「名前が取り寄せたんだって、これ?」
長い1日が終わった。クタクタになりながら、鞄に荷物を詰めていると解剖終わりの夕子さんに声をかけられる。彼女の手にはMARSウイルスの検査キット。
『ええ、ちょっとした伝手で。』
「何よそれ、怪しい〜」
何よりも早く、院内感染だという証拠を見つけなきゃいけない。解剖の許可が遺族からおりた時点で、自分の数少ない伝手を使って取り寄せた。そして、東洋医科大学でもこのキットを大量に取り寄せていたらしい。勿論、騒動の一ヶ月前に。
『あれ、ミコトさんは?』
「んー?何だか急いで帰ったけど。ありゃデートだなあー」
夕子さんが大きな伸びをして、じゃ帰るわーと出ていく。そっか、今日のミコトさんはいつもよりもオシャレしてたし。三澄班の頑張りのおかげで、高野島さんからの感染ではなく院内感染だということが証明された。少しずつではあると思うけど、きっと高野島さんへの批判も減ってくるだろう。
「あれ、名前さんまだ居たんですか」
『あ、久部くんお疲れさまー』
「お疲れさまです」
解剖後、地下のシャワー室でも行っていたのだろうか。戻ってきた久部くんの髪の毛はうっすらと濡れていて、肩からバスタオルをかけている。
『やっと、終わったね』
「そう、ですね」
『久部刑事の聞き込みのおかげもあったし、今回は大活躍!だったんじゃない?』
「そんなことないですよ」
若干の苦笑いを浮かべながら、髪の毛を雑に拭き取る姿をぽーっと見つめる。私たちの仕事は7kで、アルバイトだとしても容赦はない。そして、バイトの時給は安いときた。
『久部くんってさ、なんでここでバイトしようと思ったの?』
「え、なんですかいきなり」
『いくら臨床医目指してるって言ったって、この仕事どっちかといえば法医学寄りだし。何より7kなのに、時給は安い』
「…まあ、そうですよね」
んー、何でかなあ。と困ったように笑う久部くん。どう考えたって条件は良くないのに、彼は本当によく働いてくれていると思う。
『ま、どんな理由であれ。私は久部くんが来てくれて良かったと思ってるよ』
「え?」
『ずーっと1人で記録員やってたから、調書のまとめも莫大な量だったし。』
「そうですよね、これ名前さん1人でやってたなんて、凄いです」
『だから、久部くんが来てくれて助かってる。ありがとう。』
そう言って感謝を伝えると、久部くんはなんとも言えない微妙な顔つきで。何だろう?この違和感は。
「そんなこと、言ってもらえるような存在じゃないんです」
『え?』
「あ、いや、なんて言うか、あの、お礼言ってもらえるほど、仕事出来てないですし、」
『んー?ふふ、それは慣れれば大丈夫でしょ』
夕子さんがきて、久部くんがきて、なんだか帰るタイミングを失ってしまったけど、今度こそ帰ろうと鞄を手に取る。
『じゃ、お先に。お疲れさま』
「あ、ちょ、名前さん、もう暗いですし、送って、」
『んー、もう大丈夫だって。私の家、ここから5分だから』
「いや、でも、」
『いーの。久部くん髪の毛乾かさなきゃ風邪ひくよ?じゃ、また明日。』
そう言って、家路を急ぐ。本当に久部くんは、今どきの若者にしてはスレてないし、気遣いができる。彼の優しさに勘違いしてしまう女の子も多いんじゃないかな、なんて思いながら、外に出た瞬間、寒さに身を震わせた。
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