東海道-水口宿→石部宿



 翌朝、風間に拳を入れられ、その後は酒の力で朝まで熟睡ができた千鶴は爽やかな朝を迎えていた。


「ああっ、よく寝た!」


 隣を見てみると、いつもなら千鶴より早く目覚める風間が珍しく寝ているようだ。千鶴は寝ている風間の金髪の髪の毛の中にそっと指を梳かし入れた。


 さらさらと流れるように艶のある黄金の髪た朝日に照らされて輝いている。


「綺麗……」


 ふんわりと微笑みながら手櫛を繰り返す千鶴の指の心地良さに、風間は暫くの間寝た振りをしている。


 昨日の事は千鶴には黙っておこう――


 風間は西の里に到着してからの楽しみの一つを心の箱の中に直すと鍵を閉めていた。


 寝た振りをしていた風間が布団の中からようやく身体を起こして支度を整えると、水口宿を出立した二人は石部宿に向かって歩いて行った。


「私、昨日お酒を飲まされてからどうなったんですか?」


 千鶴の突然の質問にも表情も変えずに風間は嘘を吐く。


「気持ち良くなったようですぐに寝てしまっていたぞ」
「そうなんですか? じゃあ、早く眠りたい時には千景さんのお酒を少し頂こうかな?」


 思ってもいなかった言葉が風間に突き刺さる。風間は千鶴の方に目を向けずに明後日の方向を見つめながら一言を放った。


「いや……あれは興が乗ってした事だ。お前は飲まん方が良い」
「……?」


 あのような面白い遊びを今知られてなるものか――


 不思議そうに見つめてくる千鶴の視線を避けながら風間は黙々と足を運ばせて行った。


 昨日に二人が見た水口宿にある水口城は、三代将軍徳川家光が、上洛の際の宿館として小堀遠洲に銘じて築城させたものである。


「徳川家光が宿泊する時のみ使用した城でな。それ以外は幕府の任命した城番が管理していたらしく、城主はいなかったらしいぞ」
「えっ、では宿泊以外は使用しなかったお城だったんですか?」
「ああ、そうだ……まあ、徳川家光の時は徳川時代の繁栄の時だったからな。金もたんとあったのだろう」
「お金がたくさんあったからって、それは全部年貢なのでしょう? って、それは農民が払う年貢米で……商人たちも冥加金とか運上金、そして御用金を納めていた訳で……。本当に勿体ない……」


 そう呟いた千鶴は、正月の時の風間の金の管理の悪さを思い出していた。


 風間の世話係でもある天霧はしっかりしているようでいて、かなり甘いという事がこの旅の中でよく理解できた千鶴は、この男の懐を固くさせるには自分がしっかりと金の管理をしなければならないと強く感じたのであった。


 石部宿は【京たち石部泊まり】と言われるように、京を出立した旅人が最初に宿泊する宿場である。その理由は、京からこの宿場まではかなりの距離があるからであった。


「私たちって泊まりすぎなんですね? 通り過ぎる宿場もありましたけど、殆ど泊まっていましたもんね」


 宿泊した宿の数を指折り数える千鶴は、京に辿り着くまでにかなりの日数を費やしたと愚痴ったが、風間はこれでも早く到着をしたくらいだと考えていた。


「このような旅でも良いのではないか。俺としては京は泊まらずに通り過ぎたいくらいだがな」
「何でそんなにお千ちゃんに会いたくないんですか? 楽しいのに……」
「楽しい? あれがか……? ただ単に煩いだけだろう」
「煩いんじゃなくって賑やかなんですよ。もう少し言葉を選んでから言って下さい」


 千鶴は早く京に行って千姫に会いたいと言うが、その言葉に風間はあまり乗り気ではないようだった。


「俺はあの女は好みではない。互いに気も合わんからな」
「千景さんとお千ちゃんの間に何かあったんですか?」
「……この話は終いだ」


 風間はそれきり黙ったまま歩いている。これだけ二人が相容れないとは、


 やはり過去に何かがあったのだ――


 千鶴はちらちらと風間の様子を窺いながら共に歩みを進めていると、風間がいきなり立ち止まってある場所に指を差しながら千鶴に緋色の瞳を投げかけてきた。


「食うか……?」
「食う……?」


 風間が指を差した場所。そこは石部宿の【田楽茶屋】と呼ばれる店であった。


「石部宿名物の【いもつぶし】と善哉だ。食うか?」


 先ほどから自分がしっかりとしなければならないと考えはどこへ行ってしまったのか――


「勿論、食べないわけがありません!」


 千鶴は即答をすると、風間をその場に放って茶屋の中に一人で入って行ってしまっていた――。


 【いもつぶし】という食べ物は、この石部宿で親しまれているお焼き風の外側は香ばしく、中はもちもちとしたものであった。その茶屋で暫しの休憩をした後に石部宿の中を再び歩き始めた二人は、晴天の穏やかな情景の中を草津宿に向かった。


 この石部宿には、幕末に新選組局長、近藤勇が江戸下向の際に小島本陣に宿泊している。その本陣の前を通りながら風間が千鶴に教えてくれた。そして二人はこの宿場のもう一つの名物である、ところてんに黒蜜をかけて食べる茶屋に入り、またまた暫しの休憩を取ったのであった。


「甘くて美味しいです!」
「そうか……ああ、俺もところてんは食えるから、お前の分を少しくれ」


 風間がそう言って千鶴に向かって口を開けるが、


「嫌です。これは私のところてんです。食べたいのならば千景さんも頼んで下さい」


 と返事をしてきて食べさせてくれようとはしない。


「俺は多くは要らん。少しでいいから早く口に入れろ」


 暫くの間、渋っていた千鶴は


「仕方がないなぁ……」


 と呟いて、ところてんを一筋だけ箸で掴むと、緋色の瞳を怒りで燃やしている風間の口元に持っていった。


 少しで良いとは言ったが、一筋しか食べさせてもらえないと思ってもみなかった風間は、緋色の瞳の中の怒りの炎を激しく燃やしながら千鶴に投げつけていた。


「これだけか…? 千鶴……後で覚えておれ」


 東海道ももうすぐ終点を迎える。直に京に着くのだ。


 数年前に父を捜して辿り着いた京の都を思い浮かべながら歩き続けている千鶴は感慨を催していた。


 松並木の続く西縄手の南側には石灰岩を産出する灰山と呼ばれる山がある。この石部は古代から銅などの鉱物も産出しており、【石部金山】と呼ばれていた。この地から【石部金吉】という語を生み出している。


 【石部金吉】の意味は、石と金の二つの硬い物を並べて人命のようにした語であり、非常に生真面目で物堅い人。特に女色に惑わされない人、融通の利かない人物を指すのだが、その意味を知っていた千鶴はくすくすと笑い出した。


「何が可笑しいのだ?」
「いえ、千景さんの性格に当てはまるかなって思っただけです。生真面目かは分かりませんけど堅い所もあれば、女色に惑わされるかどうかは知りませんけど融通が利かないところとか……あ……!」


 言ってしまった――しかし、口に出してしまったものはもう取り返しがつかず、風間は口に手を当てて慌てる千鶴を上から見下ろすように睨み付けている。


「先程のところてんといい、今の言葉といい……全く癪に障る事ばかりだ。今宵は覚悟しておけよ……」


 そう言い放つと腕を千鶴の腰に回した途端にその箇所から下に下げて意地悪く笑んだ。


「今宵はここら辺りまで可愛がってやろう」
「やっ! 何するんですか!?」


 風間の厭らしいお触りに疼きを感じた千鶴は咄嗟に離れようとしたが、下に下がっていた腕が腰に戻って引き寄せられてしまう。


「その官能を覚えておれ……」


 低く艶のある風間の声音で耳元に囁かれると、千鶴だけではなく、世の中の女どもが眩暈を起こしそうになる程であろう。現に、千鶴でさえもが眩暈を起こしかけて、どこか遠くへ意識が遠退きそうになっていた。


 ここ辺りは石部宿と草津宿の間の宿で栄えている。そこに【ぜさいや本舗】と呼ばれる道中薬【和中薬】を売っている建物があった。何でも徳川家康が腹痛を起こした時にこの薬を飲んだところ、たちまち治り、この薬を【和中薬】と名付けたらしい。生薬を粉にしたもので主に胃の薬として旅人に重宝されている。


「買っておこうかな……?」


 その薬屋の中に入った千鶴が、買おうか買うまいかと悩んでいると、横から風間がからかってきた。


「買っておけ。その薬はよく効くらしいからな。食いすぎるお前には必需品であろう?」
「あの時からちゃんと節制しています!」
「どうだかな……? 一応買っておけ」


 そして、千鶴の手の中に金を握らせると、自分は建物の外へさっさと出て行ってしまった。


 ここでは田楽茶屋が軒を多く連ねている。この辺りは東海道を往来する旅人の休憩所として江戸幕府によって立場茶屋が置かれていて、この場所で出される食事は地元産の食材を使った菜飯と田楽で独特の風味を有し東海道の名物ともなっている。


 二人はその茶屋の一件【伊勢屋】に入って行った。


 勿論、千鶴の頬は落ちそうになる程にその味は美味しい物であった。が、千鶴は後で気づいた。


 この宿場で三軒もの茶屋に入ってしまった。そしてお金を使った――。


 先ほどまでのあの決意は一体何だったのか? しかし、自分では気づいていないのだろうが、千鶴も意外と大雑把な女鬼であった。


 まあ、美味しく食べられたからいいか――
 それに、お金は入ると出て行くという仕組みになっているのだから――
 そうそう、使わなきゃお金の意味がないじゃない――


 と、都合の良い方に考えてしまい、その後からは一切、お金の事に関して引き締めるなどという考えをしようとはしなかったのである。



 一休憩した二人は、草津川を越え、草津宿に進んで行った。


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