解剖後、みんなでオフィス内の会議室に集まり、例のイヤーカフを夕子さんに見せてもらう。耳は毛細血管が集まっている場所でもある。なので高級ジムで使われているイヤーカフは、心拍数、血圧、体温などをリアルタイムで計測し、腕時計型の端末にデータを飛ばし、健康管理に役立てれるようになっているという。
『へえ〜、さすが月会費5万なだけありますね』
「未来だね」
「まだモニター段階なんだけど、毎日の運動量や消費カロリーもわかるから、熱心な人は日常的につけてる」
「端末に残されたバイタルデータを見れば、2人が死んだ瞬間の体内変化がわかる」
中堂さんの言う通り、この端末から死因の手がかりが出てくるかもしれない。ふと、視線を会議室の外に向けると、所長の姿が見えた。あ、やばいかも。
「細川さんの荷物って?」
「調査法解剖のご遺体なら、ご遺族に返却されるはず」
『あの、みなさん、』
「明日ご遺族のところへ行って、この端末借りてこようか…」
ミコトさんが言い終わる前に、会議室のドアをノックして、入ってきた所長。ああ、遅かった。きっと今の会話、丸聞こえだっただろう。急に入ってきた所長に夕子さんは、身体をビクつかせて驚いていた。
「皆さん、重要なこと忘れてませんか?」
『う、所長…』
「警察に連絡」
「まだ事件性だって確証は…」
「可能性はあるでしょ」
所長の言う通り、また勝手にご遺族に会って何かあったら今度こそUDIラボの存続に関わるかもしれない。所長に強く釘を刺され、一旦この話は終了せざる終えなくなった。
「…警察を通せば良いってことだよね?」
『ミコトさん、もしかして』
「ちょっと毛利さんに連絡してくる」
携帯を片手に、ミコトさんはオフィスを出て行った。まあ、毛利さんなら嫌々ながらラボに来てくれるだろう。そうこうしているうちに夕方になり、毛利さん達がオフィスにやって来てくれた。
「バイタルデータ?」
「細川さんも権田原さんも、これと同じ端末をしてたはずなんです。このデータが手に入れば、死因究明の手がかりになります」
「入手できるかな?」
毛利さんの言葉に首をかしげる。例のカプセルを調べたら睡眠薬が検出されたらしい。しかも過去に二度、権田原さんに薬を飲まされて襲われそうになった女性から相談があったそうだ。
『さいってー』
「怖いなあ、」
だけど、今回と同じように女性の血液からは睡眠薬が検出されず、一緒にいたという細川さんの証言もあったという。
「細川さんの証言?」
「酔っ払った女性が、権田原を誘ったと。つまり合意の上だったと証言したんです。二件とも」
「グルになってお友達を庇ったってことか」
中堂さんの言った通りだろう。細川さんがお目当てだった夕子さんは頭を抱えている。紳士的で良い男…と思ったことは脳内から消去したいに違いない。結局、どちらも泣き寝入りで事件はもみ消された形となる。
『…他にも被害者がいるかもしれないですね、』
「その被害者のうち、誰かが2人を殺した」
「気持ちわかるー…」
「珍しいですね、毛利さんが殺人を前提に話を進めるなんて」
確かにいつもなら、殺人を前提に話したりしない毛利さんが今回は殺人を疑っている。ミコトさんも不思議に思ったのか、問いただすと、なんとこの事件は、連続殺人事件として本庁の担当となったらしい。
「本庁?!…おおごとじゃないですか」
「理由はよくわかりませんが、こっちにも明日、本庁の人間が来ます。東海林さんの話も改めて聞きたいと」
「ええ?!これ以上、話すことないんですけど」
「私に言われても」
明日、ラボに本庁の人が来るとしった所長は大慌て。詳しく聞きたいのか毛利さんを連れて所長室へと入っていく。すかさずミコトさんが毛利さんの相方、向島さんに権田原さんのご遺体の行方を聞いた。
「明邦大?」
『あれ、明邦大って…』
司法解剖された大学名を聞いて、ある人物が浮かんできた。ミコトさんも、うん、うん、と何か頷きながら考えている。あれは、もしかしなくても明日、情報を聞き出すつもりに違いない。
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『ミコトさん、久部くん!』
翌日。コソッとオフィスを抜け出して、明邦大へ行こうとしている2人を呼び止めた。
「名前さん、なんですかそれ」
「ムーミン…?」
「フローレンです。ムーミンのガールフレンド」
透明の袋でラッピングされたフローレンをミコトさんに渡す。昨夜、仕事が終わった後、キャラクターショップへ寄り購入してきたのだ。
『これ、坂本さんに渡してください』
「…賄賂ですか」
『賄賂だなんて、人聞きの悪いこと言わないでよね、久部くん』
解剖の情報なんて簡単に教えてもらえるはずはない。だから…と言ってはなんだけど、坂本さんが以前欲しがっていたフローレンの力をお借りしても良いのではないかと思ったわけで。
「ありがとう、名前。助かる!」
『坂本さんによろしくお伝えください。お気をつけて!』
ミコトさんにフローレンを託し、2人を後ろから見送る。少し切ない気持ちを振り払って、私はオフィスへと戻った。
『ミコトさんたち、何か情報ゲット出来てるかなあ、』
「たっく、三澄さんもまた勝手なことして…」
ああ、頭が痛いです。と嘆いている所長に若干申し訳なく思いつつも、彼女たちが出て行って1時間は経った。ミコトさんと久部くんがいないのに気づいた所長も、2人が明邦大へ行き、坂本さんから話を聞こうとしてると知ってソワソワしている。
『あ、電話。私出ますね』
オフィスに鳴り響いた電話の受話器を取る。もしもし、と出ると相手はミコトさんだった。坂本さんから得た情報を聞いて驚く。警察は、毒殺の線で捜査していて、夕子さんが容疑者だという。
「私が連続殺人の容疑者?」
『ミコトさんが言うには、そういうことになってるそうです』
「じゃあ、本庁が話を聞きに来るって…」
「話じゃないな、任意で引っ張る気だ」
ソファーに座っていた中堂さんが険しい顔で言う。え、任意で引っ張るってことは、取り調べを受けるってことだよね?大変なことになってる、と所長も夕子さんもアワアワとしてしまう。とりあえず弁護士を…!と動き出そうとした瞬間、再び電話の音が。
『な、内線…です』
「はい、…警察の人間がもう来た!!」
所長が応対すると、本庁の人が来たという内線だった。ソファーから立ち上がった中堂さんに視線を送ると、彼も少なからず焦っているのか眉をひそめながら、キョロキョロしている。
『な、中堂さん…どうしましょう、!』
「どうするも、なにも…」
もうすぐ本庁の人がオフィスへ来るだろう。オフィス内にいる私も所長も夕子さんも、どうしよう?!と困惑することしかできない。ふと、エレベーター側を見ると、それらしき人たちが既にやってきていた。
「まずい、隠れろ!!」
『ぅえっ?!』
中堂さんに後ろから肩を押され、夕子さんとともにデスクの下へしゃがみこむ。所長も慌てて一緒にしゃがみこみ、中堂さんが次に口にした言葉は、まさか。という内容だった。
「立つな、一旦逃げろ」
「はあ?!」
「どういうこと!」
『逃げて良いんですか…!』
すぐそこに本庁の人が来ているというのに、夕子さんに対して逃げろ、と言う中堂さん。逃げてしまったら余計怪しまれるのではないか。他の2人も同じ思いなのか、更に困惑した表情を浮かべる。
「今の状況で任意同行に応じたら、クソつまらん理由で勾留されて、やってもない罪を自白させられる。」
「やってないのに?」
「死体に慣れてるから人が殺せるだの何だの、訳の分からんクソでっち上げストーリーを密室で毎日毎日、念仏のように唱えられてみろ」
『…地獄だ、』
「クソほどの体力、気力、根性がなきゃくじける。東海林、お前、体力、気力、根性あんのか?」
「どれも全然無い…!」
怯えた様子で、そう言う夕子さんに私までもが不安になってしまう。このまま任意同行されても、良い方向に向かう気が全然しない。だって最初から本庁の人達は、夕子さんを疑っているんだから。
「だからと言って、逃げたりしたら」
「いや、バレないようにごまかしゃ良い」
『バレないようにって…』
「東海林が逮捕されたら、補助金どころかUDIが吹っ飛ぶ!」
そう言って、すぐに「どなたかいらっしゃいませんか」と言う声が上から聞こえる。本庁の人が来てしまったんだ。瞬時に所長と中堂さんが立ち上がり、誤魔化し方を悩んでいる。その間に夕子さんの背中を押して、逃げるよう促す。
「警視庁捜査二課の小早川です」
「捜査二課…」
「東海林夕子さんは?」
警察の相手を所長に押し付け、中堂さんは所長室へ篭る。自分から誤魔化せ、と言ったくせに。でも所長はこう言うのが得意だろうし、と夕子さんが無事に奥のドアから避難したのを見届けて、私も何気なく自分のデスクに戻り仕事している風を装う。
「それが東海林は昨日の事件で、大変大きなショックを受けておりまして、とても仕事ができそうに無い!今日は休みなさい!と私の判断で帰らせました!」
「では自宅に?」
「それがですね、昨日の事件で、大変大きなショックを受けておりまして、とてもとても1人でいられそうにないということで、ボーイフレンドの家に行きました!」
「その人の名前と住所は?」
「そんな部下のプライベートを上司の私が知るわけないでしょ!セクハラで訴えられてしまいますよ!私は厚労省の出の…」
所長は一切噛むことなく、嘘をつらつらと早口で述べ始めた。その姿があまりにも面白すぎて、書類で顔を隠し密かに笑う。所長の態度に仕方ない、と言った感じで、本庁の人たちはオフィスを出て行った。
『さすがです、所長』
「ああー、もう、寿命縮まったよー」
「今更縮んでも、大した変わりないでしょうよ」
『こら、中堂さん』
所長に酷いことを言う中堂さんは薄っすら笑みを浮かべながら所長室から出てきた。さすがに中堂さんも、あの早口所長の姿は笑えてくるものがあっただろう。
『それにしても変ですよね』
「何がだ」
『なんで、捜査二課なんでしょう?殺人を担当するのは捜査一課じゃないですか?』
「名字さん、詳しいね」
『私よく刑事ドラマ見てるんで』
ここへ訪れて来た本庁の人たちは《捜査二課》だと言っていた。毒殺の線で夕子さんを疑っている、と聞いてたからてっきり捜査一課の人が来ると思っていたのに。
「…捜査二課は何の担当なんだ」
『あ、中堂さんも気になっちゃいます?』
「早く言え」
『もー、相変わらずだなあ。捜査二課は詐欺とかの担当ですよ、確か。』
「詐欺…?」
なんでこの事件に詐欺が関わっているのかは、わからない。もしかしたら、亡くなった2人かもしくは犯人が詐欺を行っていたのだろうか。頭をひねっても答えは出てこないので、仕方なく目の前の鑑定書に手を伸ばす。
『あ、中堂さん』
「なんだ」
『さっきの、経験談ですよね?』
「…なんのことだ」
『中堂さんは、クソほどの体力、気力、根性があったわけですね。さすが。』
そう言うと聞こえないふりなのか、ため息をついて私に背を向ける。恋人が殺されて、その容疑をかけられた中堂さんは警察から厳しい取り調べを受けたんだろう。だからこそ、無実である夕子さんに逃げるよう説得したんだ。
『あ、ミコトさんからメッセージきてる』
震える携帯を操作すると、ミコトさんからのメッセージ。無事に夕子さんと合流出来たらしく、これから端末を開発した会社へ向かうらしい。私も合流出来ないか、との内容だけれど。どうやってオフィスを抜け出そうか。
「名字」
『ん?何ですか、中堂さん』
「俺は今すぐ駅前のコーヒーが飲みたい。買ってこい」
『え、それ、パシリ…』
急に駅前のコーヒーが飲みたい、と言い出した中堂さんにげっそりする。何だそれ、ただのパシリじゃないか。コーヒーなんて、すぐ目の前に淹れれる機械があるってのに。…あれ、ちょっと待て。もしかして、
「…なにボーッとしてる。早く行け」
『え、あ、はい!行ってきます!』
携帯を握りしめ、自分の鞄を肩にかける。もしかしなくても。中堂さんは私がオフィスから抜け出せるように、こんな事を急に言い出したんだ。なんて不器用な人。心の中で感謝して、すぐにラボを飛び出した。
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