「いや、所長。ないない!ないですって!だって六郎ですよ?へっぽこ六郎!」
夕子さんが、ありえない、と言った表情で半分笑いながら所長へ詰め寄る。六郎くんは、下を向いたまま。私は彼の背中を見つめていた。
「違うよね?違うでしょ?」
そう言って夕子さんは六郎くんに問いただすけど、彼は答えることが出来ずにいた。その態度に夕子さんの顔が曇る。嘘だよね?と震える声で六郎くんに迫る夕子さんをミコトさんが名前を呼んで止めた。
「いや、だって…」
「すみません、」
振り絞った声で、六郎くんが謝罪する。謝罪する、ということは認めたということで。オフィスには重苦しい空気が漂った。
「すいません、言えなくて、」
「…どういうこと?いつから?っ、黙ってちゃ分かんない!!」
酷く傷ついた顔をした夕子さんは初めて見たかもしれない。こんな時に、そんなことを考えていた私は、まだ心が認めたくなくて仕方がないのだ。六郎くん本人が、認めたというのに。
「…ここで、バイト募集してるって、…編集部の人に、」
「最初から?!ありえない、信じらんない!」
「辞めたんです、ちゃんと辞めて、辞めて、」
『夕子さん、!』
「辞めて、UDIで、」
「ずっと、ウチらに嘘ついてた…」
「働きたいって、だから!」
『ゆうこさん、っ、』
六郎くんがUDIラボへきたのも、週刊ジャーナルがきっかけだった。それは、意外すぎてわたしにも大きな棘が刺さる。最初から?じゃあ、今までの六郎くんは?そう思ったのは夕子さんも同じで、六郎くんに掴みかかって怒っているのを慌てて止めに入る。
「あんた、最悪っ!」
「…菌の話は?」
夕子さんの腕をギュッと握り、私も俯く。ああ、なんで。疑問ばかりが頭を駆け巡る中、中堂さんが静かに声を出した。
「話したのか、宍戸に」
「…宍戸さんが犯人だと思って、問い詰めたんです。その時言って、…多分、それが高瀬に、」
六郎くんは少しでも役に立てたら、と思っての行為だったというけれど結果的に、それは私たちではなく犯人の高瀬にとって有利なものとなってしまった。指先が震えて、夕子さんの腕を掴んでいたのが離れた。夕子さんもショックからかしゃがみこんで、俯いている。
「ごめんなさい、…中堂さんがずっと追ってた犯人なのに」
中堂さんは表情一つ変えず、宍戸が書いた本を眺めている。だけど、彼だって何か思うことがあるはずで。
「東海林さん、ずっと信用してくれてたのに、」
震える声でそう言う六郎くんに、夕子さんは口元を押さえて静かに涙していた。六郎くんと夕子さんが姉弟のように、騒いでいる姿を思い出してしまい、私も鼻の奥がツンっとなる。
「UDIを神倉さんが、守ってきたの、ずっと知ってたのに、」
神倉所長は、優しくて朗らかだけど芯のある人だ。今回の件で、中堂さんの苦しみも知っているのにも関わらず、仲間だと思っていた六郎くんの行動を知って悩んでいたに違いない。
「ミコトさんが、たっくさん…たくさん助けてくれたのに、」
ミコトさんも目に涙を浮かべながら、六郎くんを見ている。私はもう、どうしようもない気持ちで胸が痛くて、六郎くんの顔を見ることが出来ないでいた。
「…名前さんに、色々教えてもらって、…っ、いつも、救われてたのに、」
私がいつも思い浮かぶのは、私の名前を優しく呼んでくれる六郎くんの姿だった。名前さん、名前さん、と。笑顔で私の名前を呼んで、その笑顔と優しい声に私だって救われていた。それを思い出して、大粒の涙が静かに溢れた。
「ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした」
涙声で話していた六郎くんが立ち上がり、みんなの前で頭を下げる。涙がぼろぼろ落ちてくるけれど、止め方がわからない。気を緩めると声が出てしまいそうで、顔を手で覆って、思いっきり唇を噛み締めた。
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六郎くんが週刊ジャーナルと繋がっていた。それは、変えようのない事実だ。泣きすぎて頭がぼーっとしたけれど、仕事はたくさんある。ただ、解剖の日じゃなくて良かった、と思いながら、ふと、身元不明の方々の遺品がある倉庫へとやってきた。
『…はぁ、』
今日、何回目のため息だろう。日中あったことが、信じられないけれど、まぶたの腫れた自分の顔を見て信じざるを得ない。
『どこからが、本物の六郎くんなんだろう、』
UDIラボにやってきた時点で、彼は週刊ジャーナルと繋がっていた。ラボの情報を週刊誌に流すため?何か良いネタがある、とでも踏んだのだろうか。
『…名前さん、名前さん、って言ってたくせに、』
六郎くんの今までの態度は?私に接近すれば何かもっと情報を得られると考えたから?もしそうだとしたら、彼の態度を鵜呑みにして、私は彼に惹かれて。馬鹿みたいじゃないか。
『キス、したくせに、』
あの日。六郎くんが父親である久部先生に会いに行った日。彼は酷く傷ついていたように思う。実の父に否定された。帰る場所がなくなったと。まるで、ここの身元不明者の方々みたいな気持ちになったんだろう。
『もう、わかんないよ、』
どこからどこまでが本物の六郎くん?私を心配して声をかけてくれたり。家まで送ってくれたり。一緒にご飯を食べて美味しいって言ってくれたり。暖かい掌や、しっかりとした腕で抱きしめてくれたのは?全部、嘘だったの?
『考えても埒があかない。…帰ろ、』
とっくに定時は過ぎている。深いため息をついて、倉庫を出た。オフィスに着くと、ソファーに座ったまま、本を読んでいる中堂さん。他の人は、既に帰宅したようだ。
「…まだ居たのか」
『はい、ちょっと調べ物を』
「ひっどい顔だな。」
『…元々です、』
泣き腫らした私の顔を見て、中堂さんが小さく笑う。自分のバッグを取ろう、と思った時違和感に気づいた。…六郎くんの、私物がない。
『…六郎くんの私物、』
「まとめて、出てったぞ」
『うそ、』
バックの取っ手を握ったまま、動けないでいる。六郎くんがUDIを辞めた。そりゃ、そうだ。途中で辞めてきたとはいえ、週刊ジャーナルと繋がって居たんだから。わかってはいるけれど、
『…私、挨拶すらされてない、』
「顔合わせ辛いんだろ、特にお前は」
『…あー!もう!わかんない!なに?!なんなの?!』
「んだよ、急にうるせぇな」
もやもやした気持ちが、少し怒りへと変わる。バックから手を離して、給湯室へ向かい、夕子さんが置いておいたワインのボトルを取り出した。
『中堂さん、付き合ってください』
「は?」
『お酒!飲まなきゃやってらんないですよ!!ほら、グラス持って!』
夕子さん、職場で飲む気満々じゃないですか、と苦笑いしたけれど、あって良かったワイングラス。中堂さんはため息をついてから、本を置きワイングラスを手に取る。
『あー、美味しい。悔しいけど、美味しい』
「ふっ、やけ酒か」
『そうですよ、やけ酒です。もう、色々とわからないことだらけ、』
近くにあった椅子に座り直し、またワインを一口。夕子さん、出来ればチーズがあればもっと最高でした。と思いながら、ワインを飲み進める。
『中堂さんには怒られると思うんですけど』
「なにがだ」
『…私、ちょっと気づいてたんです。六郎くんのこと』
ふとして瞬間に、知らない難しい顔をしていたこと。幸せの蜂蜜ケーキ事件の時に写真を撮っていて、その後週刊誌に載っていたこと。誰よりも早く情報を得ていたこともあった。
『でも、違う。って。気のせいだーって思い込んでたら、こんな事になっちゃって、』
「そうか、」
『私がちゃんと六郎くんと向き合ってたら、高瀬にボツリヌス菌のことだって伝わらなかったかもしれない』
正直、今は何の手がかりもなくどうしようもない状態だ。唯一の手が、鑑定書からボツリヌス菌の記述を無くすこと。でも、それは嘘の鑑定書を出すということだ。ミコトさんには、そんなことして欲しくない。でも、高瀬を法で裁けない。
『私の知ってる六郎くんは、六郎くんじゃないんですかね』
「さぁな」
『中堂さん、つめたい』
「お前は最後の最後まで信じてたんだろ。久部のこと」
『…はい、』
「なら、これからどうするかなんて簡単だ」
『簡単?』
「もう知るかって見捨てるか。…また、信じるか」
『…また、信じる…?』
中堂さんはワイングラスを置いて、再び本を手にした。六郎くんのことをまた信じる。…出来るだろうか、私に。ただでさえ、今だって傷ついているっていうのに。
『もう、傷つくのは怖いです、』
「でも、お前は向き合ってる」
『え?』
「親友の死から逃げたお前は、今また法医解剖医としてやり直そうと向き合ってる。」
『そう、ですね、』
「幸せだと感じていた時でさえ、自分で否定するのは酷じゃないか」
中堂さんに言われて、六郎くんと過ごした日々をまた思い出す。六郎くんだけじゃない。亡くなってしまった親友とだって悲しいことばかりじゃなかった。楽しいことも、嬉しいことも、たくさんあった。
『中堂さんは、夕希子さんと過ごして幸せでしたか?』
「…ああ、それなりにな」
『一緒にご飯食べたり?たわいもない喧嘩したり?』
「ああ」
『中堂さんって自分から好きだーとか伝えるんですか?』
「なんだ、急に。変なこと聞くな、クソが」
焦り出す中堂さんに、笑みが溢れた。中堂さんのいう通りだ。楽しかった時間まで、自分で勝手に否定して無かったものにするなんて、あまりにも悲しすぎる。六郎くんのことがわからない。それなら、ちゃんと向き合えば良いんだ。
『あはは、ワイン美味しい〜』
「もう酔っ払ってんのか。勘弁してくれ」
『ワインのつまみに中堂さんの恋話聞かせてくださいよ〜』
「くそ、うぜぇ」
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