『私って中堂さんのこと何も知らなかったんだなぁって』
『え、後任が決まった?』
「はい、実は以前もUDIラボに勤めていた臨床技師さんで…」
中堂さんとのことがあり、ぼーっとしながら仕事をしていたら神倉所長に呼ばれた。中堂さんの住処になりつつある所長室に足を踏み入れると、私の後任の臨床技師が決まったことを告げられる。いや、私はもともと臨時できていたわけだから、後任という言葉はおかしいのかもしれない。
「…名字さん?」
『え、あ、ああ。すみません、えっと…それで、私はいつまで?』
「UDIに勤務できそうなのが2週間後らしいので、その辺りまでは名字さんにもUDIで頑張ってもらいたいと思ってるのですが…」
『2週間後…そうですか、わかりました』
「名字さんのもともとの勤め先には私の方から連絡しておきます」
神倉所長にぺこり、と頭を下げて所長室を後にする。三澄班は警察からの連絡で臨場要請が入り、事務所にはいないからなのか、今は無性に東海林先輩とミコトさんの笑った顔が見たいと思ってしまった。
中堂さんの姿も見えなくて、内勤の人ばかりの事務所は気分がどんどん落ちていく。もしかしなくても、最近、私は中堂さんに避けられている…と思う。仕事中は普通だけど。きっと。
「名字さん、中堂さんは?!」
『え、いや、見当たらなくて…また、中堂さんが何か?』
「赤い金魚が見つかって!…と、とにかく中堂さんを探して解剖室まで連れてきて下さい!」
『え、あ、はい』
先ほどとは打って変わって慌てた様子の神倉所長に疑問を持つ。まず、一言目に言った《赤い金魚》って何?まさか、中堂さんのペット?…いやいや、彼の部屋は生活感がまるで無かったし。キョロキョロとオフィス内を小走りで中堂さんの姿を探すけど、見当たらないためアナウンスをかけることにした。至急、解剖室まで。これで彼は急な解剖が入ったと舌打ちをしながらやってくるだろう。
『あ!中堂さん!』
「あ?」
『いま!アナウンスしたの聞きました?』
「ああ、急な解剖か?せっかく昼食おうとしてたのにクソ」
『いや、実はよくわからなくて。神倉さんが赤い金魚を見つけたとか、って、』
気だるそうに歩く後ろ姿を見つけて、駆け寄る。アナウンスした直後に見つけるとは思わず、内心ドキドキしているのに平静を装って声をかけた。
私の予想通り面倒臭そうな顔をしていた中堂さんと、解剖室へ足を運んでいる途中《赤い金魚》というワードを出した瞬間、彼が目を見張った。
「それは、本当か」
『え?』
「…早く言え!!クソが!!」
『え、え、中堂さん?!』
急に立ち止まったかと思えば、私を怒鳴りつけてすぐに走り出す。そんな中堂さんの姿に面食らって、私は動けないでいた。どういうこと?考えてもわからないから、とりあえず解剖室に行かなきゃいけない。きっと、答えはそこにある。力の入らない足をどうにか動かして私が解剖室に着いた頃、中堂さんとミコトさんが言い合いをして、解剖が始まるところだった。
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『…どういうこと、なんですか』
「私も正直、さっぱり」
無事に解剖を終え、東海林先輩と研究室へと向かう。解剖での試料をなるべく早く鑑定するため、私も東海林先輩の手伝いをすることになったのだけれど、いまいち状況がつかめずにいた。
「中堂さんは亡くなった恋人の口内に赤い金魚を見つけて、それと同じ痕をつけたご遺体を探してた…ってことだよね?今までにも2人見つけてたって。ようは連続殺人ってこと?」
『…なんですかねぇ』
スポイトを取る手を止めて、大きなため息をついた。知らなかった、そんなこと。中堂さんの恋人が7年前、亡くなっていたこと。その恋人の解剖を中堂さんがしたこと。それで一時は警察で事情聴取されていたこと。私たちには内緒で同じ赤い金魚の痕をつけたご遺体を探していたこと。何もかもが知らないことばかり。
『…結局、』
「ん?」
『私って、中堂さんのこと何も知らなかったんだなぁって』
「それはさ、ほら。中堂さん、自分からペラペラ話すタイプじゃないし」
でも、ミコトさんには全部話してましたよ。という言葉は喉まで出かかったけれど、飲み込んだ。こんな時にまで嫉妬している自分が嫌になる。中堂さんを好きだと自覚してから、小さなことでも幸せを感じていたのに、胸のあたりに黒いモヤモヤがずっとかかっている気がした。きっと、私の醜い感情。
『中堂さんは、この7年間どんな思いで過ごしてきたんでしょう』
私の問いかけに、東海林先輩は答えなかった。答えられなかったんだと思う。私たちからは考えられないほどの壮絶な経験と、記憶と共に生きてきた中堂さんは、今何を思っているのか。好きなはずなのに、好きな相手のことがわからないなんて。鼻がツンとして涙が滲みそうなのを誤魔化して、私は顕微鏡へと顔を近づけた。
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