東海道-土山宿→水口宿



「暇だな。また賭けでもするか?」
「絶対にしませんから!」


 土山宿を出立した風間は退屈そうに歩きながら千鶴に賭けをしようと申し込んでくるが、あの時の事を思い出すと、自分は一生、隣を歩くこの男に勝つ事ができないのではないか。そうであれば毎回悔しい思いや願いをも聞いてもらえない為に損をするのは自分だと考えた千鶴は、風間からのその申込みをしっかりと拒絶していた。


「しかし、旅には少しくらいの刺激がなければ面白味がないではないか?」


 風間が大欠伸をしながら言葉を返してくるが、千鶴はツンッとしながら顔を風間から背けた。


「そうですか? 私はこの旅を十分に楽しんでいますから、賭けなどはしなくても結構です」


「ふん、そうか……」


 どうしても賭けをしたい風間とそれをしたくない千鶴は、それをするかしないかの言い合いをしながら松尾川(野洲川)を渡し船で渡って行った。


 松尾川を渡り、歩いて行くと垂水斎王頓宮の前に到着した。ここは今日から伊勢までの斎王群行が五泊六日掛かった為に勢多、甲賀、垂水、鈴鹿、一志に頓宮(仮の宮・行宮)が置かれたその一つである。


 寂しげな所であり、華やかだった京の都から離れ、伊勢までの長い道中で斎王となる皇女はどのような思いでこの頓宮へ泊まったのだろうかと思えるほどだった。


 そのような情景を思い起こさせるような歌も残っているくらいだ。


 僅か九歳で斉王となり伊勢へ下り、四十年後に付き添いとして鈴鹿峠を越えて、この地を訪れた斎宮女御の微子(きし)女王は、


 世にふれば 又も超えけり 鈴鹿山 昔の今に あるにやあるらん


「世に生きながらえると、又も超えることよ。鈴鹿山を。昔が今になるのであろうか……。私も再びこの峠を越える時があるのかな?」


 風間からその歌を聞いた後にそれを今の言葉に訳している中に少し江戸が恋しくなった千鶴がボソッと呟くと、その横で聞いていた風間は千鶴の江戸を恋しがる気持ちに気付いたようだ。


「江戸が恋しくなったのか? お前が俺と喧嘩をして家出する時にはいずれこの峠を通るやもしれんな。しかし、お前の隣にこのような素晴らしく、立派な男がおるのにも関わらず、江戸を恋しがるとは……」


「素晴らしい男? 立派な男?」


 それに納得できないような態度を見せる千鶴に風間は不満な表情をあからさまに向けてきた。


「何か文句があるのか? 俺はこのように素晴らしく立派な男であろうが……」


 風間の自惚れに一息吐いた千鶴は、


「先を急ぎましょう……」


 と話を変え、その態度に一層不満を募らせた風間はぶちぶちと文句を垂れていた。


「全く……俺はお前には勿体無いくらいの男だぞ……」


 自惚れ男鬼とその言葉を冷ややかに受け止める女鬼は、松並木の続く反野畷を歩んで行った。


 暫く歩いて行くと、岩神社と呼ばれる場所の大きな石の前で生まれたての小さな赤子を抱いた母親が数人立っていた。


「何をしているんでしょう? こんな寒空の中であんな事をしていたら赤子が風邪を引いてしまいますよ」


 千鶴が心配そうに言うのを他所に、風間はその女たちの所に近付いて行き、何やらもそもそと話しをしている。


 話しが終わったのか、女たちの中の一人が風間に一礼をするとそそくさと自分の家へと戻って行ってしまった。よく見てみると周りでも赤子を抱いた母親に話し掛けている数人の旅人たちが目に付き、難しい顔をしながら赤子を見つめて何か考えているようだった。


「何を話していたんですか?」


 千鶴は、一人の女と話し終えて戻ってきた風間に訊ねてみると、興味深い話を聞く事ができた。


「ここは岩神社と言うが社はない。この地はかつて野洲川に面して巨岩、奇岩が多く、景勝の地として知られてきた。その為、この村の者たちは社を作らずに岩を祭っているのだ。村人は赤子が生まれると、あの岩の前に抱いて立ち、旅人に頼んでその赤子の名を決めてもらう習慣があるのだ」
「両親が決めるのではなく、旅人が名を決めるのですか? では千景さんは先程の赤子に名を付けてあげたんですか?」


 驚く千鶴に風間が頷いた。


「鬼の頭領に名前を付けてもらうとは、運の良い赤子だ」


 風間は楽しそうに笑いながら先を歩こうとするのを見ていた千鶴は、いきなり不安を覚えた。名前を付けるには暫し考える時間があるはずなのに、それに、千鶴が見る限り、先ほどからの数人の旅人たちは未だに首を捻りながら目の前の赤子の名前を考えるのに苦労をしている。しかし、この風間は考える時間もなく、即決のような感じであの赤子に名前を付けていた。


「千景さん……あの赤子の名を何と付けたのですか?」


 何となく嫌な予感を覚えた千鶴が恐る恐る尋ねてみると、風間は北の方向に視線を流しながら答えてきた。


「面倒臭かったからな、男の赤子であったから【歳三】と付けてやった」


 千鶴は何も言う事ができなかった。幾ら面倒臭いとは言え、あの鬼の副長と呼ばれた男の名を付けるとは――。そして、再び千鶴の脳裏に不安が過(よ)ぎる。


「あの……まさか、私たちの間に赤子が生まれたとしたら……面倒臭いからって言ってそんな風に名を付けるんですか?」


 千鶴の不安そうな顔見た風間が真面目な表情で近付いて来る。そして唇が重なる寸での所でその動きは止まった。


「……当たり前だろう」
「へえぇっ!?」


 千鶴が更に驚きの表情を見せた途端、風間の真面目な顔が綻んだ。


「馬鹿が……俺が我が子にいい加減な名を付ける訳がなかろう」


 またからかわれた――


 近くにある風間の顔を驚きいっぱいの表情で見つめていた蜜色の瞳には、次第に睨みのある色に変わっていた。


「千景さんは、子が生まれたらどのような名を付けるんですか?」


 からかわれたと分かっていながらも先程の【面倒臭い】という言葉が気になった千鶴は、自分の子ならばどのような名前を付けるのだろうかと確かめたくなっていた。


 暫く考え込みながら歩く風間を見た千鶴はホッと安堵の溜め息を吐く。


 良かった、自分の子ならやっぱりちゃんと考えるんだ――


 そして、心臓の鼓動を早打ちさせながら喜びのある言葉を待つ事暫く――。


「……分からん」
「えっ、分からんって……?」


 風間ならばきっと良い名をすぐに考え出すだろうと思っていた千鶴は、期待外れの言葉を聞いて目を白黒させた。


「お前の腹の中に赤子が宿っているのならば、無事にこの世に生まれ出たのならば考えもできるだろうがな。そのような予兆も何もないのに考えろと言われても想像がつかん」
「想像がつかんって……。もしも男子だったらとか、女子だったらとかって考えてみて下さいよ」
「子を成す行為もしておらんのに考えろと言われても困ると言っておるのだ。それに、俺はまだ子は要らん」
「子は要らんって……純血の鬼の子孫を残すのも頭領の仕事の中ではなかったのですか? 二条城で私を浚いに来た時にそのような意味合いの事を言っていたじゃありませんか?」


 風間は千鶴を一瞥すると、もうすぐ春が訪れるのか、心地良く感じる柔らかな風に金髪の髪の毛を靡かせながら空を仰いだ。


「西に着き祝言を挙げた後は、暫くお前と二人の生活を楽しみたいからな。だからまだ子は要らん」


 その言葉にトクン――と千鶴の心臓が一唸りを起こした。


「鬼の生とは人間よりも長いものだ。時もゆっくりと流れる。そんな中で二人でのんびりと暮らし、その流れで子ができれば良い」


 今まで自分の内情をあまり話す事のなかった風間の本音を、千鶴はこの時になって初めて聞いたような気がした――。


 二人は水口(大岡)城の西側の城下町の水口宿に入って行った。この宿場は道が鍵の手(三筋に分岐した形)になっており複雑に入り組んだ場所である。その道の東側には水口(大岡)城跡の山、大岡山(古城山)がある。


 この水口(大岡)城は、天正十三年に豊臣秀吉が家臣の中村一氏に命じて築かせた城であり、その頃から水口宿の町割りなども整備されていったらしい。三層天守閣の城は、彦根城に劣らぬ景観だったと言われているが、関ヶ原の戦で落城し破却されてしまった。今ではその美しい景観も消え去ってしまい、残るはこの山のみになってしまった。


 今まで栄華の後の落ちぶれた景観や名所を見て来た千鶴は、新しい時代が訪れているのを再度認識させられ、小さな溜め息を外に投じていた。


「この先はのんびりと旅をするか……」


 今までもかなりのんびりと旅をしてきたが、更にそれをすると風間は言いながらある一軒の酒蔵の中へ入って行こうとした。


「またお酒を呑むんですか?」


 千鶴が厳しい目付きをしながら風間に問うと、


「俺の楽しみの一つに文句を付けるな」


 と文句を返してくる。


「酒に強いのは分かりますが呑み過ぎですよ!」


 と、千鶴も言い返せば、


「呑み過ぎてはおらん、俺にとっては普通の量だ」


 と、またまた言い返してきた。


 二人の言い合いが蔵の中まで聞こえていたのだろう。店の中から主が出て来て、


「いらっしゃいませ……」


 と言い難そうに声を掛けてきた。いい頃合いに出て来てくれたものだと笑みを浮かべた風間は、


「酒を買いに来た」


 そう言うと、千鶴に何も言わせないかのように手を握って無理矢理その蔵の中へとそこの主の後ろを付いて入って行った。


 この蔵元は【北島酒造】といって、江戸時代から続く老舗である。創業は文化二年と古く、搾ったそのままの一番酒【御代栄】が多くの旅人たちに好まれている。


 風間に引き込まれて蔵に入った千鶴は、蔵の中のひんやりとした空気に混じる麹の匂いだけで頭がくらくらになりそうな程だった。その目の前では風間が主に試し酒を勧められている。


「やはり、搾りたての一番酒は美味いな」


 風間は満足気な表情で試し酒を終えると、


「これを貰おう……」


 と主に伝えて、絞りたての一番酒を大きな徳利二本に入れてもらっていた。


 もう、あんな大きな徳利で二本も買うなんて――


 千鶴が不機嫌さを表しながらその光景を見つめていると、その蔵の主が千鶴にも試し酒を勧めてきた。


「奥方もいかがですか?」
「えっ、今何て言いました!?」
「えっ、あの……奥方ではないのですか?」
「は? 私が奥方? 一体誰の……?」
「ですから、この旦那さまの……」


 いきなり聞きなれない言葉に驚いて問いを繰り返す千鶴を見ていた主は不思議そうな顔をして、


「あなたは、この旦那さまの奥方ではいらっしゃらないんですか?」


 と千鶴に問いかけてくる。どう答えようかと迷っていると、横から風間が千鶴の腰に手を回してきた。


「悪いが、こやつは酒が呑めなくてな。それで返事に困っていたようだ」
「あっ、そうだったのですか。それはそれは失礼致しました」


 主はニッコリと商売笑顔を出すと、有難うございましたと、店の前まで送り出してくれた。


「いい加減に、あのような問い掛けにも慣れろ」


 腰に手を回したままの風間が拗ねたような声音で言ってくる。


「だ、だって……まだ千景さんの奥方になっていないんですもの」


 千鶴が人差し指の両先をつんつんとぶつけながら口元を尖らすと、今度は大きな溜め息を放つ風間が腰に回していた片腕に少しだけ力を強めた。


「先達て伝えたはずだ。ここまで来れば我が妻同然である上に西に着いてから、その自覚を持つのは遅いとな」
「しゅ、祝言も上げてないのに妻の自覚なんてどうやって持ったらいいんですか?」
「ふん! それくらい己のそのゆるゆるの頭で考えろ」
「ゆ、ゆるゆるって……私の頭の中はそんなに弛んでなんかいませんから!」
「弛んでいるから、あそこでも返事に戸惑うのであろう」
「戸惑うのが当たり前です!」


 妻の自覚とやら何やらで再び蔵の前から言い合いをしながら去って行く二人の後ろ姿をずっと見送っていた蔵の主は珍しいものを見たような表情で呟いた。


「可笑しな夫婦もいるものだ……まるで夫婦萬歳(まんざい)のようだな」


 旅籠に着いた二人。風間は部屋に入るなり、先程買った地酒を大きな湯呑に入れて飲み始めた。


「蔵元でも飲んだが、やはり美味いな」


 褒め言葉を連発しながら次々に徳利から湯呑にその酒を注いでいく。そして飲みながら考えていたのか、千鶴に酒を呑むとどうなるのかと、いきなり訊ねてきた。


「お酒を飲んだ事がないので、どうなるか分からないんです」


 千鶴がそう答えると、風間は暫くの間、無言のままで湯呑の中の酒を飲み干した。


「……呑んでみるか?」


 湯呑に少しだけ入れた酒を千鶴の方に差し出す。それに両手を振りながら断るが、どうも飲ませたいらしい――


 いきなり千鶴を抱き寄せた風間は、口移しでその酒を千鶴の口の中に注ぎ込んだ。


「うっ、げほっ……げほっ! な、何をするんですか!?」


 酒のきつい香りと味に咽た千鶴が顔を真っ赤にさせて怒るが、風間は飲んだ後の千鶴の反応を観察しているようで黙ったままこちらを見つめている。


「……ひ、ひくっ……ひっく……!」


 いきなり千鶴の喉奥から痙攣のような引き攣り音が漏れ始める。それを聞いた風間が驚きの表情を起こした。


「まさかとは思うが、もう酔い出しておるのか?」
「何を……ひくっ! 言ってるん……ひいぃっく! でしゅか?」


 千鶴の蜜色の瞳は既にトロンと締りをなくし、頬は童のような紅色を浮き立たせていた。


「……これは一興だな。もう少し飲ませてみるか」


 千鶴の酔った時の話し方に興を示したのか、風間は楽しそうに目を細めながら千鶴の口の中にその酒を含ませる。


「や、ひっく! 止めてくらしゃい……ひっくっ!」


 風間の腕から必死に逃れようとするが、たったあれだけの酒で酔ってしまった千鶴の身体は力が入らず、再び口内に酒を注ぎ込まれてしまった。


「や……ん……ひいいぃっく!」


 二度目の酒を注ぎ込まれた千鶴は完全に酔ってしまっており、風間の腕の中で力を落とし切ってしまっていた。


 空ろだが艶のある瞳が酒によっていつもとは異なる輝きを放ち、身体が動く毎に女鬼特有の男を引き寄せるような色香が強く漂ってくる。そんな千鶴が無言のままで自分に見惚れている風間の首に両腕を絡ませてきた。


「千景しゃん……意外と……お酒美味ちいでしゅね……」


 唇にくっ付きそうな程の距離まで自分の顔を近付けてくる千鶴に、少し躊躇いの色を浮かばせる風間は後悔をした。


 飲ませるべきではなかった――


 しかしそう思うも後悔既に遅し――。


 風間の目の前には二ヒッと笑う真っ赤な顔の小さな鬼がいる。よく見てみると額近くの漆黒の髪の毛の中から小さな角が現れていた。その二本の可愛らしい角は風間は勿論、千鶴本人も見た事がない代物である。しかし、このような物を出され、人間に見つかっては困る。


「おいっ、千鶴……角を隠せ」


 春に筑紫が出てくるように、にょきにょきと現れ出てくる角を掌で覆い隠そうとする風間に、千鶴は口付けを施し始めた。


「むむっ……!」


 その合間に千鶴の片方の手がいきなりの口付けで驚いている風間の股間の辺りを弄り始める。


 こやつの酒癖の悪さは酷い――


 風間は押さえ切れなくなる本能を無理矢理に閉じ込めると、千鶴の腹中央に一発の拳を投げ入れた。


「ううっ……!」


 鈍い苦痛の唸り声を上げながら風間の腕の中に崩れ落ちる千鶴。意識を失うと共に生え始めようとしていた角が再びゆっくりと元の位置にのめり込むようにして沈んでいった。



「この道中では二度とお前には酒は飲まさん。まさか角が出るとは思わなんだが、成る程……一つだけ分かった事がある。千鶴は酒を呑むと積極的な女になるのだな」


 風間は未だに股間の辺りに残る刺激を感じながらぐったりとしていたが、西に着いたらもう一度千鶴に酒を飲ませてみよう。



 もう一つ、千鶴の中に新たな発見をした風間であった――。


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