ピンポーンと部屋のインターホンが鳴り、画面を確認すると久部くんの姿。そう、私たちが忘れていた《肝心なもの》すなわち、顕微鏡を届けてもらうよう中堂さんから連絡してもらったのだ。
『いらっしゃい、どうぞ入って』
ドアを開けて招き入れると、私の姿を見て一瞬動きが止まった久部くん。
「そこまで関係が…」
『関係?』
「うすうすは分かってたんで、」
なんだか余所余所しい態度の彼に、疑問がわくばかり。とりあえず部屋に上がってもらう。
「あの、おめでとうございます…」
『…ありがとう?』
よく分かんないけど。おめでとう、と言われたのでありがとうと返事をする。ゴム手袋をはめて、必要なものを開ける。中堂さんはキッチンでプランクトンを検出するための液体を作っていた。
「これは…」
「遅い」
『もー、中堂さん。重いのに久部くん持ってきてくれたんですから』
部屋中に広がる材料をみて、驚きを隠せないでいる久部くんに説明をする。果歩さんがどの地点で亡くなったのか、所長に内緒で調べていることと共に。
「なるほど、なるほど、はい!」
『ねえ、そういえばさっきのおめでとうって何?』
「いやいや!手伝います!!」
先ほどの暗い顔は何処へやら。急に笑顔でやる気の出した久部くんに、顕微鏡はテーブルに置いてーとお願いをした。
『どうですか?』
「クソっ、ゴミばっかだ」
「ばっかりですね」
顕微鏡を覗く中堂さんとミコトさん。普通は懐機法か酵素法で検出する。これは強い酸か酵素を使って邪魔なものを溶かして、プランクトンを検出するっていう一般的な方法。
『でも、これだと硬い殻を持つプランクトンしか検出できないの』
「硬い殻を持ってないと、一緒に溶けちゃう?」
「そうそう、だからウニの幼生のプランクトンは、主にタンパク質だから柔らかくて、こういったやり方で試して行くしかない」
「ウニのプランクトンを破壊しないように弱い酸で処理してるから、邪魔なゴミが残る」
この方法しかないのだけれど、これならどれだけの時間がかかるのか。試しに私も顕微鏡を覗いてみたけど、ほぼゴミだらけで何も見えなかった。
「もう、ラボだったら楽なのにー…」
誰もが思っていることを言おうとしたミコトさんに、中堂さんがひと睨み。このままじゃ埒があかない、ということでミコトさんが助っ人を呼ぶことに。
「東海林さん来てくれました」
「東海林〜」
『夕子さ〜ん!』
助っ人とは、こういう時こそ力になってくれるだろう臨床検査技師の夕子さんだ。入ってくるなり、あんた達本当仕事好きね、とすこし呆れたような感心したような様子。
「これの方が水酸化ナトリウムの含有量が高くて粘り気があるから」
「よくやった」
「殻のないプランクトンを殺さない程度にゴミを減らせると思う」
『さすが夕子さん!』
「さすが臨床検査技師!」
本当に救世主のように夕子さんがキラキラして見える。久部くんと一緒に、ちまちまと作業している横に夕子さんが座る。彼女が持って来た袋の中にはたくさんのお酒とつまみが。
「飲む気満々ですね」
「異性間交流会を切り上げて来たんだから良いでしょー」
『どうでした?』
「超不毛!超ド級の不毛!」
そう言いながら夕子さんが私と久部くんに差し出したのは赤ワイン。ああ、これ一緒に飲むの付き合えってことだ。
「大体さ、来た男4人中2人が既婚者よ!信じられる?」
「そりゃダメだ、最低だ」
『既婚者なんてお呼びじゃないですよねー』
私たち3人は赤ワインとつまみを手にほろ酔い気分。夕子さんの登場により、プルテウス幼生を見つけやすくなったミコトさんと中堂さんは真剣に顕微鏡と向き合っている。私たちこんなんで、ごめんなさい、と思いつつも止まらないワイン。
「信じらんない、何しに来たって話よ」
「そうだ!何しに来たんだー!」
『何しに来たんだー!』
中堂さんが「何しに来たんだ、こいつら」と小声で言っているのも酔いのせいか聞こえてこない。
「東海林さん、そんな男ばっかじゃないですよ。ほら、鈴木さん見てください」
『…すずきさん、』
「鈴木さんは、果歩さんのこと…めちゃくちゃ好きだったんです。…人生、全部だったんですよ」
人生全部だったと言っても過言ではないくらい、彼女を愛していた鈴木さんの想いを考えると、鼻の奥がツーンとして目が熱くなる。
「そんな、人のこと好きになれるってあります?」
「…いいねー!!!」
夕子さんが半泣きになりながら「思われたいねー!!」と叫ぶ。本当、本当に。それだけ想われたら、どんなに幸せなことか。ワインを一口飲んで、ふと中堂さんを見ると、密かに優しく笑っている姿が。あ、きっと今。亡くなった恋人を思い出してるんだ、と思ったら私の涙腺は崩壊した。
『う、う〜…!』
「え〜、名前さん、泣いてるんすか〜」
『ぐべぐ〜ん〜!!!』
隣にいる久部くんに抱きついて、涙する。どうして神様は鈴木さんと言い、中堂さんと言い、愛している人を奪うのか。そう思うたびに涙は溢れて止まらない。
「名前さーん、泣かないでー」
『泣いてないー!!!』
「はいはい、よしよし」
ぎゅっと強く抱きしめられながら、頭をポンポンと撫でられると、気持ちが落ち着く。ああ、このまま酔いにまかせて彼に甘えても良いかな。名前ちゃんは良い子だよー、と同じく酔っているであろう久部くんの腕に抱かれたまま目を閉じた。
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