#19


「出ました、距離1.3 速度125 深さ16です」
「ちょっと、何やってんの?その肉、どうしたの?!」


朝からラボは大賑わい。今日は解剖のない日だから、私は自分の鑑定書をまとめたり、試料の確認を行っていた。出勤して、ミコトさんと夕子さんが大きな肉の塊を持ってきたときには、そりゃ驚いたけど。


『自腹ですって』
「自腹?!」
「こんな大きな買い物、全自動洗濯機買った以来です」
「思い切ったねー」
「感情的にね」


ミコトさん達の会話に思わず笑ってしまう。私の好きなミコトさんはこういう人だ。しっかりとした信念を持って、事実を見つけようとしている。それが今目の前で行われてる実験なわけで。ミコトさんの熱気に若干、所長が引いてるのがわかる。


「これ見せない方が良いよね?」
「はい…見せちゃダメです」
『え、なんですか、これ』
「参ったなあ、なんでこんな書き方するかなあ…」


所長の手には一枚の紙。チラッと内容を見ると、週刊誌のネットニュースの記事みたいだ。そこには《理性の検事vsヒステリー女法医学者》の文字が。また怒りがフツフツと湧いてくる。


「名前さん、すいません。ちょっと変わってもらっても良いですか」
『え?久部くん?』


ネットニュースの紙切れを持ったまま、部屋を出て行った久部くんに、違和感を覚える。なんだろう、たまーに彼に対して何か感じることがあるんだけど。それが何なのかわからない。仕方なく久部くんが座っていたところに腰を下ろし、計測の手伝いをした。


「あれ、名前に変わってる」
『久部くん、なんか用事あるみたいで』
「久〜部〜く〜ん!仕事ほっぽりだしてどこ行ってんのー!」


ミコトさんの呼びかけに、戸惑いながらも戻ろうとした久部くんの近くには中堂さんが。あ、中堂さんが持ってる紙ってもしかして…


「事実は明々白々だったんじゃないのか」
『ちょっと、中堂さん!』
「ヒステリー女法医学者。格好の餌だな」


ミコトさんには見せまいと紙に手を伸ばしたけど、身長差のある私と中堂さんでは意味がない。ネットニュースの内容はミコトさんや夕子さんまでも知ってしまった。


「そちらの訴訟はどうなんです?坂本さんの代理人と会ったんですよね?」
「ああ…訳がわからなかった」


所長から聞いた話を思い出して私は思わず笑いそうになってしまう。坂本さんは中堂さんの辞職を望んでいるけれど、勿論それを拒否。和解を拒否するのであれば、精神的苦痛に対する慰謝料と心からの謝罪を裁判でして欲しいとのことだった。


『ふふ、ふ、』
「え、名前さん、何がおかしいんですか」
『いや、だってねえ…』


急に笑い出した私に若干引き気味の久部くん。だってこの後の展開を聞いたら、誰もが笑ってしまうと思う。


「パワハラで訴えられてるのわかってます?」
「何をもってパワハラなんだ」
「今まで臨床検査技師の人達辞めさせてますよね」
「あいつらは勝手にやめた。俺は何もしてない」


コーヒーを飲みながらソファーに移動する中堂さんに心の中で毒を吐く。何もしてない、というよりかアナタのその態度が辞めていった理由だというのに。気づいていない訳じゃないだろう。ミコトさんの微妙な表情をみて、みんな中堂さんへの視線を外す。


「中堂さん…今まで言おうか言うまいか、ずーっと迷ってたんですけど。」
「ん?なんだ」
「中堂さんって…相当感じ悪いですよ」
『ぶふっ!』


まさかのミコトさんの発言に目を見開いた中堂さん。私もさすがに笑いが抑えきれず吹き出してしまった。それは夕子さんも同じだったようで笑い声を必死に隠そうとしていたのがわかる。それにしても。中堂さんは、本気で気づいていなかったのか?もしや天然…?ミコトさんが久部くんへ視線を送り、何か言うよう指示をしている。


「よ、良くは…ないかも、です」
『え、中堂さん本気で気づいてなかったんですか?』
「人の感じ方まで責任持てるか!」
「愛想を振りまけとは言いませんけど、立てなくて良い角を立てることはないでしょ?」


ミコトさんの言葉に私は大きく頷く。中堂さんは無駄にトゲトゲしすぎなのだ。ちゃんと優しい面もあるというのに、トゲトゲしさが目立ってしまってる。


「108回…と言われた」
『ふふっ、その話、しますっ?』


108回。それは坂本さんが中堂さんを訴えるのにあたり、今まで言われてきた《クソ》の回数。たまにメモ帳を持って何かをしてる坂本さんを見かけたことがあったけど、まさかそんな事をしているとも思わず。


『クソのバリエーションありすぎですよね。そして月曜日が多いとか笑えるー』
「ちょっと名前さん、そんな笑って…」
「いちいち記録してたんだ、あいつは…信じがたい。」
「108回も言う方が信じがたいです」


ミコトさんの言葉にきっとラボ内の皆んなが頷いたはずだ。まあ、中堂さんは坂本さんに対して言った、と言うより色んなところで言ってるから口癖のようなものなんだろうけど。ミコトさんと中堂さんの会話がヒートアップして、久部くんが、とりあえず謝っちゃったら…?と会話に入る。


「だから何を謝るんだ」
「じゃあ辞めるしかないですね」
「バカか」
「わたしもこれから《バカ》って言われた回数記録します」
『じゃあ、私はアホって言われた回数にしようー』
「俺はUDIを辞めない。誰に何を言われようとな」


そう言いながらカツカツと靴を鳴らして、出て行く中堂さんを見つめることしか出来なかった。詳しくは知らないけれど、中堂さんがこのUDIラボにこだわっているのは何となく気づいていた。はあ、っと息を吐いて自分の仕事へと意識を切り替えることにしよう。






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