「そこに着いたら、もうお別れ……?」
彼女のその言葉に、私は思わず戸惑った。正直、別れを惜しんでいる自分がいた。それは、気づいていなかったわけではない。ここまで一緒に過ごした日々の中で、少しずつ心が引き寄せられていったのだろう。
だが、私はプロの忍者で、雇い主の意向に従わなくてはならない。色々な場所に赴き、任務をこなす日々が続く。こんな何の力も持たない女を連れて歩くのは、やはり難しい。所帯を持つ気もないし、嫁にでも娶ればまた違うのかもしれないが、今はそれどころではない。
それに彼女は未亡人になったばかりだし。さすがにそんな女に手を出すのは……と理性が押しとどめる。
「学園に着いたら、また会えますよ……」
だからお別れではないと慰めるように言うと彼女は少し表情を明るくさせた。私も、会えなくなるのは本当に少しだけだが、惜しいと思う。そんなことを私は少し立ち止まりながら、心の中で考えていた。数週間一緒に過ごしてきたが、その時に彼女の人生を背負えるとは簡単には決められなかった。心のどこかでは、そのまま一緒にいたいという気持ちもあるが、忍者としての仕事と、彼女の未来が重なり合う場所で何ができるのかは分からない。
だが、学園にいるのであれば、何度か会いに行こうとは思う。それほど彼女のことを気に入っている自分がいたから。
今はそれが精一杯だと感じていた。
学園へと近づく道を進んでいると、突如として遠くから悲鳴が聞こえた。最初は気のせいかとも思ったが、その声がどんどん大きく、確かに子供のものだとわかる。すぐに周囲を確認し、私は無意識のうちに足を速めた。
「ここにいろ、すぐ戻る」
振り返ると、姫は少し不安そうに私を見つめていたが、静かに頷いて茂みの中へ身を隠した。私は素早くその場を離れ、声の発信源を探して走り始める。
足元は落ち葉と小枝で覆われ、歩くたびにわずかな音を立てる。その音に注意を払いながら、静かに進む。鼻に感じるのは湿った土の匂いと、遠くで聞こえる川のせせらぎ。夜の森は静かだが、子供の悲鳴がその静けさを突き破るように響いていた。
数分後、私はその声の場所に辿り着く。山賊に囲まれ、必死に抵抗している二人の姿が目に入る。山村喜三太と福富しんべヱ。顔見知りの子供たちだ時がついた。父と土井先生の担当している生徒だ。泣きながらも、必死に抵抗しているその姿に、思わず頭が痛む。
「くそ……あの子たちはまたトラブルか!」
私は小さく呟きながら、周囲を警戒する目をさらに鋭くした。山賊たちは二人をじりじりと追い詰め、脅しの言葉を投げかけている。普段なら私が手を貸す必要はないのだが、顔見知りが襲われているこの状況では彼らを放っておくことはできない。
慎重に一歩ずつ踏み出し、隠れる場所を探す。草木の陰に身を潜め、状況を観察する。どうにかして隙を見つけなければならない。
しかし、その瞬間、私の意識が一瞬途切れた。目の前で何かが動き、思わず目を凝らすと、そこに現れたのは――――
「やめなさい!」
信じられない光景が広がった。姫が、私が隠れている場所に飛び出してきたのだ。彼女が無防備に、何も考えずにその場に現れたことに私は驚愕する。すぐに口を押さえて声を抑えたが、心の中で焦りが募った。
どうしてこんなところに……? 彼女は護衛対象であり、このような危険な場所に来てはいけない。待っているように言ったはずだ。けれど、彼女はまるでその危険に気づかず、無防備に男たちの前に飛び出していった。
その姿を見て、思わず目を細めた。彼女の無鉄砲さが、かえって今の状況に不釣り合いに感じられる。だが、私はすぐに冷静さを取り戻し、彼女を守らなければならないと決意を固めた。すべてが一瞬で過ぎ去り、再び緊張感が戻る。今すぐにでも彼女を引き戻し、山賊から距離を取る必要がある。それが最優先だ。
森の中の静けさが一瞬、私の心の中で深く響く。
姫が前に出て、二人の子供たちをかばうように立ちふさがった。山賊たちはそれを見て、ゲスな笑みを浮かべる。彼女が「子供にひどいことをしないで」と守ろうとするが、山賊はその手を引っ張り、無理矢理彼女を連れ去ろうとする。その瞬間、私は動いた。
「あっ!」
彼女が動きを止める暇もなく、苦無が山賊の手に投げつけられる。そのまま山賊が手を引っ込めバランスを崩して倒れる。私はその場に飛び出した。
「仕方のない人だあなたは……っ!」
すぐに駆け寄り、子供たちを確認すると、私が突然現れたことに驚いた喜三太が大切そうに持っていた壺を落とした。壺が転がり、喜三太としんべヱがそれを心配して必死に拾おうとしていた。
「待て、あれ、何か大切なものが入ってるのか?」
盗賊は壺を見つめた。何か重要な物が入っているように思えたのだろう。山賊が期待した様子で自分の方に転がってくるそれを拾い上げる。だが、壺の中から出てきたものを見て、山賊の顔が一瞬で青ざめた。
大量のナメクジだ。
「ああーーーー!ナメクジさん!!!!」
壺の中からナメクジが這い出しているのを見て、思わず十字を切る。山賊が絶句しているのを目にした。それは当然だろう。
「ナメクジさん!あぶないよーーーーーーー!!!!!!!!!」
喜三太はそのナメクジを心配そうに慌てて声をあげていた。しんべヱも隣で慌てている。その様子に、私は思わず少し苦笑いを浮かべてしまうが、山賊はどうしていいかわからず混乱しているようだった。
「隙あり!」
その混乱を突いて、私は山賊をすぐに倒すことに決めた。私は一気に駆け寄り、山賊をボコボコにして動けなくさせた。隠してあっという間に、彼らの脅威は消え去ったのだ。
突然飛び出していった彼女は、足元が崩れたのか、思い切りしりもちをついて、驚いた表情を浮かべて私を見上げていた。彼女の動きがあまりにも無防備で、私は一瞬何も言えずに立ち尽くしたが、その後すぐに心の中で湧き上がる怒りが抑えきれなくなった。
「自分の身も守れないのに、考えなしに突っ込んでいくな!!」
声を荒げてしまった自分に、すぐに後悔が湧き上がった。彼女がしょんぼりとした顔でうつむく様子を見て、胸が締め付けられる。優しさをもって接しようと思ったのに、つい怒鳴ってしまった自分が情けなく感じた。
「すまない、そんなつもりじゃなかったんだ……ただ、本当に心配した…………」
その言葉が口から出ると、彼女はさらにしょんぼりして、目を伏せていた。その姿に、思わず苦笑してしまう。彼女の無邪気さを思えば、あんなに強く言う必要はなかったと思う。だが、もしも死んでしまったと考えれば、これくらい言っても仕方がないだろう。
「ごめんなさい…………」
「謝ってほしいんじゃない、自分を、大切にしてほしいだけだ……」
私の言葉にまだ少し悲し気に目を伏せた様子だが、彼女は頷く。その時、助けた二人の子供たちが駆け寄ってきた。喜三太としんべヱだ。彼らは無事を確認し、嬉しそうに言ってきた。
「お姉さんありがとうございました!助かりました〜〜〜〜!」
「お姉さん!ありがとうございます!ナメクジさんもお礼を言ってます!!!」
二人は笑顔を浮かべながら、喜三太は喜んでナメクジを持ち上げて見せてきた。その光景に、私は少し戸惑いながらも、彼らも無事でよかったと安堵する。だがそのナメクジに目をやってしまう。女性は虫が苦手な人も多いしナメクジも無理なのでは……?
「大丈夫か?」
私は心配そうに彼女を見て尋ねる。だが彼女は、驚くことなく落ち着いた表情で言った。
「よかったね」
その言葉と表情に、私は本当に驚いた。ナメクジに全く動じず、むしろそれを平然と見つめる彼女の姿に、しばらく呆然としてしまう。
「よかったね……って、ええ…………」
思わず口に出してしまう。彼女は本当に冷静だ。ナメクジなどという奇妙なものに、普通ならば少しは戸惑ったり、嫌がったりするはずだが、彼女はそのまま気にせず、堂々とした態度で受け入れていた。一匹とかじゃないんだぞ、大量にいるんだぞ。
私は改めてその姿を見つめながら、彼女がただの姫ではないことを感じ始めていた。普通の姫なら、こんな異常な事態にあまり動じることなく、平然としているのは想像できない。だが彼女は、まるでそれが日常の一部であるかのように振る舞っている。ますますこの女がわからない。
少し感心しながら、困惑しながらも私はその光景を眺めていた。
「あ!あなたは!」
「プロ忍者の山田利吉さんだーーーー!!」
「大きい声で名前を呼ぶなと言っている!!!!!!!」
のほほんとしたお気楽なお子様たちは相変わらず私の名前をおおっぴろに言う、危機意識はないのか、それでいいのか。呆れていれば喜三太としんべヱを呼ぶ声が後ろから聞こえ、振り返ると、立花先輩が現れた。二人は嬉しそうに目を輝かせながら、立花先輩に駆け寄る。
「立花先輩〜〜〜〜!」
二人合わせて駆け寄っていく。その声に、思わず苦笑するが私に気づくと、立花は会釈をしてきた。状況を二人に説明された後、後輩の二人は「ご迷惑をおかけしました」と再び頭を下げた。
「気にしなくていい」
私はそう答え、姫に手を貸して立ち上がらせる。立花がその女性について気にしている様子だったので、私はさりげなく告げた。
「忍術学園の客人だよ」
「そうでしたか」
立花は少し考えてから、軽く頷いた。特に深く聞いてくる様子もなく、そのまま学園へ向かうことになった。彼ももうプロに近い身だ。察しがいいのだろう。学園に向かう途中、喜三太としんべヱは彼女に質問攻めをしてきた。二人は姫のことを気に入った様子で、あれこれと話しかけていた。姫はその無邪気さで答え、二人とのやり取りを楽しんでいるようだった。
その様子を見て、私はつい心の中でため息をつく。
危なっかしい女だ。本当に、心臓が止まるかと思うほど、彼女の無防備さにドキドキしてしまう。それに、こうして一緒に過ごす時間が増えるにつれて、思ったよりも入れ込んでしまっている自分に気づく。
「反省しないとな…………」
彼女がこんなにも周囲を惹きつけることに、少しだけ警戒心を持たなければならないと思うのに、私はどうしてもその魅力に引き込まれていく。
忍術学園の門をくぐる際に相変わらず小松田君は私にサインを求めてくる。顔見知りだからと断ろうとすれば規則ですから〜と彼はマニュアル通りだ。苦笑いしつつ名前を書き、彼女も同様に名前を書く。
「なまえさんですか〜〜〜〜は〜い確かにサインいただきましたぁ〜〜〜〜ありがとうございまぁす!」
お気楽な様子で彼はニコニコとして門を通す。さて、学園長のもとにすぐに向かう方がいいだろう、思わぬトラブルはあったが何とかたどり着けて良かった。文を送っているので話は通っているだろうし、よほどのことがなければ追い出されることはないだろう。何より生徒の恩人とも取れるのだ、邪険にはされないはずだと考えながら歩いていた時だ。しばらく歩いていると見知った姿が見える。
どうやら父と土井先生が話をしていたらしい。こちらに気が付くと土井先生は手をあげてやあ、と挨拶をしてきた。
「来てたんだね、また学園長に何か報告かい?おや?そちらの女性は……」
「ええ、そうなんです実は――――」
隣にいた彼女を紹介して経緯を語ろうとしたとき、彼が彼女を見たその瞬間目が大きく見開かれた。それは、まるで幽霊でも見るような表情で彼は、息をのむ。明らかに何かおかしい状況に私は何かあったのかと聞こうとした時だった。
土井先生は目の前にいた彼女をそのまま何も言わずに抱きしめていた。
驚きながら、何も言えずにその光景をただ見ていることしかできない。彼のその表情は幼い子供がずっとなくしたと思っていた宝物をもう一度見つけた時のような、それでいてとても薄暗い、あの川で遺体を探すお兄ちゃんと全く同じ目をしていたのだから。
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