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学園内を案内してもらった後、私はようやく自分の部屋に案内された。部屋はとても静かで、今まで過ごしてきた慌ただしい日々とは違う、穏やかな空気が流れていた。女性ということも考慮してくノ一教室の教員である山本先生というおばあちゃんが私にいろいろ教えてくれる。

「いろいろ大変でしょうが、応援していますよ」

「はい、しっかりと務めさせていただきます」

学園長の温かな言葉、そして山本先生の優しさに包まれて、少しずつ安堵感が広がっていくのを感じていた。山本先生は、あの優しげなおばあちゃんのようで、まるで昔、私を温かく迎え入れてくれたおばあちゃんを思い出させる。彼女の笑顔が、なんとも心地よいものに感じられた。
おばあちゃんからもらった着物がなくなってしまったのは残念だ、とやはり思う。幾分が年月が経ってもやはり思い出の品が手のひらから零れ落ちてしまうのはさみしいものだ。

私はその部屋の中でしばらく一息つくと、声がかかったと思えばドアが開き、利吉が入ってきた。

「ひとまずあなたが落ち着ける場所が見つかってよかった」

利吉がそう言ったとき、私は静かにうなずく。今後、私はここで新たな生活を始めることになるのだろう。しかし、彼の言葉には少しの寂しさが込められているように感じた。それがわかるからこそ、私もどこか心が痛む。

利吉は続けて、「これからは、あなたとは仕事上の雇用契約は切れる。私とはそうしょっちゅう顔を合わせるわけにはいかない」と少し苦笑しながら言った。その言葉に、私は少しだけ胸が締め付けられる気がした。彼の存在は、私にとっては心強く、そして頼もしかったからだ。兄のように、頼れる存在だった。

「そうだね、あなたの仕事が忙しくなることはわかってる」

私は穏やかな声で答えた。仕事の面では、これから彼と関わることは減っていくのだろう。学園内で私自身がどう過ごしていくかは、これからの私の手にかかっている。

「そうだな、――――でも、私はいろいろ忍務もあるのでね……学園に顔を出しに来ることもあるだろうし、何度か会うことはある」

利吉は少し笑いながら、そしてほんの少し寂しげに付け加えた。その言葉に、私はほっと息をついた。少なくとも、これからも会える機会があるということだ。完全に別れるわけではないと思うと、少しだけ安心する。
私はその言葉を受けて、笑みを浮かべた。お別ればかりの人生だったから、これで終わりではないということがすごくうれしい。

「危険な仕事だろうけど、気をつけてね、怪我しないでね」

そう言いながら、私の心の中で彼を心配する気持ちがこみ上げてきた。忍者といえばきっと危ない仕事を請け負うことも多いのだろう。今までと違う生活が始まることの寂しさと、少しだけ不安を感じながらも、彼のことを思うと、自然と心からその言葉が出た。そうだ、彼にきり丸の事を探してもらえばいいんじゃないだろうか。きっとあの子は聡い子だからどこかでうまくやっているだろう。会えずじまいになってしまったがどうにか見つけ出したい。文が途絶えたことに不安はあるが、どこかで明るくやっていればいいが……。

利吉はしばらく私の顔を見つめた後、静かに「ええ」とうなずいて、彼の表情には、私の言葉に対する感謝が滲んでいた。しばらくの沈黙が続き、彼は私に向かって手を差し出してきた。その手は、しっかりとした握り心地があり、私に安心感を与えてくれる。



私はその手を握り返し、少しだけ強く握り返した。

「気をつけてね」

もう一度、言葉を添えて。利吉は微笑みながらその手を引っこめる。


利吉が去り際に、私の手に何かを渡した。それは筒状の容器で、どこか懐かしさを感じるものだった。見ると、それはいつぞや殿にあげたものだった。驚きながら、私はそれを手に取る。利吉は静かに「自分の代わりに、と彼は言っていました。それだけできっとあなたなら意味が分かるだろうとも」と言った。彼の言葉に少し戸惑いながらも、私はその筒をじっと見つめる。

中身を確認する前に、その筒に触れる感覚がどこか懐かしく、胸が締めつけられる思いだった。少し傷のついたその容器は、かつて殿に贈ったものだった。中にはもうコオロギがいない。”虫はさほど長くは生きられない”。私が贈ったそのコオロギは、もうどこか遠くへ行ってしまったのかもしれない。空っぽになった容器を見つめていると、神が入っていることに気が付く。

中を広げれば、紙に何かが書かれていた。



”夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも”



万葉集に書かれたものだろう。
続くように短く、文章が書かれていた。



お前の世界は、この筒の中に留まることはない。きっとお前は筒の外を知るコオロギなのだ。



――そして、その時ふと気づいた。殿は、私が贈った筒の中にいるコオロギの姿と、私と同じように城から出られなかった自分を重ねていたのだろうか。そのことを思うと、胸の奥で痛みがこみ上げる。それでも、彼は私に託したのだと、そう思うことで少しだけ心が温かくなった。彼の代わりに、というのはおこがましいのかもしれない。それでも、夢を継ぐとはきっとそういうことだろう。彼の夢は消えることはない、ならばきっと残されるものはあったはずだ。

あの城で私は全部を奪われたわけではなかった。きっと彼が、失ったものを取り返すようにと私に託してくれたのだ。大事なものを彼は奪ったと言いながらも、しっかりと取り戻せるように、そう願ってくれていた。

私はきっと、あの場所で幸せを願われていた。



コオロギがいなくなったその筒を、私はしっかりと抱きしめた。書かれていた言葉が、まるでそのまま殿の気持ちを代弁しているかのように、胸に深く響く。今、私はその意味を、少しだけでも理解できたような気がした。
自分も忘れたような遠い昔に出した文が、今になってようやく届いたかのようだ。私の感情が、ゆっくりと追い付いてきた。私は殿を失って、とても悲しかったのだ。



利吉が去り際に、あたたかい声で「渡せてよかった」と言ったのが、耳に残っている。その声は、どこか切なさを含んでいて、私の胸をさらに締め付けるようで、しばらく、その筒を抱きしめたまま動けずにいた。周りの静けさと、あの時の思い出が一度に押し寄せてきて、涙がこぼれそうになったけれど、それをぐっと堪えた。


「ありがとう……」

幸せを願ってくれて、私を逃がそうとしてくれて。
あの時一緒に行こうと言えば違ったのだろうか、もっと諦め悪くしていればよかったんだろうか。一人で置いていってしまった。あなたに幸せを願われたまま。生きることを選んで外に出た。

後悔でもない、やり直したいと思うわけでもない。ただ、失ったことが悲しい。


夢を託されたあの時の思いを、今も私は忘れることができない。コオロギのように、自由にはなれないけれど、どこかでその希望を持ち続けて生きなければならないのだろうと思う。そして、殿が願ったように、私は前に進んでいかなければならない。

そのまましばらく、静かに筒を抱きしめていた。


ふと窓の外に目を向けると、欠けた月が昇り始め、学園の静かな風景が広がっていた。今はただ、その思い出を抱きしめて月をながめていたかった。

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