#75




気持ちが落ちていても、次の朝はやってくる。六郎くんがUDIを辞めて数日経った。今日は朝から写真整理をして、先日の解剖でお願いしていた検査結果がそろそろ出るはずだ、と研究室へ向かう。ミコトさんと夕子さんが気だるく椅子に座りながら話している姿を見つけて、声をかけた。



「はぁ〜六郎のやつ…最悪の裏切り。辞めれば良いって問題じゃない」


いつも元気な夕子さんは誰が見ても、落ち込んでいた。六郎くんのことを引きずっているのは、夕子さんだけじゃなくミコトさんだって平然としているようで落ち込んでる。


「でも久部くんが、みんなの役に立ちたかったってのは本心だと思うよ」
「本心なら、もっとヤダ」
「うん?」
「これでUDIがなくなったら、六郎のこと恨んじゃいそうだもん」
『…UDIが無くなる、』


烏田検事に協力しないと、補助金は打ち切られる。UDIの存続のためにはボツリヌス菌の記述を消して、嘘の鑑定書を出さなきゃいけない。そもそも、六郎くんが宍戸にボツリヌス菌のことを教えていなければ。そう思ってしまうのも、仕方がない。


「それに、私の可愛い名前にまで手出しといて」
『え?』
「それね。それは私も東海林と同じくらい頭にきてるから」
「名前への気持ちまで嘘とかじゃないよね?!」
『え、え?気持ち?いや?え?』
「いや、それはないでしょ。あれが演技なら久部くんに主演男優賞あげるわ」
「キスまでしたんだから責任取れってんだよ、あのへっぽこ」
『ちょちょちょ!え?!なんで、知ってるんですか!!』


焦った様子の私に、夕子さんとミコトさんが、あー、口滑っちゃった、なんてニヤリとする。あれ、夕子さん、ちょっと元気出た?よかった。…じゃなくて!



『…誰情報ですか、それ』
「六郎に吐かせたの」
『六郎くんが?!』
「ほら、雑居ビル火災の件がひと段落したあたりから久部くんと名前、なーんかよそよそしかったでしょ」
「それで、六郎に問い詰めたわけ」
『…もー、六郎くん、なんで素直に言っちゃうかなぁ、』


検査結果が記されている書類で顔を隠す。たしかに、あの時の私たちはよそよそしかった。それに、この2人が気づかないはずはない、と思ってたけど。まさか、六郎くん本人から聞き出していたとは…



「…久部くん、名前のことはちゃんと想ってたと思うよ」
『ミコトさん、』
「いやでもさ?あんな、へっぽこ忘れちゃっても良いんじゃない?名前、男見る目ないよ」
『それ、夕子さんにだけは言われたくないです』


私がそう言うと、ミコトさんも夕子さんも笑い出す。2人の笑顔が見れて、少しホッとした。このまま、うじうじしてても仕方がない。今夜、ちゃんと六郎くんに会いに行こう。



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『わー、意外と時間かかっちゃった』


論文を書くのに必要な文献を探していたら、結構な時間がかかってしまった。六郎くんに会いに行こう、と決めたのに連絡できず、時計の針は20時を過ぎてしまっていた。



「これを出せ。食中毒に関する記述は削除しておいた」
「…事実を曲げろ、ということですか」


オフィスに入ると、中堂さんとミコトさんの会話が聞こえて思わず足を止める。中堂さんがボツリヌス菌の記述を削除した鑑定書をミコトさんに渡す。静かに足音が聞こえたと思って、振り返ると神倉所長も2人の様子を伺っていた。



「事実は高瀬が殺したってことだ」


敵は不条理な死。いつかミコトさんが言っていた。殺人者を裁けない、これ以上の不条理があるか。そう言って、中堂さんはホワイトボードを叩く。ゆっくりと振り返って、私と所長に気づいた中堂さんは、鑑定書あげておきました。とだけ言ってオフィスを後にする。



『…中堂さん、!』


オフィスを出て行った中堂さんを足早に追いかける。私の声に中堂さんは振り向かず、その場に立ち止まった。


『中堂さんは、それで良いんですか?』
「俺は高瀬を裁けるなら、何でもする」
『…なんでも、』
「ああ、そうだ」


こちらを見ようとしなかった中堂さんが、ゆっくりと振り返って私と視線を合わせる。



「名字は、もう大丈夫だ」
『え?大丈夫って、』
「俺から教えることも、殆ど無いだろうな」
『…中堂さん?』


急にそんなことを言い出した中堂さんに、疑問と不安が私の中を駆け巡った。どうして、そんなことを言うんだろう。まるで、


「気をつけて帰れ」



どうしてか、引き止めなきゃいけない、と手を伸ばしたけど、中堂さんはあっという間に遠くへ行ってしまった。言いようのない不安が襲う。なんだか、もう中堂さんに会えなくなってしまうような、そんな気がしていた。



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