《国内初MERS感染者が死亡》というニュースが速報で流れてから、高野島さんのご家族、婚約者さんの生活は一変してしまった。ネットでは風邪症状があったのにも関わらず帰国して感染拡大をしてしまった高野島さんに批判が集まり、葬式の場までマスコミが大勢やってきていた。
「名前さん」
『ん?』
「何か、落ち込んでます?」
ネットニュースをぼーっと見ていた私に久部くんが遠慮がちに声をかけてくる。落ち込んでると言うか、この、なんとも言えない気持ちがグルグルして胸のあたりが気持ち悪い。
『高野島さんのご家族や婚約者さんは、彼がどうして亡くなったのか知りたがってた』
「はい」
『だけど、こんな大きなニュースになることだと思わず私達はひたすら死因の解明を進めて』
これで良かったのかなあ、と自分でも驚くほどか細い声が出た。一瞬、以前のまま虚血性心疾患として処理されてしまったほうが良かったのではないか、と思ってしまう自分がいる。もしそうだったら、きっとこんなに国内から非難を浴びることも、さらに辛い思いをする事も無かったのではないか、と。
「MERSだとわかっていなかったら、今よりもっと死者が出ていたかもしれません」
『そうだよね、』
「高野島さんのご家族や婚約者さんは辛いと思いますが、」
『うん、わかってる。わかってるんだけどね、』
私の悪い癖だ。どうしても遺族の方に気持ちが持っていかれてしまう。中堂さんにも、そんなんじゃいつか潰れるぞ、と言われたのを思い出した。解剖を望む家族の気持ちに寄り添いすぎて自分を見失ってはいけないのに。しっかりしなきゃ、と気合を入れて深呼吸すると電話が鳴った。
「あ、三澄さん。はい、はい、え、あ、わかりました、」
電話を受けた久部くんが、驚きの声をあげてから受話器を置く。何事かと聞いてみると、高野島さんが帰国後、病院で健診を受けたことがわかったらしい。と、いうことは。免疫力の低い患者などに移った可能性があり、今以上に感染拡大が心配されて大変なことになる。所長に連絡して、どれだけの人と高野島さんが接触したのか確認することとなった。
『久部くん、後ろ向いて』
「え?」
私の隣に座っている久部くんを椅子ごと後ろに向かせる。え、名前さん?と心配そうに見返る久部くんが静かになったのは、私が彼の背中におデコをコツンと預けたからで。
『ごめん、ちょっと背中貸して』
「はい、」
久部くんの背中に寄り添いながら、これから起きるであろう辛いことを考えて、先ほどの気合は何処へやら。また弱い気持ちが出てきてしまう自分が嫌になる。だけど、ほんのりと伝わる久部くんの熱が私を安心させる材料なのも事実だった。
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『濃密…?』
ミコトさんがホワイトボードをさしながら《濃密》の文字を赤ペンで囲う。高野島さんが健診に行く前、彼と彼の婚約者、馬場さんは甘い夜を過ごしたと。ミコトさん調べでは濃いキスを20回以上。
「20回…」
「高野島さんはキスが大好きだったそうです」
『久しぶりだから燃えたんでしょうねぇ』
「ちょっと、名前さん…」
若干引いたような目で私をみる久部くん。女子の下ネタほどエグいものはないと思う。私達の会話を受け入れつつ話が進んで行く。濃いキスを20回以上した馬場さんはMERSに感染してないし、抗体もできていなかった。
『ん?それってちょっとおかしいですよね』
「高野島さんが感染していたんじゃなくて…病院で移された?」
「そういうこと」
東洋医大にはコロナウイルスの研究チームがある。そこから、ウイルスが漏れて健診に来ていた高野島さんと病院患者が感染した、という説が有力になった。
『でも、病院で感染したという確かな証拠を見つけるのは難しいですよね?』
「証拠です」
所長が今回は無かったことに…と言い出すと、中堂さんが証拠だという書類を取り出した。東洋医科大では最近死者が一気に増えている。しかも高野島さんが健診に行くひと月も前からだ。
「どうした、その格好」
「え、」
『あ、そういえば今日随分オシャレしてますよね』
「俺も気になってました」
『ま、好きな格好しても良いですよね』
「だって雰囲気違うし、気になって気になって」
「あ、別に悪いって言ってるわけじゃ」
「あ〜、寧ろ好きなタイプ?」
『へぇ〜、こういうのが?』
夕子さんと二人で久部くんを茶化す。話が逸れてしまったけど、ミコトさんが話を戻して、なんと19人目の感染者が明らかになった。一昨日亡くなった、ということはもしかして。久部くんが「裏、」とポツリと言うと、中堂さんから受け取った書類の裏には葬儀場の場所と感染者の名前が。
『あと、30分で証拠が灰になる…?』
「あ!あ!間に合います!」
久部くんが慌ててバイクのヘルメットを持つと、ミコトさんと久部くんは走ってラボを出て行った。どうか、どうか、間に合ってほしい。
『中堂さん、ありがとうございます』
「お前に礼を言われる筋合いはない」
『こうやって何だかんだ助けてくれるから、中堂さん好きです』
「好かれても嬉しくない。それよりも早く他の解剖の調書まとめろ」
冷たくバッサリと言われてしまっても、中堂さんに優しい部分があるのは知っている。緩む頬を抑えながら、今私がやるべき調書のまとめに取り掛かるのだった。
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