恋慕の行く末

一面にシロツメクサが広がる平原で、小さな子供と母親は腰を下ろしていた。シロツメクサをちぎっては繋げ、ちぎっては繋げを繰り返し、母は娘に教えながら花冠を作っていた。
少女は上手く出来なくて飽きてしまったのか、歪なそれを放り投げる。休みなく働く母の手を、それからじっと見つめていた。
「お母様は、どうしてお父様とけっこんしたのですか?」
少し舌足らずな口調で、少女は問うた。母は優しそうに目を細め、そして何かに思いを馳せるように、そっと目を閉じた。
「お父様を、愛したからよ」
「あい、ですか?」
少女は首を傾げ、大きな瞳を数回瞬いた。
「わたしもお父様がだいすきです。わたしもお父様とけっこんできますか?」
母はクスクスと笑って、茶色がかった少女の髪を手で梳くように撫でる。
「潤がお父様に向ける愛と、私がお父様に向ける愛は、違うものなのよ」
「ちがうもの」
少女は復唱し、考えるように俯いた。しかし答えは出なかったようで、再び母を見上げる。
「潤は、お友達といて楽しいですか?」
「はい!楽しいです、わくわくします」
「お父様といるときは?」
すぐに口を開きかけて、一瞬固まる。少し考えてから少女は言った。
「楽しいですし、あんしんします。」
母が少し憂いに目を細めたのは、そう語る少女が嬉しそうとは言い難かったからである。彼女はただ真っ直ぐに、真面目そうな表情で告げたのだ。母は察していた。この少女は、考えながら話すと表情が消える。意識しなければ笑顔になれないのだ。嬉しさに頬を弛めたとしても、言葉を紡いだ途端にその色は消えてしまう。
しかしこの少女は、「笑ってごらん」というと完璧な笑顔をつくった。作り物とは思えないほどに美しく自然な、完成された笑顔を。その事に尚更、両親は心を痛めた。
「いいですか、潤。あなたが友人に向けるそれは、友の愛と書いて友愛。あなたが私やお父様に向けるそれは、親への愛と書いて親愛です」
最後の一輪を括りつけた花輪を、母は少女の頭にそっと乗せる。暖かな笑顔を向け、母親は諭すように言った。
「私がお父様に向ける愛は、恋愛。恋で、愛なの。一緒にいるとドキドキする、独り占めしたくなる。そういうものを恋と呼ぶのよ」
「…あいと、こいは、違うものなのですか」
母は少女の頬を優しく撫でた。丸みを帯びるその輪郭は幼子のそれだが、彼女の表情、口調、纏う雰囲気は、少女の実年齢を少しばかり上回っているようにみせていた。
「ええ。愛とは恋の延長線。相手の悪いところまで受け入れて、支えられる覚悟があったなら、それは愛なのよ」
母は娘を抱き寄せた。風に乗って、土とシロツメクサの香りが辺りを漂う。少女は母の腕の中からその顔を見上げ、恐ろしく苦しそうな瞳の彼女に気がついた。
「誰かを慕うということは、その人を特別視するということです。全ての人と平等に接することと、誰かに恋をすること。そのふたつを同時に行うことは、不可能なのです」
少女は青い瞳を瞬き、首を傾げた。母はそれを見て静かに笑った。
「潤もきっと、わかる日が来るわ」



―わかりたくなかったと、そう告げたら、貴女はどんな顔をするだろうか。
これは夢で、いつかの記憶だ。お母様は教えてくださらなかった。恋が、愛がこんなにも苦しいものだなんて、彼女は言わなかった。けれど私は知っている。恋は苦しいものではない。素敵だと、華やかだと思うものであり、尊ぶべきものなのだ。お母様はきっとそう思っていた。そう思っていたのだろう。
「誰かを慕うということは、誰かを特別視するということ…」
いつかのお母様の言葉を復唱する。きっと彼女の言う通りだったのだ。私はこれまで、平等に接することしか知らなかった。故に、誰か1人を特別として扱う方法を知らないのだ。
両親にどれだけ愛を注がれても、それは私の中の「愛」を育むものにはなり得なかった。
私にはわからない。この愛を抑える方法がわからない。苦しみの行先がわからない。
ただひとつわかるのは、この愛が、冷めきることは一生涯有り得ないということだ。
お母様も、この苦しみを経験したのだろうか。
胸のどこかが刺されたように酷く痛んだ。脳裏に彼女の、一切曇りのない笑顔が蘇る。
私は逃げるように目を閉じて、再び眠りに落ちるのを待った。

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