2.はじめの一歩

夕焼け。いつも通り、ふたりきり。閉館三十分前。昨日と同じ。でも、昨日と同じことをしたら、また嫌な思いをさせてしまうとわかった、ので。

「あ、あの」

彼が私の方を見る。反射的に、視線を逸らしてしまう。

「本の、整理しようと思うんだけど、手伝ってもらってもいい、かな…?」
「…もちろんっす」

たはー、と喉に詰めていた空気が抜けて、一気に肩の力が逃げる。よかった、怒ってない。たぶん。

「ありがとう」

立ち上がって彼に背を向けても返事がなかったので、少し、少しだけ、さりげなく振り返る。

「……いや、」

同時に、彼が言った。

「俺が頼んだことなんで」

礼とか別に、と語尾をすぼめながら、彼は続けた。やっぱり、怒ってない。いいひと。

「でも、助かるし。感謝してるのはほんと、だから」

彼はしばらく私の顔を見て、何も言わずに、正確には、なにか言いたげだったけど、そのまま目を逸らしたので会話は終わり。本棚に移動して、昨日の続きから。

「上の方俺がやるんで。アンタは下の方よろしくっす」

てっきり本棚ごとに分担だと思っていたので、一瞬固まる。でも、よかった。その方がとても助かる。踏み台持って歩くのちょっとめんどくさいし。

「うん、ありがとう」

優しいなあ。
「……あっ、ええと」

急に焦ったような声を上げたので、彼を見上げる。

「いや、身長をバカにしたとかじゃなくて、そういうのじゃ全然ないんっすけど」

どうやら、私のさっきの沈黙を、気を悪くしたと勘違いしたらしい。思わず、吹き出してしまった。

「バカにされたなんて思ってないよ」
「…そ、そっすか」
「うん、優しいなあって思ってただけ」

まだ笑いが止まらなくて、口元を手で隠しながらできる限り堪える。堪えきれてないけど。

「別にこんなの、優しくもなんとも……まあいいけど……」

二人して作業に戻って、なんか今なら言えそうな気がしたので、手を動かしたまま、またちょっと勇気を出す。

「昨日、ごめんね、その……わたし、君のこと考えてなくて」

じわ、と汗ばんてきた手を慌ててスカートで拭う。本を汚してはいけない。いけないぞわたし。

「……それは違うでしょ」

え、と漏れた声と同時に、反射的に、彼の顔を見る。彼も私を見ていて、これたぶん作業しながらの会話じゃなかったなと今更気づいた。

「アンタは、これは勝手な想像だけど……互いにひとりのほうが楽だろうと思って席立ったんじゃないすか」
「……うん、思った」
「それは、俺のこと考えたってことにはならないんですか」

抜き取っていた本を、思わず抱える。何も言えなくて、私は彼の言葉の続きを待った。

「……だから、ええと…俺もそっちのが楽っすけど、仕事やらせてるってなると話がかわるっつーか…」

アンタに押し付けられたって気がなくても、と彼が付け足す。
私は慎重に言葉を選びながら、ゆっくり、言った。

「つ、つまり…お互い、考えてたけど空回りしてた、ってこと…?」
「あー…そうっすね。知らなすぎたってのもあるかも」
「じゃ、じゃあ…」

本を握りしめた手に力がこもる。ふう、と息を吐いて落ち着く、落ち着く。

「これから知っていくっていうのは、どうでしょうか」

彼が、目を丸くして固まって。間違えたか、と揺れ始める寸前。

「い、いいんじゃ、ないでしょうか…?」

くだけた口調で言ったのがおかしくて、頬が緩んだのがわかった。
そして、一瞬、彼の口元が、優しく綻んだように見えて。
──なんか今日、ちょっといい日だ。

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