今日も解剖依頼はどんどんと入ってくる。相変わらず神倉所長は、解剖に入っても仕事ができないため、不服ながら私が中堂さんの助手を務めて久部くんが両方の記録員を兼任することとなった。
「久部くん、損傷部の写真お願い」
「はい」
「12×10ね」
「頸部に縄状の傷跡あり」
「はい」
「すい臓110g」
「脾臓が鬱血。85g」
みんな、普段通りの解剖を行なっているから口々に解剖所見を伝えていくけど、お忘れではないだろうか。全てを記録するのは久部くん1人だけだということを。彼は慌ただしく三澄班と中堂班を行き来している。
『あのー…みなさん、』
「おい、早くしろ」
「自分で書きまーす」
『あの、久部くんが…』
「久部!」
「久部くんー」
「ああ!もう!!限界っす!!」
さすがに2人分のご遺体の記録を1人で記録するには無理があったようで、久部くんの大声が解剖室に響く。私が記録員を両班兼任していた時は、時間差で解剖してもらうようにしていたから、何とかなっていたものの。
「こんなの、1人で間に合うはずないじゃないですか!!」
彼の悲痛な叫び声が、みんなの手を止めた。うん、うん。久部くんは十分に頑張ったよ。とりあえず今解剖しているご遺体の記録は私も助手をしつつ手伝ってやり過ごすことができた。解剖室の掃除をしながら神倉所長に、体制に無理があると告げると、出てきた答えが、
「新しい人が決まるまで、解剖の受け入れをを減らしましょう」
『やっぱ、そうするしかないですよね…』
「近隣の医大に割り振ってお願いして、受け入れてもらえない場合は諦めると」
「諦める?」
「解剖しないで焼いちゃうってこと」
出来れば依頼が来たご遺体、全ての解剖を担いたいところだけれど現状的に厳しすぎる。ミコトさんの案で、司法解剖はお断りして調査法解剖を中心にすることになった。解剖で使ったボウルやまな板を洗剤で洗い流し終わり、一息つく。
「中堂さんは、三澄班のサポート」
「はあ?」
「一つのご遺体に、法医解剖医か2人入れば時間短縮になるでしょう」
所長の言葉に、明らかに機嫌が悪くなった中堂さん。ミコトさんは2人体制で賛成、中堂さんは不満を漏らすも所長に選択権はない、と言われ、いつもの《クソっ》が出てきたわけで。
「何でやめたんだ、坂本は!」
『え、中堂さん…』
文句を言いながら流し台を擦る彼に、みんな《信じられない…》といった表情。坂本さんがやめたのは自業自得だっていうのに。本当にこの人は相変わらず、だ。
『中堂さん、この間の解剖の鑑定書です』
「ああ」
所長室でキャンプ道具のメンテナンスをしている中堂さんに、先日の解剖の鑑定書を渡す。中堂さんは、恋人の他殺体を自分で解剖した。その行為は隠蔽工作だと騒がれて、誤認逮捕。法医学者はその気になれば、犯人のDNAを捨てたり、傷跡を消すこともできる。
「おい、どうした」
『…なかどうさん、』
彼の恋人、糀谷夕希子さんを殺した犯人はまだ見つかっていない。UDIは厚労省や全国の医大を結ぶ大きなネットワークがあり、多くのご遺体の情報が集まるのはココだけだ。
「なに、ぼーっとしてる」
『あの、』
《赤い金魚》彼は、それを今も探し続けている。糀谷夕希子さんのご遺体の口の中に刻まれた印。警察を動かすほどの証拠にもならない、かすかなものを彼は8年前からずっと。
『へ?』
「なんだ、熱があるわけじゃないのか」
私のおでこにピタっと何かが触れたかと思えば、ソレは中堂さんの大きな手のひらだった。私が余りにもぼーっとしていたからか、熱があるのかと思ったらしい。
『いったあ!』
「体調悪いわけじゃねーなら、早く仕事戻れ」
『…はーい、』
おでこに触れていた手のひらはすぐに離れて、次は小さな痛み。中堂さんにデコピンされたのだ。地味に痛くてヒリヒリするおでこをさすりながら、所長室をでて行く。
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「あれ、名前さん、どーしたんですか、おでこ」
『え?あー、これ、ね』
慌ただしかった午前中の解剖も終えて、時刻は午後15時。もう今日の解剖はないので、自分のデスクで書類整理をしていた。現場調査に行って帰ってきた久部くんにおでこの赤みを指摘されると、また痛みを思い出した気がした。
『朝、ぼーっとしてたら中堂さんにデコピンされたの』
「え、中堂さんってデコピンとかするんすか」
『ねー。これが地味に痛くてさ』
もう痛みはないはずのおでこをさすって、コーヒー牛乳を一口飲む。退勤時間まで、あと2時間半。そういえば、明日朝一で解剖するご遺体の情報が入ってたはずだ、と乱雑に資料が置いてあるデスクを探る。
『明日の朝一で解剖するご遺体、青森からなんだって』
「青森…。随分遠くから」
『MERSの事件でうちのこと知って、いつか何かあったら死因究明してもらおうって思ってたんだって』
「何かが起こってしまった…ってことですかね」
そういう事だね、と返事をしてコーヒー牛乳を飲み干した。人間、自分を含めて何があるかは分からない。いつ何処で死と直面するかなんて分からないのだ。
『私には無理だなあ、』
「え?」
『大切な人だからこそ、出来なかった』
中堂さんは強い。そして、ミコトさんも。法医解剖医として、大切な人だからこそご遺体となった時自分で解剖して死因究明をしたい、と思える強い意志があった。
「…親友、のことですか?」
『ん。ちょっと思い出しちゃった。私は非力だわー。』
PCの前に突っ伏して、大きなため息をひとつ。私が中堂さんにしてあげられることってなんだろう。何をしても、余計なお世話だと言われてしまうだろうけど。
「名前さんは、凄いです」
『えー?』
「今日、記録員を両班兼任して、俺が来るまでコレを名前さん1人でやってたんだ、と思うと。すっげーなあ、って」
『あはは、そう?』
「はい、だから、凄いです」
突っ伏したまま、隣の久部くんを見上げる。真剣な顔で、伝えてくれる彼に頬が緩んでしまうのは仕方ないと思う。そっと手を差し伸べて、彼の手が私の頭を撫でる。
「…元気、出してください」
遠慮がちに触れる彼の手が心地よくて、ありがとう、と感謝を述べてから静かに目を閉じる。ああ、なんか。久部くんに触れられるとドキドキするけど、嫌ではない。それ以上に安心する。その理由は何となく気づいているけど、今は気づかないふりさせてほしい。
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