仮面の鼓動(前編)

全部どうでもよかった。
誰かの誕生日だとか、気になる人の話だとか、新しくできたカフェの話だとか。
それら全てが、雑音に過ぎなかった。
ボクは他人に興味がなかった。だから彼らも、ボクに興味を示さなかった。
気がついたら、誰もいなくなっていた。一人は寂しかった。何かに触れていたかった。ただ温もりが欲しかった。
だからボクは好きになった。人やモノ、動物や植物。周りにあるもの全てを好きになった。好きでなくてはいけなかった。好きだと自分に言い聞かせた。みんな好きだ。クラスメイト、ボーダー本部の人、玉狛の人。みんな好きだ。好きだ。好き、な、はずなのに。好きでなくてはいけないのに。どうして。彼を、空閑を見ていると、堪らなく、―気持ち悪い。



「スズが倒れた?」
宇佐美の言葉を、空閑はそのまま復唱する。三雲と顔を見合わせた。
「ただの風邪みたいだけど…」
昼間は学校、夜間は研究と、なぜか最近ずっと机に向かいっぱなしで睡眠もろくにとっていないようだったから、免疫力が低下していたのだろう。
「大したことないと思うんだけど、一応気にかけてあげてね」
「わかった」
「わかりました」
二人と別れて一人になると、宇佐美はふぅ、とため息をついた。彼女はすぐに無理をする。『仲間』と『頼るもの』がイコールでは並ばないその性格は、義理堅いのか、そうでないのか。そんなことを悶々と考えながら、宇佐美は涼宮の部屋へ向かった。


「スズ…手、繋いでもいい?」
そこに居たのは確かに空閑だった。空閑なのに、空閑ではなかった。一瞬涼宮の表情が崩れる。しかしすぐに取り繕って笑った。
「いいよ」
繋いだ手からは温度を感じなかった。トリオン体だし当たり前か。
もう夕暮れ時だった。丁度沈もうとしている太陽が、空閑の白い髪の一本一本にキラキラと反射する。照らされた彼は、酷く美しかった。
途端、ドクンと心臓が跳ね上がる。脈を採らずともわかる。鼓動が早い。苦しいくらいに心臓が早鐘を打っている。繋いだ手がじっとりと汗ばむ。
「スズ?」
何を、どれがきっかけだったのか、異変に気づいた空閑が声を掛けた。我に返れば涼宮は、空閑より歩く足が早まっていたことに気付かされる。
「どうした?スズ」
空閑は小首を傾げる。突然視界が歪んだ。目に映る世界が大きく揺れる。彼が近づいてくる度、触れる度、心臓の鼓動が跳ね上がる。
わたしは、なにかおかしかった。


目が覚めると、見慣れた天井が見えた。どうやらまた倒れたようだ。頭のだるさを感じ、いつもの睡眠障害ではないと察する。
「スズちゃん…!」
宇佐美が涼宮の顔を覗き込む。涼宮は体を起こした。
「ごめんね栞ちゃん。また迷惑をかけた」
「いいよいいよ、無理して起きなくていいから!それより、すごくうなされてたから心配したよ!!大丈夫?」
彼女は目を丸くした。先程みた夢のせいだろうか。空閑がすごく変だった夢だ。否、変だったのは自分の方かとしばし涼宮は悩んだ。ハッと宇佐美の心配そうな眼差しに気づき、また涼宮は笑顔を取り繕った。
「だいじょうぶだよ?」
「よかったぁ」
宇佐美は涼宮を寝かせると、絞ったタオルを額にのせた。そしてそのまま頬に触れる。
「まだ熱下がらないね」
「熱があるのか?」
「うん、スズちゃん熱で倒れたんだよ」
道理でだるい訳だ。風邪だなんて運が悪い。
「何か食べるもの持ってくるね」
「いいよ、お腹すいてない」
気を遣った訳ではなくて、本当に何か食べられる気がしなかったのだ。しかし振り返った宇佐美は、眉をひそめて言った。
「だーめ!ちゃんと食べないと治らないよ」
思ったより怖い顔をされた。反射的にビクリと涼宮が肩を震わせると、それに気づいてか否か、ニコリと笑って出ていった。
栞ちゃんは、いつもの栞ちゃんだった。


コンコン、というノック。続いてガチャりと扉が開いた。そこにいたのは、空閑だ。
「…あれ、栞ちゃんは?」
「急用らしい。さっき帰ったぞ」
「そうか……」
自分のせいで引き止めてしまっていたのだろうか。涼宮は一瞬だけ唇を噛んだ。何かを堪える時のクセらしい。
「チカちゃんは?」
空閑のことはもちろん好きだ。好きだけど、今はタイミングが悪い。もう夜の九時を回っているから、みんな帰ってしまっただろうか。
「帰ったよ。オサムは今日泊まるって。今風呂だ」
「そうか…」
ジンさんとレイジさんは三日前から防衛任務。オサムは風呂、チカちゃんも栞ちゃんもみんな自宅…残るは空閑だけってわけか。
「お粥と薬持ってきたぞ。ちゃんと食べて安静に、って栞ちゃんが」
「ん、わかった。後で食べるから置いといてくれ。ありがとう」
これで出て行ってくれ。もう十分だ。
しかし、涼宮の思いも虚しく、空閑はその場から動こうとしなかった。
「おまえ、つまんないウソつくね」
空閑がムッとした様子でベッド横の椅子に腰掛ける。
「食べる気ないだろ」
そうか、こいつには嘘を見抜くサイドエフェクトがあったんだ。言ったことを後悔しても遅い。
「ほら、起きれるか?食べなきゃ治んないぞ」
空閑は、起き上がりかけた涼宮を補助しようと手を差し伸べる。瞬間彼女の背中を這ったのは、悪寒か、虫酸か。
「触らないで!!」
気がついたら叫んでいた。払いのけられた空閑の手は、宙で何も掴めぬまま固まってしまう。ヒュ、と涼宮の喉が鳴った。心臓が体に悪そうなくらい早まる。やや荒い呼吸を繰り返し、涼宮は胸を抑えて背中を丸くした。
「…すまん」
空閑の声がその空間にストンと落ちる。叩かれたように涼宮は顔を上げた。彼はいつもの声音だった。その分、むしろ苦しかった。
「ちが、ごめん、そうじゃなくて、」
嫌だから払ったんじゃない。嫌いなんてことは絶対にない。傷つけてごめん、ごめんなさい。
頭の中ではつらつらと浮かぶその言葉たちは、素直に音になってくれない。
「ごめ、ごめん……嫌とか、嫌いとかじゃなくて、っ……」
好きなのに、こんなに好きなのに、どうしてだろう。どうしようもなく、―気持ち悪い。

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