夕焼け。いつも通り、ふたりきり。閉館三十分前。昨日と同じ。でも、昨日と同じことをしたら、また嫌な思いをさせてしまうとわかった、ので。
「あ、あの」
彼が私の方を見る。反射的に、視線を逸らしてしまう。
「本の、整理しようと思うんだけど、手伝ってもらってもいい、かな…?」
「…もちろんっす」
たはー、と喉に詰めていた空気が抜けて、一気に肩の力が逃げる。よかった、怒ってない。たぶん。
「ありがとう」
立ち上がって彼に背を向けても返事がなかったので、少し、少しだけ、さりげなく振り返る。
「……いや、」
同時に、彼が言った。
「俺が頼んだことなんで」
礼とか別に、と語尾をすぼめながら、彼は続けた。やっぱり、怒ってない。いいひと。
「でも、助かるし。感謝してるのはほんと、だから」
彼はしばらく私の顔を見て、何も言わずに、正確には、なにか言いたげだったけど、そのまま目を逸らしたので会話は終わり。本棚に移動して、昨日の続きから。
「上の方俺がやるんで。アンタは下の方よろしくっす」
てっきり本棚ごとに分担だと思っていたので、一瞬固まる。でも、よかった。その方がとても助かる。踏み台持って歩くのちょっとめんどくさいし。
「うん、ありがとう」
優しいなあ。
「……あっ、ええと」
急に焦ったような声を上げたので、彼を見上げる。
「いや、身長をバカにしたとかじゃなくて、そういうのじゃ全然ないんっすけど」
どうやら、私のさっきの沈黙を、気を悪くしたと勘違いしたらしい。思わず、吹き出してしまった。
「バカにされたなんて思ってないよ」
「…そ、そっすか」
「うん、優しいなあって思ってただけ」
まだ笑いが止まらなくて、口元を手で隠しながらできる限り堪える。堪えきれてないけど。
「別にこんなの、優しくもなんとも……まあいいけど……」
二人して作業に戻って、なんか今なら言えそうな気がしたので、手を動かしたまま、またちょっと勇気を出す。
「昨日、ごめんね、その……わたし、君のこと考えてなくて」
じわ、と汗ばんてきた手を慌ててスカートで拭う。本を汚してはいけない。いけないぞわたし。
「……それは違うでしょ」
え、と漏れた声と同時に、反射的に、彼の顔を見る。彼も私を見ていて、これたぶん作業しながらの会話じゃなかったなと今更気づいた。
「アンタは、これは勝手な想像だけど……互いにひとりのほうが楽だろうと思って席立ったんじゃないすか」
「……うん、思った」
「それは、俺のこと考えたってことにはならないんですか」
抜き取っていた本を、思わず抱える。何も言えなくて、私は彼の言葉の続きを待った。
「……だから、ええと…俺もそっちのが楽っすけど、仕事やらせてるってなると話がかわるっつーか…」
アンタに押し付けられたって気がなくても、と彼が付け足す。
私は慎重に言葉を選びながら、ゆっくり、言った。
「つ、つまり…お互い、考えてたけど空回りしてた、ってこと…?」
「あー…そうっすね。知らなすぎたってのもあるかも」
「じゃ、じゃあ…」
本を握りしめた手に力がこもる。ふう、と息を吐いて落ち着く、落ち着く。
「これから知っていくっていうのは、どうでしょうか」
彼が、目を丸くして固まって。間違えたか、と揺れ始める寸前。
「い、いいんじゃ、ないでしょうか…?」
くだけた口調で言ったのがおかしくて、頬が緩んだのがわかった。
そして、一瞬、彼の口元が、優しく綻んだように見えて。
──なんか今日、ちょっといい日だ。