お願い、行かないで!」
その声を聞きながら、私は足を止めることができなかった。振り返ればきっと迷ってしまうから。私の中で、決めたことを貫かなければならないと思ったから。きり丸は涙を流しながら、私を追いかけようとしたが、転んでしまう。
引き返して起こしてあげたかったが、私を連れた人たちは容赦なく歩いていく。
ねえちゃんと私の名前をきり丸は叫ぶ。彼の姿がどんどん小さくなっていく。泣きながら叫ぶその声を胸に刻みながら、私は前に進んだ。
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