#72




高瀬が警察に出頭してきたと聞いたのは、あれからすぐの事だった。血まみれの格好で、保護して下さい、と言ってのけたらしい。毛利さんが事情聴取を行なったが、高瀬は殺人を全て否認している。



『この事件の話題でもちきりですね』
「26人殺したかもしれない、って世間を騒がしてるからね」


昼休憩になり、オフィス内にある会議室のテレビをみんなで見つめる。夕子さんにポツリと声をかけると、彼女からも小さくため息が漏れた。ワイドショーを賑わせているのは、容疑者の高瀬だけではなく、ジャーナリストとして高瀬と接触していた"宍戸さん"も同じだった。



『26人殺害は妄想か現実か…』


手元にある書籍のタイトルを呟いて、ゆっくりと開く。"宍戸さん"こと宍戸 理一が書いたとされる、高瀬文人の告白本。昨夜、書店に寄ったら、本の周りには人だかりができていた。


『8年前の事件を調べるうちに、高瀬の存在にたどり着いた…、』


書籍のはじめの一文は、そう記されていた。高瀬は10年前に母を病気で亡くし、その同時期から殺人を始め、父親は7年前に失踪。AからZのアルファベットに連なって起こしている、この殺人の中に含まれている可能性があるらしい。



「名前、顔が怖ーいことになってるよ」
『…ミコトさんだって同じですって』
「まぁ、ね。はい、コーヒーでも飲もう」
『ありがとうございます』


ミコトさんからコーヒーカップを受け取り、オフィスの片隅で同じ書籍を読んでいる中堂さんを見つめた。彼は一体、この本をどんな気持ちで読んでいるのであろう。考えただけで、胸が張り裂けそうだ。


『不動産の仕事を利用して殺人を繰り返すなんて』
「普通の人間じゃ考えられない」
『っていうか、考えもつかないですよね』


ミコトさんも、ああー!と項垂れつつ、また本へと視線を戻していた。高瀬は担当する物件で内見に来た若い女性たちを殺害し、その後リフォームすることによって殺害の痕跡を消していた。また、被害者の自宅に運び、事故や自殺に見せかけたケースもあったようだ。



『…証拠が、ない…か。』


確証が持てなかった宍戸は直接、高瀬に接近。AからZのアルファベットに連なって行う殺人。高瀬曰く、これは現実ではなく妄想の話、だと言ったらしい。この告白本は、妄想か現実か、その真偽を読者に投げかけている内容だった。


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数日後、毛利さんと向島さんが事件の進展具合を話しにきてくれた。六郎くんが宍戸から貰ったという、ピンクのカバの絵は、事前に指紋が拭き取られた形跡があり、DNAなど高瀬に繋がるものは検出されなかった。



「この糀谷夕希子さんの絵は、久部さんが宍戸理一から受け取ったものですね?」
「…はい、」
「どういう関係で?」


毛利さんからの質問に、少し目を泳がせながら知人の紹介で数回会った程度だ、と六郎くんは答えた。


「今思うと、誰かに高瀬を見つけさせたかったんじゃないかって。何度も誘導されたんです、犯人が誰かわかるかって、」


ぽつり、ぽつりと話す六郎くんをじっと見つめる。宍戸は高瀬が犯人だとわかっていて、わざと六郎くんを利用していた。ジャーナリストとして真偽を…なんて、真っ赤な嘘だ。宍戸はきっと、高瀬の犯行を楽しんでたに違いない。ふと、神倉所長を見ると、何も言わず六郎くんを見つめていて、私は胸の奥が騒めく。



「宍戸理一はともかく、高瀬の捜査はどうなってるんです?26人も殺してるって」
「高瀬は誰の殺害も認めていません」


告白本に記されているのは、立件されていない事件のみ。被害者がどこの誰かわからず、妄想と言ってしまえば、それまでだと。他殺が判明している事件は、知らない覚えていないと否認。


『高瀬と被害者が接触したという証拠も見つかっていないんですか?』
「ええ、残念ながら」
「例のおもちゃのボールは?連続殺人の証拠」
「ボールは高瀬の家からも不動産屋からも見つかっていません」


庭で何かを燃やした形跡があったから、もしかしたらその時一緒に燃やされてしまったのかもしれない。そう思うと悔しさから唇を噛みしめる。


「でも、大崎めぐみさんは、高瀬の自宅で解体されていました」
『そうですよ!それも知らないっていうんですか?』
「解体はしたけれど、殺してはいないと」
「そんなの嘘に決まってんじゃん」
「我々もそう思います。ですが、大崎めぐみさんの遺体は、解体されて酸で溶かされ、ほとんど残っていません」


ご遺体がない以上、死因を特定するのは不可能だ。このままだと、殺人罪に問えない可能性がある、と毛利さんが言った言葉に喉の奥がギュッと締め付けられた。中堂さんがいうには死因が分からず殺人が立証できず、死体損壊罪だけで刑期はわずか3年という実際の裁判例があるらしい。


「橘 芹菜さんについても、ホルマリンの投与は認めていますが、殺してはいないと言っています」
『そんなデタラメ…』
「つまり、高瀬は一切の殺人を認めず、全て死体損壊と死体遺棄だけで逃げ切るつもりですか?」
「はい」
「ありえない」


大きく息を吸って、頭を抱える。26人も殺したかもしれない高瀬が。やっと、ここまで真相に近づいたと思ったのに。


「高瀬を殺人で裁けない…?」


ミコトさんの言葉が、やけに響いて聞こえた。




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