#68



『おはようございます、所長』
「ぅわあっ!あ、名字さん、」
『すみません、驚かせてしまったみたいで』
「いえ、あ。それ…」
『…なんですか、これ』


天気の良い朝。少し早く出勤してしまったなぁ、と思いながらオフィスにいる神倉所長に挨拶をした。私の存在に気づかなかったのか、声をかけられ驚いた所長は手にしていた紙を数枚床に落としてしまい、私は慌てて拾い上げる。




『これ…今までの事件の記事、ですよね?』


白黒で印刷された紙は、週刊誌の記事。数枚あったそれは、今までUDIラボが絡んできた事件のもので。私が不思議そうに所長を見上げると、渋々昨日あったことを教えてくれた。


「週刊ジャーナルの過去の記事なんですが、色々と気になる点がありまして」
『気になる、とは?』
「とこどころ妙に詳しい記述があるんです」
『…中の人間が情報を漏らしたということですか?』


苦虫を潰したような顔をして、神倉所長が小さくため息をつく。情報が漏れて警察庁の信用を失えば補助金はおろか、刑事事件の調査に関わることも出来なくなる。



「この件は内密に。何かわかったことがあれば、教えてください」
『…はい、』


神倉所長に記事のコピーを返しながら、ふと頭によぎったのは彼の難しい顔をしている姿だった。今まで感じていた違和感がもし、このことなら。一瞬そう思いつつも、気だるそうに朝の挨拶をしてオフィスにやってきた中堂さんの声で、気持ちを切り替えた。





『ボツリヌス菌かぁ…』
「家庭内でも発生する毒であると同時に、生物兵器としても使える猛毒だからねぇ」


橘 芹菜さんの細胞検査の結果、ボツリヌス菌が検出された。毛利さんと向島さんをラボに呼び、先程会議室内で話を終えたところだ。ボツリヌス神経毒素は全身の神経を麻痺させて、脳神経障害や呼吸機能障害を引き起こす。胃の内容物が異様に腐っていたことを考えると、ボツリヌス菌を繁殖させたものを食べさせられた可能性が高い。



「病理検査も、まだ残ってるしー…」
『夕子さんの、頑張りどころですね』
「そーなんだけどー、もう、この雰囲気耐えられないー」
『あはは、確かに』
「名前もね、酷いよ、隈」
『あー、化粧でも誤魔化せてないです?』


そう言って自分の目の下に軽く触れる。法医解剖医に戻る、と決めたからには勉強し直さなきゃいけないことや、論文を書いたりと大変なことだらけなのに、中堂さんの行動も心配だし、六郎くんとのこともあったり。最近、よく眠れていない。コンシーラーでカバーしたつもりが、やっぱり出来ていなかった。


「あんま、無理しちゃダメよ」
『はい、』
「六郎も心配してたし」
『え?六郎くんが?』
「まぁ、六郎の心配は名前の体調だけじゃないけど」


私が、わからないという表情を浮かべていると、夕子さんは誤魔化すように、検査行ってくる、とその場を後にした。ふぅ、とため息をついて、私も再び歩き出す。会議室から出て行ったまま行方知らずの上司を探しに行くために。


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『…やっぱ、ここでしたか』
「何の用だ」


解剖台の上に横になっている中堂さんを見て、胸をなで下ろす。最近の中堂さんは、誰が見ても不安定で、見ているこっちがヒヤヒヤする。だから、少しでも視界から消えると私も過度に心配してしまうのだ。


『解剖台…冷たくて痛くないですか?』
「ああ、そうだな」

『…よいしょっ、と』
「なにやってんだ、お前」
『どんな気分なのかな、って』


もう1つの解剖台に登り、横たわる。背中に固い感触と、冷んやりとした冷たさが広がる。静かに目を閉じて、思い浮かんだのは、あの日。この解剖台にいた、親友の姿だった。




『中堂さんと夕希子さんって、どうやって出会ったんですか?』
「なんだ、急に」
『法医解剖医と、絵本作家。あまりにも接点が無さそうだから』
「そんな話聞いても面白くもないだろ」
『ただ聞いてみたいだけです』
「…初めて会ったのは定食屋だった」


ポツリ、と言った声に閉じていた目を開け、中堂さんを一目見る。彼は、さっきまでの私と同じように目を閉じたまま静かに話し出す。中堂さんが偶々入った定食屋でバイトをしていたのが夕希子さんだった。何度か顔を合わせるようになり、自然と一緒にいることが増えた、と話す彼の横顔は今までに見たことのない表情をしていた。


「茶色い小鳥の本を出版して。次の作品がピンクのカバだと、話していた…その矢先の出来事だった」
『…そうですか』

「お前こそ、久部とはどうなってるんだ」
『え、なんで急に私の話なんですか』
「俺の話を聞いたんだ。次はお前だろ」
『…中堂さん、意外と恋バナ好きなんですか?』
「そんなわけあるか、クソ」


小さく笑いながら、横たわっていた身体を起き上がらせて、中堂さんは解剖台から降りる。私も同じく、起き上がり彼と視線があった。


『中堂さん』
「なんだ」
『中堂さんに教えてもらわなきゃいけない法医学のこと、まだまだたくさんあるんです』
「ああ、お前は法医解剖医としては、まだまだだからな」
『だから…ちゃんと、ここにいて下さい』


視線を逸らさず、伝える。重たい前髪から見える中堂さんの瞳が密かに揺れた気がした。


「少しは自分で勉強しろ」
『…ど、努力はして、ます』
「お前がクソみたいな法医解剖医になっても困るからな。まあ、俺がここにいる間は、みっちり教えてやる」


ふっと意地悪そうに笑う中堂さんに、ほっとして、私も笑みが零れる。まずは、勉強するよりも早く寝ろ、隈酷いぞ。と父親かのように言う彼に声を出して笑ってしまったのは、仕方がない。




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