再解剖して、摘出した臓器を検査に出し、夕子さんへと託された。私たちは少しそわそわしながら、オフィスで各々の仕事を進めている。
「でた!ホルマリン!!」
検査結果を覗き込むと、しっかりとホルマリンが検出されていた。恐らく犯人は、濃度の低いホルマリンを点滴で投与。頭皮の静脈にさせば、痕は残りにくい。
『ホルマリンは劇物に指定されてるほどの、猛毒ですもんね』
「ホルマリン水溶液が全身に回ると、全ての臓器がアシドーシスを起こし、麻痺状態になって最終的には、死に至る」
ホルマリンはホルムアルデヒド。空気に触れて酸化すると、蟻酸になる。蟻から蟻酸が検出されたのは、ホルマリン水溶液がかかって死んだからだ。
「ホルマリンの最大の特徴は、防腐効果があること」
「口の中のボールの痕が、やけにはっきり残ってたのも、ホルマリンの効果と考えれば説明がつく」
「でも、胃の中身、腐ってましたよね?」
六郎くんの疑問はもっともだけれど、橘 芹菜さんはホルマリンを直接飲んだわけではなく、体内に回っただけだから、胃の内容物はそのまま腐っていったと考えるのが自然だ。
「検出されたボツリヌス菌は?」
『ボツリヌス菌は酸素のないところで繁殖するから、亡くなった人間の胃の中も酸素のない格好の場所です』
「天然の瓶詰めか…」
「つまり、死んでから胃の中で繁殖した」
そこから、実際の死亡経過日数を考えると、殺されてから1ヶ月以上経っている可能性が出てきた。つまり、死亡推定日が雑居ビル火災の前、ということになる。この事実を、ミコトさんと所長は毛利さんに伝えるべく、警察署へと向かった。
『中堂さん、ちょっと良いですか?』
「なんだ」
『昨日、三澄家にお邪魔して夏代さんが担当してる訴訟の話になって。少し気になったことがあったんですけど』
昨日から何故か自分の中で引っかかっていることがあり、中堂さんに聞いてみることにした。その引っかかっている、というのは雑居ビル火災のあった隣の建物。橘 芹菜さんのご遺体が見つかった建物の不動産屋が行方不明だった、ということだ。
『このタイミングで、不動産屋が行方不明だったって何だか気になって。建物の看板に不動産屋の名前書いてあった気がしたんですけど、思い出せないんですよね』
「ああ、確か俺も昨夜見たな…」
『夏代さんに聞いても、個人情報だからって教えてもらえなかったんですよねー』
「ああ、クソ。思い出せねぇ」
中堂さんは丁度昨夜、あの建物に行っていたらしい。入る前に看板も見たらしいのだけれど、不動産屋の名前までは覚えていなかったようだ。仕方ない、気持ちをスッキリさせるためにも、今夜帰りに寄ってみよう。
「やだ、可愛い〜。これ六郎が描いたの?」
「違います、違います」
「可愛い〜ピンクのカバ!」
『…え?』
夕子さんのはしゃぐ声からは、聞くことがないと思っていた単語が出てきた。ピンクのカバ。その名を聞いたのは私だけじゃなかったようで、隣にいる中堂さんも動きが止まった。
「貰った絵なんすけどね、誰のかわからない…」
「かわいい〜」
『ちょ、中堂さ、!』
私が気づいた時には、もう中堂さんは六郎くんを捕まえて立ち上がらせ、誰から貰ったのかと凄い剣幕で問いただしていた。その様子に六郎くんはもちろん、夕子さんも驚いて目を丸くしている。
「誰に貰った?!この絵を、誰に貰った?!」
「え?」
『な、中堂さん、!』
「夕希子は、これを持ったまま消えた。持ってるのは犯人だけだ!!」
六郎くんに問いただす、中堂さんは今までにないくらいの気迫だ。中堂さんの腕をぐいっと力強く引っ張って、少し落ち着いてください、と声をかける。
『…これは、夕希子さんが描いたもので間違い無いですか?』
「、ああ、あいつのだ」
『六郎くん、これ誰から貰ったの?』
「あの、これは、」
『…誰だって良い、とりあえずその人に連絡して』
そう言うと、六郎くんは自分のスマホを取り出して、履歴から1人の人を呼び出した。画面には"宍戸さん"の文字。初めて見た名前で、顔はわからないはずなのに、私はああ、あの公園の人だ、とわかってしまい胸がぎゅっと締め付けられる。
「お前は誰だ」
電話が繋がった先の、宍戸さんは少し楽しそうな声で、六郎くん死因分かった?と聞いてきた。中堂さんの声を聞いて、電話の相手が六郎くんじゃ無いと気づいた彼は、中堂さんのことも知っていた。
「あの絵を誰から貰った」
《半信半疑でしたけど、その分だと本物ですか。ある人から貰ったんですけどね》
「そいつは誰だ」
《六郎くんに聞いてください》
そう言った宍戸さんに、中堂さんは六郎くんを見上げた。会ったことあるはずだと。帝日大病院のICUで。
『帝日大病院のICU…?』
「…それって、」
私と六郎くんで、目を合わせ考える。久部先生のところへ訪れた時、ICUへと足を運んだ。それは、雑居ビル火災の唯一の生存者、11番さんの容態を知るためで。
《ほら、火事の被害に遭ったあの人です。》
『高瀬…文人、?』
その時、全ての違和感が繋がった。高瀬さんは、不動産屋をしていたはずだ。そして、橘 芹菜さんが見つかった建物の不動産屋が行方不明になっていた、というのは行方不明ではなく、ビル火災に巻き込まれて入院していたから連絡がつかなかった。
「高瀬…」
「高瀬…!」
中堂さんも昨夜見た看板のことを思い出したのか、六郎くんのスマホを置いて、走ってオフィスを出て行ってしまった。まずい!と思った瞬間に中堂さんの背中が遠くに見えて、私も慌てて走り出す。
『中堂さんっ!待って、!』
走りながら少し遠くにいる中堂さんに声をかけるけれど、彼の耳に私の声は届かない。いや、届いていたとしても、言うことを聞くはずがない。彼は今、夕希子さんを殺したであろう犯人に直接会いに行くのだ。
『お願いっ、なかどうさんっ、!』
喉の奥が熱い。足も疲れてきた。だけど、止めることはできない。彼が、中堂さんが過ちを犯す前に、私は止めなくちゃいけないんだ。しばらくして、中堂さんが門を曲がった
と思ったら、目の前には高瀬不動産とかかれた建物。
『、中堂さん!!何処ですか!!』
「名前さん!!」
『ろ、ろくろうくん、』
「1人じゃ危ないです!」
高瀬不動産に足を踏みいれようとしたら、後ろから腕を引っ張られ、その先には六郎くんがいた。彼の言葉に、ハッとする。そうだ、ここには、複数の女性を殺したと思われる犯人がいるかもしれないのだ。それでも、私は中堂さんを止めなきゃいけない。
「一緒に探しましょう。俺の手、絶対離さないでください」
『…うん、』
遠くで警察のサイレンの音が聞こえる。六郎くんの手をぎゅっと握って、周囲に気をつけながら足早に中堂さんを探す。不動産屋の建物の奥へと向かうと、一旦外に出て、次に見えたのは立派な母屋だった。玄関のドアが無造作に開けられていて、中堂さんが入って行ったのがわかる。
「中堂さん…」
『わっ、!』
母屋に入り、キッチンらしきところに着くと、六郎くんが歩みを止めた。彼の背中から覗く光景に正直、腰を抜かしそうになった。床やテーブル、台所に広がる鮮血と独特の臭い。台所には、血に濡れた包丁が何本も置かれている。
『なに、これ、』
走っていた時以上に、喉がカラカラと乾いて声が震える。六郎くんが繋いでいた手をぎゅっと、強く握り返してくれて、ふと、我に帰り中堂さんの安否が気になった。
「…名前さん、大丈夫、ですか?」
『うん、中堂さん…探そう、』
ゆっくりと、歩き出した瞬間、どこからか中堂さんの、どこだ?!という大きな声が聞こえて、私と六郎くんは目を合わせた。高瀬の名を悲痛な声で叫ぶ中堂さんを見つけた場所は、敷地内の庭。そこでは、何かが燃やされている横で、中堂さんが悲しみ、怒り、いろんな感情で敵意を剥き出しにしている姿があった。
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