翌朝。オフィスでネットニュースを見ていると、週刊ジャーナルの記事が目にとまる。あれ、これってこの間の蜂蜜ケーキの…
「広告効果といえば、週刊ジャーナル!」
『あれ、夕子さんも見てたんですか?』
タブレットで同じ記事を夕子さんも見ていたらしい。記事の内容に目を通すと《ワンマン社長にNOを突きつけた従業員の反乱》の文字が。ミコトさんの母、夏代さんも大喜びらしく、この記事のおかげで社長が弱腰になり示談に持ち込めそう、らしい。
『ん?この写真って…』
肘をつきながら、PCのマウスを動かすと、マンホール探しをしている社員の写真が掲載されていた。この写真って、あの場にいないと撮れないはずだ。社員の誰かが撮ってた?
『ねえねえ、久部くん』
「なんですか」
『…久部くんも、この時写真、』
「名字、下に来たぞ。青森からの遺体」
『え?あ、はい、準備します!』
青森からのご遺体が到着したらしく、慌てて準備をする。ご遺体のお迎えはミコトさんたちにお願いして、私はスムーズに解剖が行えるよう準備をしておかなくては。
「旦那さんは死因を疑っているんですか?」
「いや、死因っていうか警察は自殺と判断したの。」
『だけど、鈴木さんが妻は自殺するはずない、って』
術着に着替えながら、情報の共有をする。警察が自殺と判断したのは、目撃者がいたらしい。釣り人が奥さんが海へ飛び込む姿を見たと。
「事故死なら良いですね、」
『そう願いたいけど、溺死の判断って難しいですよね』
「そう。うっかり落ちたとしても、自ら飛び降りたにしても、溺れ死んだら全部溺死で、法医学的所見は同じだから」
マスクをつけて、解剖室へ入る。旦那さんは、きっと事故死であってほしいと願ってるだろう。難しい溺死の死因究明は、中堂さんとミコトさんにかかっているのだ。
「肺の膨らみが少ないね」
「それは溺死じゃないってことですか?」
「ううん、死後5日経ってるから、その間に水が抜けて肺が萎んだと考えるのが妥当。周囲に胸腔液も溜まってるし…ですよね?」
「いちいち確認するな」
『せっかく2人いるんだからダブルチェックで良いじゃないですか。中堂さんのケチ』
そう言うと、ギロリと睨まれたけど気にしない。夕子さんが胸腔液を採取する。やはり法医解剖医が二人にいると解剖も手早い。ボードに記録しようとペンに手を伸ばした時、慌てた様子の所長と木林さんが解剖室に入ってきた。
「あああー!!!」
『え、木林さん?』
普段聞かない木林さんの大きな声に、みんなの手が止まった。と、同時に《開けちゃったか…》という所長の落胆した声。
「それ、うちのご遺体です」
『え?どういう…』
全員の視線が、解剖中のご遺体に集まる。なんとこのご遺体は、木林さんの葬儀場から盗まれたものだと。
「三澄さん、今、死体損壊罪になってます…」
「…えっ?」
ミコトさんは目を丸くして、解剖室は静寂に包まれた。とりあえず、このご遺体はご遺族からの解剖許可が出ていない、とのことでこれ以上は何もできない。ミコトさんは警察に事情を話しに行くため、中堂さんがご遺体の縫合をすることになった。
「名字、手伝え」
『あ、はい、』
所長や木林さん、三澄班の3人も解剖室を去って、私と中堂さんのみになる。縫合するための針と糸を用意するけれど、何やら中堂さんの様子がおかしい。なぜ、縫合するだけのご遺体の肺が摘出されているのか。
『え、ちょちょちょっと、中堂さん、肺を忘れてます…!』
「俺は警察の奴らに遺体を閉じて返せと言われた。だが、取り出した肺を体に戻せとは一言も言われていない」
『それ、屁理屈ですよ…』
そうこう言っている間に、ご遺体の縫合が終わる。ちょっと、本当に肺をしまわず、綺麗に縫合しちゃったよ。これ、後からバレたら大変なことになる。
『…中堂さんは、内緒で鑑定するつもりですか』
「遺体の縫合は指示されたが、鑑定するなとは言われてない」
『本当、屁理屈。』
今までの中堂さんなら、ひとつのご遺体にこんなに執着することなどなかったのに。やっぱり、旦那さんの気持ちが痛いほどわかるからなのか。
『…どうして、一つの案件にここまでするんですか』
中堂さんを見つめて、問いかける。私から視線を逸らし、彼が発した言葉はびっくりする程、か細かった。
「お前は…事件のことを知ってるんだろう」
『、中堂さんの恋人の事件、ですよね』
「考えたことがあるか?永遠に答えの出ない問いを繰り返す人生。」
今、結論を出さなければ。もう二度と、どうして死んだのかを知ることはできない。そう中堂さんがポツリと言葉を紡ぐ。ああ、やっぱり。彼は鈴木さんと自分を照らし合わせてる。
『中堂さんは…強いですね、』
「別に強いわけじゃない。」
『私は、怖くて逃げ出しました。大切な人を目の前にして。』
親友がご遺体として解剖室にやってきた日のことを今だに夢に見る。毎回私は怖気づいて逃げ出して、後悔する永遠のループ。彼女を殺した犯人は見つかって逮捕されたけど、中堂さんはそうじゃない。8年前からずっと《何故、死んでしまったのか》問いかけているんだ。
「俺は…怖さを知ってる人間こそ、強いと思ってる」
『え?』
「毎日、遺体と向き合ってると感覚が麻痺する。死に慣れすぎて、その怖さを忘れてしまいがちだ」
『そう、ですね』
「だが、お前は死の恐怖を忘れず遺体と向き合ってる。その方が実は凄いことなんじゃないのか。」
『…中堂さん、』
これは、彼なりに私を励まそうとしてくれているのだろう。お互い解剖室の掃除をしながらの会話だから彼の顔は見ることができないけれど。
『ありがとう、ございます』
「別に礼を言われる覚えはない。…そこに置いてある容器、保管庫に入れておけ」
『わかりました』
掃除も終わり、中堂さんに言われた通り、白い容器を保管庫に入れ鍵をしめる。あれ、この白い容器って、確か…
「名字。」
『、はい、』
「これで、共犯だな」
ニヤリと悪そうな笑顔を浮かべて、解剖室を出て行った中堂さん。そうだ、今しまった白い容器の中には、先ほどのご遺体の肺が入れられていたのだ。
『…共犯、』
もしバレたら、職を失いかねない事件の共犯者となってしまった。主犯はあくまでも中堂さん。だけど、この案件、このままで終わらせて良いとは思えないのが、強く言えない理由とひとつ。
『どうか、バレませんように…』
もう、こうなったらやるしかない。祈るような気持ちで、保管庫の鍵を強く握りしめた。
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