#81



高瀬の裁判の日。ミコトさんは検察側の証人として、糀谷夕希子さんの再解剖結果を報告することになっていた。外にはたくさんマスコミが来ているし、傍聴席も満席。中堂さんの隣に座り、辺りを見回すと少し離れたところに六郎くんも座っていた。



「被告人は内見中のアパートの室内において、糀谷夕希子さんの顔面を殴打し、気を失わせた後、致死量以上のニコチンを注射し、殺害。その後、遺体を練馬区のスクラップ置き場に運び遺棄しました」



烏田検事が答弁している間、後ろからドアの開く音が小さく聴こえ、振り返る。そこには数日前に会った宍戸の姿が見えた。夕希子さんの殺害だけではなく、他の殺害されたとされる方々の事件内容を話しても、高瀬は表情一つ変えず、全てを否認する。



「糀谷夕希子さんなんて人は知らないし、会ったこともありません」
『…うそつき、』
「僕は誰も殺してません」


高瀬の後ろ姿を睨みつけても、胸のイライラは鎮まることを知らない。思わず、心の声がポツリと出てしまったけれど、わたしの独り言など誰の耳にも届いていないだろう。


『ミコトさん、』
「…行ってくる」


証人として、ミコトさんが答弁する番になった。緊張気味のミコトさんも、しっかりと前を見据えている。今から法医学で、高瀬を裁く。彼女の強い気持ちは、目を見たらすぐにわかるくらいだった。


「被害者は殺された時、このゴムボールを口に押し込まれたと考えて差し支えないでしょうか?」
「はい。糀谷夕希子さんの口の中の粘膜が剥がれて出来た炎症の形と一致します」
「異議あり!ボールの現物がない以上、想像に過ぎません」


弁護側がそう主張した時に、視界の片隅にいた宍戸が何度も頷いているのが見えた。あの時、硫酸まみれになってしまわなければ、あのボールも証拠として提出できたのに、そう思って唇を噛みしめる。


「それでは質問を変えます。供述明確化のため、検察官請求証拠甲第22号証を示します」


画面に映し出されたのは、幼少期の高瀬と母親の写真。さらに、当時の児童相談所の記録が証拠として出される。高瀬の母親はしつけと称して、口にゴムボールを押し込んだと記されていた。弁護側は虐待と今回の件は関連がない、と異議を申し立てる。



「被害者の口の中の炎症だけでは、被告人との関連を証明できません」
「証明できます」


凛としたミコトさんの声が、裁判所内をざわつかせた。自分の口角が少しあがる。裁判長が弁護側の意義を棄却し、烏田検事が話し出した。


「被告人と被害者はどう結びつくのでしょうか」
「アメリカから運んだ糀谷夕希子さんのご遺体を調べ直したところ、ある男性のDNAが検出されました」

「ほう。被害者の遺体は8年前にも法医学鑑定を受けています。その時は何も発見されませんでしたが」

「今回使用したのはID Plusという判定キットで、8年前には存在しなかった新しい技術です」


いつだか裁判で中堂さんが言っていた。法医学は常に進化している。それを証明する機会がやってきたのだ。ID PlusはPCR阻害物質の影響を受けにくく、わずかな細胞レベルからDNAを検出できる代物。



「えー、そのDNAは誰のものだったのでしょうか」
「…被告人、高瀬文人のDNAと一致しました」



ミコトさんがそう告げた瞬間、先ほど以上に裁判所内が騒めいた。高瀬も少し顔色を変え、ミコトさんをじっと見ている。頑張れ、ミコトさん。両手をぎゅっと握りしめて、力を込めた。


「そのDNAは、どこから検出されたものでしょうか?」
「歯の裏側です」
「ゴムボールを口に押し込む際、歯に指を引っ掛けた」
「そう考えられます」


夕希子さんの再解剖で分かったこと。彼女の体内から高瀬のDNAが検出された。これは、彼女のことを知らない、とシラを切っていた高瀬と関連があるという事実だ。


「つまり、被告人は自分が受けた虐待と同じことを被害者に行い殺害することで、亡き母親への恨みを晴らそうとした」
「テンプレですね、何も分かっちゃいない」



烏田検事の言葉に奇妙な笑い声を上げてから、そう答えた高瀬に背筋がゾッとする。この期に及んで彼は自分の罪を認めようとしない。そして、全く自分が"悪"だと思っていない姿に、嫌悪感を隠せないでいると、ミコトさんが改めて烏田検事へと向き直した。



「うん?三澄先生、他に何か言っておくべきことがあるんでしょうか?」
「はい。被害者の口の中には、被告人のDNAが付着していた。これは、言い逃れようのない事実です。」


ミコトさんがゆっくりと話し出す内容に、ここにいる全ての人が耳を傾ける。法医学者の仕事は、ご遺体を調べ、検査し、正確な死因を把握し、事実を鑑定書に書くこと。


「もちろん、そこには犯人の感情や気持ちなんて書かれていません。ご遺体を前にしてあるのは、ただ命を奪ったという取り返しのつかない事実だけです」


UDIラボに勤めてから、色々なご遺体と向き合ってきた。事故だったり、事件だったり。何故、という行き場の無い悲しさに出会う回数はとても多い。



「犯人の気持ちなんて分かりはしないし、あなたのことを理解する必要なんてない」



高瀬をまるで汚いものでも見るような視線で、言い切ったミコトさん。彼女の言う通り。高瀬の気持ちなんて分からないし、分かりたくもない。理解できない。理解したくない。これが本音だ。



「不幸な生い立ちなんて興味はないし、動機だってどうだっていい。」


高瀬も、ミコトさんをじっと見つめる。その表情はどこか小さく怒っているようにも見えるし、哀しんでいるようにも見えた。


「ただ、同情はしてしまいます。この可哀想な被告人に。被告人は今もなお、死んだ母親の幻影に苦しめられてます!30歳を過ぎてもなお、子供の頃のまんまなんです!」
「…黙れ、」
「誰も彼を救えなかった!」
「黙れ、黙れ、」
「あなたも、自分自身を救えなかった」
「黙れ、」
「…あなたの孤独に、心から同情します」



ミコトさんがまくし立てると、高瀬は今までにない反応を示す。同情する、と言って高瀬にお辞儀をするミコトさんの姿を見て、握りしめていた両手をさらにぎゅっと力を入れた。



「…やりたくてやった」



裁判所内に高瀬の声が響いた。周囲はざわめいたけれど、決して高瀬から視線を動かさず一語一句聞き逃さないようにと、見つめる。


「誰に言われたわけでもない。殺したくて、殺した」

『…認めた、』

「母親は関係ない!26人!誰も真似できない!俺はやり遂げた!26人だ!俺はやり遂げたんだ!」


隣に座っていた中堂さんの口元に置かれた拳が、ぎゅっと強く握りしめられた。高瀬が犯行を認めた。夕希子さんを殺した犯人がわかった、ということだ。表しようのない気持ちが私の中でも生まれる。



「俺にしかできなかった!俺はやり遂げたんだ!俺は可哀想じゃない!俺にしかできなかった!」


ミコトさんが、ゆっくりと顔を上げる。その表情は、やり終えたスッキリした顔や犯行を認めさせた嬉しさや、色んなものが入り混じっていたように思う。プライドの高い高瀬には"可哀想"という言葉こそ、とても有効だったのだ。



『…所長に、連絡してきます』


心を落ち着かせて、所長に連絡しようと席を立つ。扉の方を見ると、誰かを追って六郎くんが飛び出ていった。周囲を見渡して、宍戸がいないことに気づく。自分の荷物を肩にかけて、UDIラボに電話をしながら、彼の背中を追った。



『あ、所長!名字です!高瀬、犯行を認めました!はい、そうです。え?毛利さんが?』


1コールで電話に出た相手は、神倉所長で。きっと誰よりも電話を待っていたに違いない。高瀬が犯行を認めたことを伝えると、先程毛利さんから連絡があったらしい。所長との電話を切り、六郎くんに伝えようと彼の背中を叩く。



『六郎くん、』
「え、名前さん?」
『宍戸に殺人幇助の逮捕状が出た。もうすぐ毛利さんたちがくる』
「え?本当ですか、あ、ちょ、ちょっと待ってください、」


六郎くんが慌てて、スマホを操作し電話をかけ始める。宍戸を見失わないように、と背中を睨むように見つめると、見慣れた毛利さんと向島さんの姿が視界に入ってきた。



「宍戸理一さん。殺人幇助で逮捕状が出ました。大崎めぐみさんが殺害されたアパートから、あなたの毛髪が出たんです」
「殺人幇助ってのは、殺人行為を手伝った場合のことでしょ」


六郎くんが電話をしている相手は"末次さん"らしい。…週刊ジャーナルの人か、と納得する。これはきっと、週刊誌にとっちゃ大スクープになるものだ。


「私は取材をしていただけです。ライオンに食われるシマウマを撮影するカメラマン。あれと同じ」
「おい、向島」
「はい」
「ここはサバンナだったか?」
「東京ですよ」


毛利さんの質問に、普通に答える向島さん。いつも通り過ぎる2人に小さく笑い声が漏れた。本当にこの2人は名コンビだと思う。


「そういうこと言ってんじゃねぇんだよ、お前!ここは野生動物の世界かどうかって聞いてんだ」
「に、に、人間の世界!」
「そうだろ!…人間界にはな、刑法ってもんがあるんだよ。」


さっきまで、ふざけていたとは思えないほどキリッときた刑事の顔で、毛利さんは宍戸に手錠をかけた。その瞬間、カメラのシャッター音が鳴り響く。"末次さん"と思われる人ともう1人。六郎くんの電話を聞きつけて、やってきたのだ。撮るならちゃんと撮れ、という宍戸の姿を何枚もおさえている。


「スクープの瞬間、あっゲッツ!」
「ゲッツ古いっすよ、え〜」
「…読者が読みたい記事、ナンバーワン。高瀬事件の真実。これ、売れちゃうかもねぇ」


こちらを向いて、笑顔で六郎くんにそう言った末次さん。きっと、彼がこの事件についての真実を、しっかりと文字で伝えてくれるんだろう。優しく笑みを返す六郎くんの姿を隣で見て、緊張の糸を張り巡らせていた私も、胸を撫で下ろした。



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