「なあ、おれ、どっかおかしいのかもしんない」
空調設備の整った涼しい部屋で、空閑は突然言った。空閑が肉体を取り戻してから、そう時間は経っていない。もしかして、もしかすると、何かの病気か。嫌な汗が背中を伝う。動揺を悟られないように、私は持っていたペンを置いて、彼に向き直った。
「ふむ。じゃあドクター涼宮が話を聞いてやろう」
「ドクター」
「医者のことだよ」
「おまえ医者だったのか」
「違うけど…それはもういいよ進めて」
えーっと、と空閑は少し考える。骨ばった手を顎に当てて、視線を落とした。
「具体的にどんな感じ?どこか痛いの?」
「いや、痛いとかじゃないけど」
もしかしたら熱でもあるのか、と思い、彼の額にそっと触れた。しかし見当外れだったようだ。いつもと同じ温度だった。
「あ」
「ん?」
彼が声をあげたから手を離そうとすると、彼の大きな手にそれを阻止された。真っ直ぐな紅い瞳で、彼は言った。
「これ。こういう時、おまえがおれに触った時とか、隣にいる時とか、心臓が体に悪そうなくらい早くなる」
ぐ、と私の手のひらが熱を帯びるのがわかった。
―ああ、はあ、そう。そういう感じですか。
頭を抱えたくなった。しかしそれはしなかった。とりあえず目を瞑った。視界に彼がいると、どうしても顔が火照ってしまう気がしたから。
病気でなくてよかった。よかったけど、ううん、これはこれで厄介だ。嬉しくないこともないけれども。
「ウン、それは、病気ではないな」
「そうなのか?」
「僕もなるよ。キミが傍にいるときは、いつもだ」
へえ、と彼は言った。まだよく噛み砕けていないようで、小首を傾げていた。どんなに大きくなっても、その姿は可愛らしい。
「世間では、そういうものを"恋”と呼ぶ」
まさに、鳩が豆鉄砲だ。彼はそんな顔をした。
恋とは、バンジージャンプだ。これから自分は飛ぶ。それに対してのワクワク感、期待、そして、不安。それらを胸に抱え、飛び込む。飛んでしまえば全て一瞬だ。上手くいくも、いかないも。上手くいけば、ああ、あの瞬間をもう一度、と望む。いかなれば、大きな怪我をする。そして、回復に時間を要する。そんなものだ。
目の前の彼は、数回瞬きを繰り返すと、俯いてしまった。てっきりテンションの高い嬉しそうな回答がくるものと期待していたので、胸に杭を打たれたような痛みが走った。
「…空閑?」
何が、一体なにが気に障ったのか。私はなにか間違えただろうか。それとも、或いは、彼にそんな気はなかったのか。私はそこまで不安になった。今更と言ってしまえば、今更だが。
「いや…」
やっと顔を上げた。やっと、といっても、そう時間は経っていなかったかもしれない。けれど、体感した時間は恐ろしく長かった。
「なんか、すまん」
彼は、柄にもなく、耳から頬から首にまで、紅葉を散らしていた。ふう、と一つ息をつくと、彼は私の腕を引いて、半ば強引に抱きしめた。照れ隠しだ。すぐにわかった。シトラスの香りが鼻をくすぐる。いつもより少し熱い、彼の体温が愛おしい。
「おれ、アズサのことすごい好きなんだな」
うん。知ってた。ずうっと、知ってた。
ふふふ、と私が笑うと、彼も一緒になって笑った。クーラーが効いているはずなのに、なんだかすごく蒸し暑かった。けれどそれでも、この時が終わらなければいいのに、と思うくらいには、心地よかった。