#61



「名字、ちょっと良いか」
『あ、はい』


勤務時間も終わり、私はそのままデスクでPCと睨めっこ。過去の法医学の論文を読みあさっていた所、中堂さんに呼ばれて振り向いた。彼の後ろにはミコトさんもいて、所長室へと入って行く。


「何百回と見たが見落としがあるかもしれない」


そう言って中堂さんが取り出したのは、1つのスクラップブック。ミコトさんが中を開けると、鑑定書が出てきた。


『この鑑定書って、』
「8年前の事件の…」
「そうだ」


中堂さん自身が言ってた通り、何百回と見たのだろう。そのスクラップブックは所々汚れや傷が目立っていた。


「糀谷夕希子の遺体がスクラップ置き場に捨てられていた。靴は履いていなかった。荷物もない。あとの検査で体内から高濃度のニコチンが検出された」
『…ニコチン中毒?』
「ああ、致死量以上のニコチンを注入されていた」


鑑定書を見ながら中堂さんの話を聞く。その内容はあまりにも酷いもので、亡くなった夕希子さんの姿を想像すると胸が苦しくなった。誰かが殺意を持って殺したのは明らか。


「唯一の手がかりが、口の中の金魚」
「当時、捜査線上に上がったのは夕希子と一緒に住んでいた俺と、夕希子が働いていた定食屋の周辺人物、文詠館の関係者」
「文詠館って…茶色い小鳥の出版社?」


全く生活感のないガランとした中堂さんの部屋にあった一冊の絵本。夕希子さんが出した最後の一冊となってしまったのを彼は今も大事に持っていた。


「2冊目はピンクのカバだ、と言っていた」
「ピンクのカバ?」
『どんなカバですかねぇ?』
「知るか」


ピンクのカバを頭で思い浮かべるけれど、想像力の乏しい私には正直思い浮かばないわけで。きっと夕希子さんは、暖かい心を持った優しくて強い人なんだろうな、と中堂さんの話から伝わってくる。


「会いたいって想いが死者に会わせるなら、俺は想いが足りないんだな」



ため息混じりにそう言いながら、ソファーに背を預ける中堂さん。そんなことない、と否定したかったのに、彼の苦しい想いが私にまでうつって、喉が苦しくなる。彼は誰よりも、彼女に会いたい、と思っているはずなのだから。




『…会いたいですか?』
「ああ。会って聞く。お前を殺したクソ野郎は誰なんだ…身体を切って開いても、わからなかった」
「会えたら聞きましょう。…ピンクのカバの話」
「クソが。そんなもん聞いてどうする」
『えー、気になるじゃないですか!』


さっきの重い空気とは一転して、3人で小さく笑う。夕希子さんを殺した犯人は必ず見つけ出す。心の中で決意して、スクラップブックの内容を読みながら夜は更けていった。


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翌朝、数冊の参考資料を手に取ってからオフィスへ入ると、六郎くんは何やら少し考えてから「11番さんに会ってきても良いですか?」とミコトさんにお願いしていた。


『六郎くん、11番さんって今はまだ帝日大にいるんだよね?』
「はい、何か少しでも話を聞けたら、と思って」


帝日大には先日ご協力いただいた彼の父、久部先生がいる。今回の事件に久部先生は避けて通れない人物だ。きっと、なるべく会いたくないだろうに。それでも、彼は真相解明のため頑張ろうとしているんだ。


『ミコトさん、私も責任持ってついて行きますんで良いですよね?』
「え、名前さんも?」
「名前が一緒に居てくれるなら、安心だね。行っておいで」


ミコトさんの許可を貰い、まだ戸惑っている六郎くんの背中を押す。2人でバイク置き場まで行き、六郎くんからヘルメットを受け取った。


「あの、名前さん、ありがとうございます」
『何もお礼言われるようなことはしてないよ』
「名前さんが一緒だと、心強いです」
『そう?…何か掴めたら良いね』


ヘルメットを装着してから、バイクの後ろへ跨る。久部先生と遭遇したら、また六郎くんは難しい顔をして私を心配させるんだろう。だけど、私の知らないところで彼が1人で悩むよりマシだと思いにふけっていると、すぐ帝日大へと到着した。



『大きい病院だね、』
「はい、」


ガラス張りになっているところからICUを覗くと、治療されている方がたくさんいた。その中には勿論11番さんもいる。回診をしていたのか久部先生もやはりそこにいて、ガラス越しに視線が合った。私も六郎くんも小さくお辞儀をする。



「何をしている」
「話が聞けるなら、聞きたいと…」
「結局、生きた人間頼みか」
「何かわかるなら、何でも調べます」


そう言い切った六郎くんを久部先生はジッと見てから、11番さんの担当看護師を呼んだ。話を聞かせてくれようで、少し胸をなで下ろす。久部先生は、その場を離れて行ってしまい、私は慌てて六郎くんに一声かける。


『六郎くん、ちょっとここ任せても良い?』
「え?」
『すぐ戻るから!』


看護師さんからの話は六郎くんに任せて、離れていった久部先生を追いかける。


『久部先生!』
「…まだ何かあったかね」
『いえ、時間は取らせないので、少し聞いていただきたいことがあります』


背を向けていた久部先生が、ゆっくりと振り向いて視線が合う。ぎゅっと、両手で服の裾を掴んで、声を出す。


『この数ヶ月…私は誰よりも息子さんの近くで彼の仕事ぶりを見てきました。』
「単なるバイトでしょう」
『そうです。彼の仕事はあくまでもバイト。けれど、それ以上の仕事をしてくれていますし、今のUDIラボには彼が必要だと思っています』
「あいつの本業は学業です。アルバイトじゃない。しっかり進学して医者の道に進んでもらわなきゃ困るんですよ」
『久部先生の仰ってる事も、彼は理解していると思います。…ただ、彼は今、自分が進むべき道を悩んでます』
「進むべき道?」
『彼がこれから歩んでいく道は、彼自身のものです。誰のものでもない。決めるのは私でも親の久部先生でもない、彼自身です。』


私がはっきり言うと、目の前の久部先生は難しい顔をして黙りこくる。六郎くんと久部先生のギクシャクした関係は、家庭の問題だ。私が首を突っ込むような事じゃない。だけど、彼の人生は彼だけのものだから。


『お時間を取らせない、と言いつつ長々と申し訳ありません。失礼を承知で、これだけは伝えておきたくて。…ご協力、ありがとうございました』


深くお辞儀をしてから、もう一度久部先生と視線を合わせる。久部先生は何も言葉を発さなかったけれど、私はそのまま元来た道を歩いて六郎くんの所へと急いだ。



『六郎くん!』
「あ、名前さん!新情報です!」
『え!何かわかったの?!』
「はい!」


看護師さんからの話によると、11番さんの背中には僅かだけれど紐で縛られたような擦過傷があったらしい。ミコトさんに連絡をして、詳細を伝える。


「背中に横一文字、両脇の下を通る形で。火傷してからついた痕だそうです」
『ミコトさん、確か所長室に縛り方の本が置いてあったはずなんです。何か該当するものがあるか調べてもらえませんか?』


ミコトさんにお願いをしてから六郎くんが通話を切ると、私のスマホに着信の知らせ。電話の相手は、まさかの毛利さんで彼らも今から帝日大に行くから待っていてほしいとの連絡だった。


『毛利さんたち、もうすぐここに来るって』
「毛利さんたちが?」
『うん、スナックの従業員が見つかったみたい。11番さんのこと何か知ってるかも』


数分後にスナックの従業員だと言う女性を連れて、毛利さんと向島さんがやってきた。


「常連じゃなくて一回来た程度で、名前までは…」
「あの、これ、所謂ヤクザ方面の方…」
「なんだよ、ヤクザ方面って」
「全然。普通の不動産屋だっけなぁ?」


11番さんは常連客ではなかったようで、職業が不動産屋ということしかわからなかった。町田さんとも会ったことはなさそうで。


「町田三郎さんは常連だったんですか?」
「はい」
『どんな方だったんですか?』
「あ、写真あるかも」


彼女が手帳から数枚の写真を出し、見せてくれた。その写真に写る町田さんの顔は全て笑顔のもので。町田さんが、このスナックで心を許して過ごしていたのがわかった。


『…町田さん、良い笑顔ですね』


写真を何枚か見ていると、毛利さんの携帯が鳴り、電話に出る。ああ?!と大きな声を出した毛利さんに肩をビクつかせると、まさかの展開だよ。と何とも言えない顔をしていた。




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