翌朝、六郎くんとの件は少しスッキリしたけれど、中堂さんのことを思い出し、また胸がぞわぞわした。朝一でラボに電話をしてみるけれど、誰も出ない。と、言うことは中堂さんはラボじゃなく、自宅に帰ってるはず。
『…行くか。』
スニーカーを履いて、家を出る。目指すは、中堂さんの家。正式には中堂さんの家の前…だけど。彼が何事もなく、ラボまで出勤してくれれば良いのだ。それが分かったら、私もなんてことない顔で出勤できる。でも、もし。中堂さんが何かしらの行動を示すなら、今日な気がして、彼の行動を尾行することにした。
『これ、バレたらストーカーだよなぁ』
中堂さんの家の前に到着し、時刻は7時を回ったところだ。彼の家が見える少し遠い位置に隠れ、様子を伺う。ここへ来る前に買っておいたコーヒー牛乳と、ジャムパンを口に運びながら、中堂さんが出て来るのを待った。
『あ、きた!』
ジャムパンも食べ終わり、コーヒー牛乳を飲み切った直後、見慣れたモスグリーンのコートを着た中堂さんが家から出てきた。自分の時計を見る。8時12分。…ラボへはそう遠くないけど、自宅を出るにしちゃ少し遅い気がする。
『気づかれないよーに、』
少し距離を置いて、中堂さんの後ろを追う。今はちょうど通勤時間だからか、私が中堂さんの後ろを歩いても不思議に思う人はいない。チラチラ時計を見ながら足を進めるけど、少し急がないと始業時間に間に合わなさそうだ。
『中堂さんって、遅刻したことあったっけ…』
今日は午後出じゃないし、今まで何度か自宅に帰っていた中堂さんが遅刻したことはなかったはず。このままじゃ私も遅刻決定なので、中堂さんから更に距離をとって神倉所長に電話をしようと携帯を取り出した瞬間、曲がるはずのない角で中堂さんが曲がった。
『…なんで、こっち?』
携帯を上着のポケットに戻し、慌てて同じ角を曲がる。気怠げに歩いている中堂さんを見つけて、ホッとしたのも一瞬で、こっちは明らかにラボの方向じゃない。また、胸の奥が騒めいた。
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その後、公共交通機関を使用しラボとは正反対の駅で降り立つ。一体、ここに何の用が?疑問を抱えたまま、モスグリーンのコートを目印に後を追った。
『…お腹も空いたし、』
いつの間にか時刻は昼を過ぎていて、ため息が出た。中堂さんは、何処かで食事をするわけでもなく、ただひたすら歩く。目の前を歩く中堂さんが一旦コンビニに入ったのを見て、そういえば…と携帯を見るとラボからの着信が数件。やばい。これ、無断欠勤になってるんじゃないの?コンビニの入り口を遠目で見つつ、スマホを操作してラボへ電話をかけた。
『あ、もしもし名字です。あ、夕子さん?』
電話を取ってくれたのは夕子さんで、体調でも悪いのか?と聞かれた。とりあえず、そういう事にしておいてください、と告げると、どういうこと?!と声を上げた夕子さんに心で、ごめんなさいと謝ってから電話を切った。
『…それにしても、中堂さん遅くない?』
コンビニに入って30分以上が経過した。時計もおやつの時間をさそうとしている。トイレにしては長いし、何かを慎重に選ぶタイプでもない。もしかして…と、顔が青ざめる。コンビニに静かに入り、店内を探した。
『いない、…うそ、』
店内に入って気づいたけれど、ここのコンビニは出入り口がもう一つあった。私からは見えない、反対側の通りに面しているようだ。
『あ、あの!30分ほど前にきた、モスグリーンのコートで背が高くて、髪の毛がモサって重めな男の人!いつ、ここでましたか?!』
「え、…あー、その方なら確か、店内をぐるっとして、すぐ、そこから出てきましたけど」
『そこ、って、』
「そこの、出入り口ですけど」
店員さんに聞くと、中堂さんは私から見えない方の出入り口からすぐに出て行っていたらしい。慌てて、私もそこからコンビニを出る。中堂さんを見失ってから、もう少しで1時間経ってしまう。1時間もあれば、やろうと思えばなんでも出来る。…どうしよう、と思ったら携帯が震えた。
『な、かどうさん…!』
着信は中堂さんからで、すぐスマホの画面をスライドする。私の第一声は、どこにいるんですか、と情けないほど震えていた。
「名字、お前、尾行クッソ下手くそだな」
『え、』
「バレバレなんだよ、馬鹿」
『うそー…』
中堂さんは、私が尾行していることに気づいていたらしい。絶対バレてない、と思ったのに。身体の力が抜けて、近くの電柱に寄りかかってしゃがみこんだ。
『いま、どこですか?』
「悪いが、言えない」
『…中堂さん、』
「俺はもうお前の上司でもなんでもない」
『え、』
「昨日付の俺の退職願。場所は三澄に教えてある」
退職願…?頭が真っ白になって、唇が乾く。聞きたいことはたくさんある。なのに、私は中堂さんからの言葉に耳を傾けることしかできなかった。
『なんで、』
「悪いな」
『なかどうさ、』
彼はそう一言告げて、電話を切った。耳には、着信が切れた無機質な音が響いていた。
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