#76



中堂さんの様子が気になって仕方がないけれど、遅くまでラボにいても何もできないと感じ、重い足取りでラボを出た。どうにも胸騒ぎがする。それが何なのかわからない。だから、不安で嫌なことばかり考えてしまう。



『…六郎くん、いるかな』



ラボを出てすぐ、六郎くんに連絡してみたけれど応答はない。少し気持ちが折れてしまったけど、彼のアパートを以前教えてもらっていたから、その道をゆっくりと歩く。ふと、反対側の通りの本屋を見ると、入ってすぐの書籍の山に群がる人。…あの告白本か。


『あれ、?』


本屋の前の通りを歩いている茶色いコートを着た男性。…六郎くんだ。考えるよりも先に身体が動いて、彼の後を追う。広い店内をキョロキョロと見渡して、六郎くんを探すと、彼は週刊誌を手に取り、驚いた顔をしていた。




『…ろくろーくん』
「え?」
『あ。びっくりしてる』
「え、なんで、」


週刊誌を怖い顔して読んでいる六郎くんの肩をツンツンとして、名前を呼ぶ。私の顔を見て、目を大きく見開いた。口もポカーンとさせて、身体が固まっている姿を見て、クスリと小さく笑ってしまう。



『何読んでんの?…うわ、週刊ジャーナル』
「いや、あの、これは、」
『え、ちょっと待って、なにこれ』


六郎くんが読んでいた記事を一緒に覗くと、夕希子さんが"茶色い小鳥"の絵本を持って微笑んでいる写真が掲載されていた。


『ホステスとしての夜の顔…』
「こんな記事…みんなが傷つくだけなのに、」


記事の内容は、夕希子さんが高瀬事件の被害者ではないかということと、夜はホステスとしてアルバイトをしていたことなどプライバシーもへったくれもない内容で。悔しそうに呟いた六郎くんをチラリと横目で見る。



『六郎くん、これから時間ある?』
「え、あ…はい、」
『ちょっと私に付き合って』



そう言って六郎くんを本屋から連れ出す。どこに行こうか迷った挙句、以前六郎くんと2人で飲みに来た居酒屋へと向かった。



『お酒飲む?』
「いえ、今日は、」
『じゃあ、烏龍茶2つ』


居酒屋への道中はお互い無言だった。今、こうやってカウンター席に横並びしている時間も、以前来た時とは全く違う。



『…驚いたでしょ、私が声かけて来て』
「はい、すごく」


六郎くんが俯きながら苦笑いをする。すぐにやってきた烏龍茶を一口飲み込んで、ふぅっと深呼吸をした。



『酷いよねー、私に挨拶もなくUDI辞めちゃうんだもん』
「それは…すみません、ほんと、」
『ふふ、うそ。ごめん、ちょっと意地悪した』


とことん落ち込んでいる様子の六郎くんは、さっきから私の方を見ようともしないし、もちろん視線も合わさない。ふふ、っと笑った私を不思議に思ったのか、やっと彼が顔を上げた。


『週刊ジャーナルの件は…うん、まぁ、ショックだった』
「…はい、」
『でも、ちゃんと話しできなかったから。六郎くんと話したくて、』


たまたま本屋の前で見かけて、声をかけたと伝えると、六郎くんは、静かにそうだったんですね、と答えた。彼曰く、私からの連絡には気づいたけれど、応答するのに迷っていたら電話が切れてしまって、そのままだったらしい。



『まず…週刊ジャーナルはどのタイミングで辞めたの?』
「辞めたのは、ビル火災の件が解決して、父と話をした後、です」
『…ああ、あの時、』



割とつい最近だな、と思ってしまって少し胸に重い影ができる。しかも、あの時。私と六郎くんがキスをした時、まだ彼は週刊ジャーナルと繋がっていたことになる。


「信じてもらえないかもしれないですけど、」
『ん?』
「あの時、名前さんに帰る場所は実家だけじゃない。私が六郎くんの帰る場所になりたい、って言ってもらえて。すっごい嬉しくて、」
『…今聞くと、私すごい恥ずかしいこと言ってるね』
「それで、このままじゃダメだって。UDIで頑張りたい、って思って。次の日、編集部まで行って辞めてきたんです」
『そっか、』


烏龍茶が入っているグラスの氷が溶けて、カランっと音を立てる。ちゃんとして、名前さんよりもかっこよくなりますと、あの時言っていた彼の決意は、そういう事だったのか。



『私ね、今回のことがあって、今まで私が知ってた六郎くんって何だったんだろうって思った』
「…そうっすよね」
『六郎くんとたわいもない話して笑ったり、一緒にご飯食べたり、写真整理しながら中堂さんの愚痴聞いてもらったり。あれって、ぜーんぶUDIの情報得るためだったのかなって』
「いや、それは…!」
『うん、もうわかってる。そんなことないよね、違うって今日改めて会ってわかった。』


私の言葉に慌てて否定しようとした六郎くんの肩をポンポンっと優しく叩く。今日、久しぶり会って、わかった。六郎くんは何も変わってない。私が知っていたままの六郎くんだ。だから、


『…もう一回、信じるよ』
「え、」
『六郎くんのこと、信じたい』
「名前さん、」


六郎くんの目を見て、そう伝えると彼の瞳が揺れた。子犬みたい、なんて私が今思ってるのなんて彼は気づかないだろう。


『私ね、本当は少し気づいてたの』
「気づいてた?」
『六郎くん、たまに凄く難しそうな怖い顔してて。何か隠してるんだろうな、って。一回聞いたことあったでしょ?』
「そう、でしたね」
『あの時、勇気を振り絞って、六郎くんに問い詰めてたら、また何かが違ったのかな、って思ったりして』
「そんなことないです。今回の件は、全部俺が悪いんですから」
『まあ、否定はしない』


烏龍茶を一気に飲み干し、グラスをテーブルに置く。六郎くんに、ここへ来た時話したこと覚えてる?と聞いてみた。


「ここで…って、それこそ父の話とかしてた時でしたよね」
『うん、雑居ビル火災で身元不明者がたくさんいて、』
「…法医学で認めさせる、」
『そう。そして、法医学の力で全員の身元が判明した。』


ここ最近、色んなことが立て続けに起きていて、雑居ビル火災のことが昔のように感じる。まだあれから、そこまで日も経っていないというのに。


『私たちは、私たちの仕事をしよう』
「仕事…」
『今の六郎くんにだって、出来ることはあるはずだよ』
「…はい、」
『そしてさ、この事件が無事に終わったら、』



そこまで言って、言葉に詰まる。伝えても良いのだろうか。きっと夕子さんには呆れた顔をされてしまうに決まってる。だけど、ちゃんと自分でも区切りをつけなきゃ。そう思って、口を開けると六郎くんが「俺、」と話し出した。



「名前さんに、伝えたいことがあります」
『え、』
「…終わったら、聞いてくれますか」


真剣な顔つきで私を見る彼は、先程まで不安げに俯いていた人物と同じには見えないくらい、意志の強い声で、そう言った。うん、と小さな声で返事をすると、良かった。と安心したように笑って。


『…六郎くんが笑うと、安心する』
「え?」
『あー、こんなこと言ってたら夕子さんに呆れられるんだろうな、あー…』


頭を抱える私に、六郎くんはまた笑った。すいません、と笑う彼をみて、私も笑顔を浮かべる。私たちは私たちの仕事をしよう。やりきったら、六郎くんに伝えよう。そう思ったら、自然と背筋が伸びた。



「俺も一個だけ言って良いですか?」
『なに?』


みんなのこと裏切って、勝手に辞めた俺が言うのもおかしいと思うんですけど…と、言ってから、彼はこう言葉を続けた。



「もう、名前さんには会えないと思ってたんで、今日こうやって会って話せて、めちゃくちゃ嬉しいっす」
『…なにそれ、反則』


お酒も入っていないのに、顔が熱を帯びる。それは六郎くんも同じだったのか、頬に手を当て、さっきまで口をつけていなかった烏龍茶をゴクゴクと喉を鳴らして、飲み込んでいた。



「明日、文詠館に行って、あの記事のこと聞いて来ます」
『夕希子さんの写真まで載ってたもんね…』
「あんな記事載せるより、宍戸に本当のこと書くよう言うだけ言ってみます」
『うん、そうだね』


私たちにできることは微々たることなのかもしれない。だけど、それを積み重ねていくことによって、得られる何かもあると信じて。明日からは、しっかりと前を見据えていくんだ。




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