翌朝、今日の解剖依頼の書類に目を通す。オフィスを見渡すと夕子さんがまだ来ていないようだ。
「あれ?東海林みた?」
「いえ、」
『珍しいですよね、夕子さん。遅刻なんてしたことないのに』
昨夜は高級ジムの飲み会だったはず。変な飲み方はしてないだろうけど、いつもは飲み会の翌日でも遅刻なんてしたことないのに。大丈夫かな?と心配していると、ミコトさんの携帯に夕子さんからの着信が。
「もしもし?」
ミコトさんが通話ボタンを押して、すぐ夕子さんの慌てた声が電話口から聞こえた。今すぐ来て!という声に私とミコトさんは不思議そうに目を合わせる。事の内容を聞いたミコトさんが頭を抱えてから電話を切った。
『あの、ミコトさん、夕子さんは…?』
「中堂さん。ちょっと名前借ります」
『え?』
パパッと何やら準備して、行くよ、と手を引っ張られる。とりあえず携帯と財布だけ手にして彼女の後をついて行くと、今夕子さんに起きていることを説明してくれた。
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『…死んでますね、』
「状況から見て、酔った勢いでまぐわったという」
「まぐわってない…!」
ホテルのカーテンにくるまって、半泣き状態の夕子さん。彼女が目を覚ましたら、隣で半裸の男が死んでた、と連絡が来たもんだから、そりゃビックリだ。お相手の男性の脈や瞳孔を確認して、死亡しているのは確か。
「でもさ、」
「私、服着てたし!何よりこの人、全く好みじゃない!」
『確かに夕子さんは薄顔が好みですもんね』
「それは大事だね」
「大事でしょ?!どんなに酔ってても、好みじゃない男に走ったりしないでしょ」
「じゃあ、その好みじゃない男の人と、ここで何を?」
「同僚として聞いてる?それとも、法医学者として聞いてる?」
両方。と言い切るミコトさん。まずは警察に連絡しなくてはいけない。毛利さんに連絡を取ってから、夕子さんに昨夜あったことを全部聞いて行く。
「正直に言うけど…全然覚えてない、」
『全然、』
「全く、」
『この人が誰かも?』
「ああ、この人は権田原さん。ACIDジムの会員…例の高級ジムの会員で、」
彼は昨日一緒に飲んでいたうちの1人らしい。隣に座らされて、お酒を勧められたけれど酔うほど飲んだ覚えもない、と。確かに今の夕子さんは二日酔い、という状態にも見えない。
「でも会の終わり頃、急に眠気に襲われて、」
『急な眠気…』
「おかしいな、って思いながら店を出て…」
権田原さんに送ります、と言われ断ったけれど、そこからの記憶はなく気づいたら朝。ここに居た、ということになる。もしかしなくても、
「はい、警察来る前に血液検査しようか」
「やっぱ、そう思うー…?」
『十中八九、睡眠薬か何かですね』
「私としたことが…薬物のプロなのにぃー…」
ミコトさんが鞄の中から、採血に必要なセットを取り出す。この権田原と言う人は、夕子さんが席を立った隙に飲み物に睡眠薬を入れ、眠った彼女をホテルに連れ込んだってところだろうか。
「身元が知れてる人だし、まさかそんな…」
「知り合いだと被害を訴えにくいから、逆手に取られる場合が多い」
『さいってーですね』
「じゃあ私は、薬飲まされてここへ連れ込まれて、襲われる前に運良く相手が心筋梗塞か何かで突然死してくれたってこと?」
「それがさ、この人窒息死みたいなんだよね」
ミコトさんの言う通り、この人は突然死というより、窒息死が死因だと思われる所見がいくつかあった。微かにチアノーゼが出ていたのだ。解剖してみないと確かなことは言えないけれど。そうこうしているうちに警察が到着し、慌ただしく警察官が部屋の中を行き来しだした。
「何やってんですか」
呆れた様子で夕子さんに投げかける、刑事の毛利さん。監視カメラを確認したところ、ぐったりした様子の夕子さんを権田原さんが支えている姿が映っていたらしい。そして部屋はあらかじめ取ってあったと。
「計画的」
「最低」
『ありえない』
「でもよく知らない男と酒飲んで、酔っ払う方にも問題あると思いますけど?」
「知り合いなんです、ジムの!」
知り合いだろうと、知り合いじゃなかろうと、睡眠薬飲ませて眠ってるところを襲おうとするなんて普通に犯罪だ。毛利さんの言葉に少しカチンとくる。
「じゃあ、お互い承知の上で?」
「承知していません!」
「背中パックリ開いちゃってますしね、これ」
「どんな服を着ようと、私の自由です」
「いやいやいやいや、そうは言ってもね…」
どうして、そういう考えになってしまうのだろう。被害者にも非があるといいたいのだろうか。
「毛利さん。女性がどんな服を着ていようが、お酒を飲んで酔っ払っていようが、好きにしていい理由にはなりません。」
『そうですよ、合意のない性行為は犯罪です』
「いや、まだしてない!」
『まだしていませんが』
「でも血液から睡眠薬も何も出なかったんでしょ?」
警察が来る前にした血液検査からは睡眠薬らしきものは出てこなかった。けれど、体内の残留の少ない薬物なら、12時間も経てば検出されない場合もある。そして、やはり権田原さんの上着からは、睡眠薬らしきカプセルが見つかった。
「ほれ、出た!」
「検査に回します!」
「あのご遺体は、窒息死の可能性があります。喉に何を詰まらせたかわかりませんが、解剖は必ずして下さい」
「したくっても、どこの医大も手一杯なんです。UDIラボの稼働率が落ちてるせいで」
そんなこと言われても、こっちも人手不足で困っているのだ。毛利さんは、それに加えて男と女の揉め事まで起こして…と夕子さんを皮肉る。大変だなーと思ってもいなさそうな声で現場を去っていった。
『無事に帰らせてもらえて良かったですね』
「権田原とデキてたみたいな言われ方されてさ、どうせやるなら細川さんとやるわ」
「細川?」
所変わってUDIラボ。無事に帰してもらい、急いで解剖室へと向かう。夕子さんのお目当は細川さんという人で、紳士的な細マッチョらしい。
「待ってられないって始めちゃってますよ」
『すいません、中堂さん』
「ごめん、ごめん、」
慌てて解剖の手伝いに入る。久部くんが夕子さんに何かあったか聞くけれど、今はそっとしておいてあげてほしい。ご遺体に触れる前に、チラッと記録のボードを確認する。
「今日のご遺体は調査法解剖だよね?」
「はい、道端で突然倒れて亡くなったそうです」
中堂さんは所見を述べて、恐らく窒息死だと判断した。窒息死…、権田原さんと同じか。記録ボードの名前を見て、ふと、気づく。あれ、夕子さんのお目当の人の名前って、
『あの、夕子さん、』
隣に来た夕子さんに声をかけようとしたら、ご遺体を見て小さな悲鳴をあげた。みんなの視線が夕子さんに集まる。
「紳士的で…細マッチョ、細川さん、」
『うそ、』
細川隆文さん、33歳。昨日のお昼、昼食のために外へ出て、一人で歩いていたところ、突然倒れてそのまま亡くなった。ホテルで亡くなった権田原さんとは大学からの友人らしい。
「旧知の仲の2人が謎の窒息死か」
「東海林さん、朝から大変でしたね」
「そっとしておいて」
解剖を進めると、手首と耳の裏に発赤が確認された。権田原さんも耳にイヤーカフをつけていたし、細川さんにも同じ跡がある。イヤーカフはジムのセンサーらしく、まずは解剖を終わらせてから、そのイヤーカフの確認をすることになった。
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