たぶん……善法寺くん、かな?くのたまの子たちが教えてくれた、六年生の名前を思い出す。彼はこちらに気づくと、穏やかな声で尋ねる。
「どうかしましたか?」
その問いに、綾部くんはいつもの調子でさらりと答える。
「彼女が僕の堀った穴に落ちちゃったんです」
「ええっ!? それは大変だ!」
善法寺くんは驚いたように声をあげたが、すぐに落ち着いた様子で「怪我を見せてください」と促してくる。腕を差し出すと、彼は丁寧に傷の具合を確かめた。
「……うん、大丈夫ですよ。ひどい傷ではありません」
そう言って、優しく手当てをしてくれる。手際がよく、包帯を巻く指先も柔らかい。
優しい人だな……。物腰も柔らかくて、安心感がある。これまでいろんな人に出会ったけれど、彼はどこか落ち着いた雰囲気を持っているように思えた。
「ありがとうございます」
礼を言うと、善法寺くんはにこっと微笑んで「気をつけてくださいね」と言ってくれる。
「……穴に落ちないように、ですね」
苦笑まじりに言うと、「まあ、それもそうですが」と彼は目を細める。
「忍者の世界は、何があるかわかりませんから。いつでも周囲をよく見ることが大切ですよ」
……周囲をよく見る、か。それはまるで、今の自分の心境を見抜かれたような言葉だった。綾部くんが「痕が残りますか?」と尋ねればきちんと処置すればしばらくしたら傷跡は残らないよと答えられると納得したのか、それはよかったです。と頷いている。
私が先ほどの話を聞きながらぼんやりと考え込んでしまっていると、「それじゃ、僕はこれで。お大事に」綾部くんはそう言って戻っていった。
「はい、終わりましたよ」
処置が終われば善法寺くんが声をかけてくる。
「どうもありがとうございます」
「念のため他に怪我がないか診ますね」
そういって彼は他に怪我がないか気にしてくれている様子だった。医療の知識がある彼にお任せしようと身をゆだねていた時だ。
「これは……」
善法寺くんが傷を見つめながら、少し考え込むように呟く。その後、にこりと笑って「他に痛いところはありませんか?」と尋ねられる。
「大丈夫です」
私はそう答えるが、善法寺くんはふと表情を変えた。優しげな笑顔が消え、真剣な眼差しがこちらに向けられる。
「……何か、ありました?」
不意にそう尋ねられ、戸惑う。
「え?」
思わず聞き返してしまうと、彼は静かに自身の首の後ろに指を当ててみせた。その仕草に、一瞬何を指しているのかわからず首を傾げる。だが、次の瞬間、昨晩のことを思い出して、息を呑んだ。
あっ。そう思ったときには、もう遅かった。善法寺くんは、私の顔色の変化を見逃さなかったのだろう。ますます真剣な表情になり、優しく、それでいて鋭く問いかける。
「そう時間が経っていない……故意的につけられたものに思えますが」
視線が、じわりと首元へと向けられる。首の後ろ。項にある歯形を見たのだろう。
「何か困ったことはないですか?」
その声には、心配する気持ちがにじんでいた。
一瞬、言葉を詰まらせる。喉が、かすかに鳴った。焦る気持ちを悟られないように、平静を装おうとするが、無意識に首の後ろをかばうように肩をすくめてしまった。それすらも、彼には見透かされている気がする。
善法寺くんが指しているのは……昨晩、土井先生につけられた歯形のことだ。
唇を噛む。この痕が、はっきりと人の歯形だとわかるものだということは、自分でもわかっていた。気づかれたら厄介だと思い、できるだけ目立たないようにしていたつもりだった。それなのに、忍者の洞察力を甘く見ていた。すっかり忘れて問診を受けていたが、包帯も何も撒いていないのだからはっきりと見えてしまったに違いない。
……さすがに、ここで本当のことは言えない
ためらいがちに視線をそらし、「何でもないです」と答えた。
けれど、善法寺くんの表情は変わらない。
「……本当に?」
その声は、穏やかでありながら、どこか納得していない響きを帯びていた。
「……はい」
努めて平静を装って返事をする。
「そうですか」
彼はそれ以上何かを問い詰めることはなかったが、その眼差しはどこまでも優しく、しかしどこか探るようだった。
……忍者相手に隠し事をするのは、難しいな。そんなことを思いながら、ぎこちなく笑みを浮かべるしかなかった。
善法寺くんは、私の返事を待つ間、じっと何かを考えているようだった。だが、それを無理に聞き出そうとはせず、ふっと表情を和らげると、話題を変えるようにして「そういえば」と切り出してくる。
「委員会については知っていらっしゃいますか?」
「委員会……?」
首をかしげると、彼は頷く。
「はい。忍術学園では、生徒たちがそれぞれ委員会に所属して、学園の運営を支えています。僕は保健委員をしているんですが、よければ一緒に活動してみませんか?」
「私も……?」
「もちろん、本格的に働くというよりは、どんな仕事があるのかを知るくらいのつもりで大丈夫ですよ」
なるほど、学園のことを知る良い機会になるかもしれない。でも、今の自分にできるだろうか……とためらっていると、善法寺くんは優しく続けた。
「乱太郎くんが、あなたのことを話してくれていたので、僕も気になっていたんです。無理のない範囲でいいですから、よければ」
「……ありがとう」
少し迷いながらも、そう返すと、彼はほっとしたように微笑んだ。
「よかった。お仕事の無理のない範囲で大丈夫ですから」
そう付け加える彼の配慮に、じんわりと胸が温かくなる。まだ学園になじみきれていない私のことを、気遣ってくれているのが伝わってきた。
「今度の休みに、保健委員のみんなで薬草を取りに山へ行く予定なので、そこで一緒にピクニックしましょう!」
「ピクニック……?」
思わず聞き返してしまうと、善法寺くんは楽しげに微笑む。
「ええ、もちろん薬草採取が目的ですが、みんなでお弁当を持ち寄って、休憩時間にのんびりしようかと。どうですか?」
山に逃げる以外の目的で行くのは久しぶりだ。学園の生活に慣れるためにも、こうした機会に参加するのはいいことかもしれない。
「……ええ、行ってみたいです」
そう答えると、善法寺くんは嬉しそうに頷いた。
「決まりですね!」
まるで春風のような爽やかな笑顔に、自然とこちらも口元が緩んだのがわかる。
「私が一緒に行ってもいいのであれば、ぜひ」とうなずくと、善法寺くんはふわりと笑った。
「もちろんですよ」
その言葉がすんなりと返ってきて、胸がじんわりと温かくなる。
まだ学園に来たばかりで、右も左もわからない私だけれど、こんなふうに優しく迎え入れてくれる人たちがいる。きり丸とのことを考えると不安もあるけれど、少しずつでも、この場所になじんでいきたい。
「ありがとうございます、楽しみにしています」
そう伝えると、善法寺くんは「ええ、きっと楽しいですよ」と穏やかに微笑んだ。その柔らかな雰囲気が心地よくて、思わず私もつられて笑みをこぼした。
ドキドキと胸が高鳴る。緊張もあるけれど、それ以上に、みんなと早く仲良くなりたいという気持ちが膨らんでいた。今日はいい日だ。
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