「よいしょっと、…名前?大丈夫?」
『へ?』
「なんか、ぼーっとしてたけど」
『え?あ、いや、大丈夫です。…昆虫の本だけでそんなにあったんですね』
持つべきものは昆虫博士の父親ね、と笑うミコトさんに笑みを返す。中堂さんとミコトさんが発見した蟻について調べることになり、三澄家にお邪魔中。
夕子さんが調べた結果、蟻からは蟻酸が出た。けれど、死因はボツリヌス菌中毒という事で矛盾しない、という話になったところ、六郎くんが死因は蟻酸という線はないか、と言っていたことを思い出してしまい、つい意識がそちらにいってしまった。
結局、へっぽこ探偵、ということで話は終わってしまったんだけど。
「ん?これ、やっぱ似てない?」
「これもそっくりだし、」
『これも、そっくりじゃない?』
「アリすぎて、分かんないこれ〜」
若干気まずそうな顔をしながら、ダジャレじゃないわよ!と言う夏代さんに、小さく笑った。どう観察しても、同じような蟻がたくさんで、秋ちゃんの提案によりミコトさんのお父さんに連絡してみることにした。
「あ、それ雑居ビル火災の訴状?ビルの管理責任問うって」
「ああ、そう」
夏代さんが目を通していた資料をチラリと見る。亡くなった10人の遺族全員が訴訟団に加わったらしい。身元を判明した方々の名前が連なる中に、見慣れない名前が一人。江口兼人と書かれた文字をミコトさんも見つけて、こんな人いた?と聞く。
「その人はね、隣の空き家の持ち主さん。担当の不動産屋がね、行方不明になって、中々話が進まなかったのよね」
「行方不明?」
「うん」
『その不動産屋の方、何かあったんですかね?』
私の疑問と共に、秋ちゃんの携帯が鳴る。時差があって返信の遅いと思われていた、ミコトさんのお父さんからの返信だった。
「クロナガアリ!お父さん〜!」
『すごーい!』
「いっつも返事遅いのにー」
不満げにしている夏代さんを横目に、再び昆虫図鑑へと向き合う。クロナガアリのページを見つけて読み込んでいく。クロナガアリはフタフシアリ亜科、フタフシアリ亜科の蟻は、
「『蟻酸を…出さない?』」
図鑑を持つミコトさんと声が重なり、2人で眉をひそめながら目線を合わせる。蟻酸を出さない蟻から蟻酸が出た。これが意味することとは。
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翌朝、中堂さんにも昨夜のことについて話し、3人でホワイトボードの前で頭の中を整理する。
「蟻酸を出さない蟻から、何故、蟻酸が検出されたのか?」
「蟻酸の化学式はCH2O2、示性式はHCOOH」
『発生する条件としては、メタノールと一酸化炭素、水酸化ナトリウムと一酸化炭素…』
中堂さんがホワイトボードにすらすらと化学式を書いていく。あの現場にあるのは、水と空気くらいだ。
「単純な酸化だとしたら…」
「HCOHって、つまり、」
『CH2O、』
「ホルムアルデヒド!」
「水に溶ければホルマリンだ」
盲点だった。通常の薬毒物検査では、揮発性のホルマリンはとんでしまう。病理検査では内臓をホルマリンそのものにつけてしまうため気づかなかったのだ。慌てて、再解剖する手配を進める。今度こそ絶対に、何かを掴むために。
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