今日はミコトさんに内緒で三澄家へお邪魔していた。以前から顔見知りで何度かお邪魔したことはあったけれど、ミコトさんに内緒で来たのは初めて。
『秋ちゃん、塩胡椒取って』
「はい」
「名前ちゃん、悪いわねー。手伝ってもらっちゃって」
『いえ、私も急にお邪魔しちゃったので』
秋ちゃんと一緒に夕食準備をしていると、ミコトさんが帰宅して私の姿を見るなり、ビックリしていた。いつもなら笑顔を見せるはずの彼女が少ししょげたような顔をしている。そういえば仕事後、弁護士さんがくると言ってたけど、何かあったのだろうか。
『え、罪を認める?!』
「奥さんに虐げられてたせいで、女という女が信じられないんだって」
『また、女、女って…』
「こじらせてんなー」
同じく弁護士の夏代さんがPCで今回の事件の概要を見ていた。ネットでも論争が起こっているらしい。もう、何なら夏代さんがこの事件の弁護をして女性差別発言を指摘してほしいくらいだ。
「これ何、豚肉?」
『ミコトさんが自腹切って買って実験したの』
この間の豚肉を使っての実験結果をミコトさんが話すと、夏代さんは《ぬるい!》と一括。この程度の推論では烏田検事に勝つのは難しい、と。私達に何かできることは無いのだろうか。
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「あれ、名前?」
『夕子さん、ミコトさん。おはようございます』
翌朝、私は地下にある事件の試料置き場へとやってきていた。ミコトさんも私と同じ考えだったようで試料の調べ直しをするようだ。
「検察にぎゃふん!と言わせる証拠を見つけて、桜小路さんを説得する」
「カラスにぎゃふん!言わせたい!」
『同感です!』
まずはホルマリン浸けにされた傷口の調べ直しから。顕微鏡で詳しく見ても、微妙な感じで。左利きか右利きかは3DCGで初めてわかったことだ。正直、ほかに証明しようがないのが現実。
『次は、被害者の血液ですね』
「背骨に刺さった包丁が、わずかでも刃こぼれしていたら…」
「真の凶器の成分がわかる!」
「yes!」
血液鑑定をするために、被害者の血液を持って歩く2人の後ろをついていく。これで何か出てきたら。ほぼ祈るような気持ちでの再鑑定だった。
「何か出た?」
「ん?疑問が出た」
『疑問?』
「検察の主張する凶器はセラミックでしょ?セラミックじゃない包丁って…」
『鉄かステンレス!…って、あ、』
気づいてしまった。鉄もステンレスも主成分は鉄。と、いうことは血液中に含まれる鉄の成分と混じって判別できないのだ。セラミックが出てきたとしても、検察の主張を否定することはできない。
「じゃあアレは?」
『え?さっき調べたやつですか?』
「皮膚じゃなくて、液体。ホルマリン液。」
『…そっか、傷口に付着した凶器の成分が液体に拡散してたら、』
「凶器の主成分が鉄だったとしても…血液と違って分離できる!」
新たな可能性が見つかって、ホルマリン液を再度調べることになった。白衣のポケットに入っていた携帯がブーブーっと音を鳴らし、画面を見ると久部くんからの連絡。少し離れると2人に告げてから、通話ボタンを押す。
「名前さん、あの!」
『え、どうしたの、そんな焦って』
「坂本さんが!!」
電話口で慌てている久部くんが言うには、ロッカー室で偶然坂本さんに出会ったらしい。お気に入りのムーミングッズを取りに来たのだろう。何とか説得を試みようと追いかけている、との連絡で今は自転車置き場の近くにいるようだ。
『ミコトさん、夕子さん!ちょっと、私一旦抜けますね!』
同じ中堂班として、やはり坂本さんとは少し話がしたかった。急いで自転車置き場のところへ向かうと、何やら久部くんと坂本さんが話し込んでいて、出て行くにも行きづらく、足を止める。
「久部くんは、いい人だけど、そっち側の人間だよね」
「そっち?」
「何年か浪人したって言ってたけど、浪人してまで医学部入れるなんて、お金持ちだけだよ」
そう言われた彼がどんな表情をしているのか、私がいる位置からはわからない。だけど、久部くんなりに何か思うことはあるんだと背中から感じる。
「未来がある人から見たら、僕のやってることなんて、浅ましいんだろうね」
ムーミンのツボ押しを手のひらに押し付けながら話す坂本さんに、私は申し訳なさでいっぱいだった。同じ中堂班として働いていたのに。私は彼に何もできなかった。
『…坂本さん』
「あ、名字さん…なんか、ごめんね、こんなんなっちゃって」
悲しそうに謝る坂本さんを前に私は頭を下げた。
「え、名前さん、?」
『坂本さん、すみません。私、同じ中堂班だったのに何も出来ずに』
「名字さんが悪いわけじゃないんだから、頭あげてよ」
『中堂さんは必要以上にトゲトゲしてるし、毎日暴言を吐かれてると辛くなるのも私が一番わかってたのに。』
もし私が坂本さんへのフォローができていたり、ミコトさんみたくハッキリ中堂さんへ指摘していたら、坂本さんだけでなく今までの検査技師の人たちも辞めずに済んだんじゃないかと思う。
「僕ね、名字さんに救われてたよ」
『え?』
「毎日、胃が痛むような仕事だったけど。君が今日も頑張りましょうね!って言ってくれるたび、少しだけ頑張れる気がしてたんだ」
『坂本さん…』
「こんな形になっちゃったけど、君には感謝してる。ありがとうね。」
そう言って、坂本さんは自転車に跨り、ラボを後にした。私と久部くんは、なんとも言えない気持ちで、その場に立ち尽くすことしか出来ないでいる。
「名前さん」
『なぁに、久部くん』
自分の右手にほんのりと熱が宿る。チラッと右手を見ると、しっかりと久部くんの左手が繋がっていた。ゴツゴツした男らしい指を、ぎゅっ、と握り返す。
『ありがとう、久部くん』
「…こちらこそ」
彼は一体今何を思っているのだろう。わたしにはわからないけど、彼が凹んでいる私を励まそうとしてくれた、という気持ちは伝わってくる。坂本さんとの会話を少し聞いてしまったわたしは、彼にも私の気持ちが伝わるように、と握り返した手に少し力を込めた。
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