京滞在記:2
千姫とはどれだけの間会わなかったのだろう。抱き締めている千姫からは懐かしい香りが漂い、千鶴の鼻を擽った。そのような甘い再会をぶち壊したのは、勿論あの男である。
そう、風間だ――。
「いつまでも抱き合うな。我が妻から離れろ」
いきなり放たれた無礼な言葉に気分を害した千姫が千鶴を抱きしめたままで風間を睨みつける。
「はぁ? 私と千鶴ちゃんは再会の喜びを分かち合っているの。あんたは邪魔しないでちょうだい」
再会の感動の邪魔をされて文句を言い返す千姫の姿を見た風間が絶句する。
「何? 変な顔してるけど文句あるの?」
千姫の言葉で我に返る風間。
「その格好は何だ?」
風間は千姫の着物を見つめながら驚きの表情を浮かばせている。そして風間の言葉で自分の着物に視線を落とした千姫が自慢げに言葉を返した。
「この雛(ひよこ)柄の着物、可愛いでしょう? 薫が選んでくれたのよ」
いつもは風間との喧嘩の為に外見は派手な着物で威嚇をしてくる千姫の今日の出で立ちに風間の調子が狂ってしまいそうになった。
本日の千姫の着物は、桃色の生地に可愛らしい小さな梅の柄が散りばめられた中に、何故か雛ちゃんがあちらこちらに出現している。
梅に鶯なら分かる――
何故に雛なのだ!?
風間はお子ちゃま過ぎる色と柄が全く理解できない上に、薫の趣味の悪さに呆れ果てていた。しかし、隣の千鶴は、
「可愛い!」
と千姫の着物を褒め称えている。薫を見れば、千鶴の称賛の言葉に満足そうな顔、君菊はやはり自分の主人があのような着物を着られては少し嫌なのか複雑な表情、不知火に至っては女の事に関しては興味がないのかどうでもいいではないか、と言うような顔付きであった。
「姫様、このような場所でずっと立ち話も何ですし……中へ入って頂きましょう」
ここで言い合いが始まれば長くなるとでも思ったのだろうか。君菊が丁度良い頃合いに言葉を入れてくる。
「そうね、そうしましょう」
君菊の言葉に納得をした千姫が大きく頷き、全員はようやく屋敷の中に入る事ができたのであった。
風間と千鶴が千姫の屋敷に着いた時には、日が西に入ろうとしていた夕暮れ時であった。案内された広間には豪華な料理が沢山並べられてあった。
「うわぁ! 美味しそう!」
色気より食い気の千鶴がその豪華な料理の前に座り込む。京の料理は見た目も美しい上に様々な飾りに変化している野菜も多かった。
「千鶴ちゃん、沢山食べてね。それと風間、あんたにも一応酒を用意してあるわよ」
千鶴には優しい笑みを、風間には鋭い視線を向けた千姫が、三人の男用にと君菊に酒を持ってこさせた。その酒は、この日の本でもなかなか手に入れにくい珍酒であった。それを見た不知火が頬を緩ませる。
「この酒、大好きなんだよなぁ!」
しかし、風間は嬉しそうな態度も示さずに無表情のままで恩着せがましい言葉を放った。
「ふん、一応用意してくれたのだからな。飲んでやろう。おい、不知火、薫、飲むぞ」
二人の刺々しい会話に周りの者がどきどきとするが、その後暫くの間は何事もなく穏やかな食事の時間となっていた。
「薫ってお酒が飲めるのね」
三人の男の酒宴の光景を見ていた千鶴が千姫にそっと囁くと、千姫は、
「ええ、強いらしいわよ」
と、愛しさのこもった眼差しで薫を見つめていたが、今日は薫の事はそっちのけで千鶴の傍から離れようとはしなかった。
「ねえ千鶴ちゃん、今夜は私と一緒に寝ましょうね。遅くまで女の子同士お喋りしましょう!」
千姫がキャッキャッとはしゃぎながら千鶴に話しをしていると、それが気に入らなかったのか風間が制止の言葉を掛けてくる。
「おい千姫、お前は薫と寝れば良いであろう」
風間のその言葉に、共に酒を飲んでいた薫が顔を真っ赤にさせて怒鳴った。
「お、俺は千姫とまだやってない!」
「やっていないが共には寝ているのだろう?」
「ね、寝てはいるけど……」
それを聞いた不知火が驚きの声を上げた。
「へっ、お前らまだやってなかったのかよ!?」
何とも卑猥な会話に、部屋の隅で待機している君菊の表情に陰りが走り、
「姫さまに限ってそのような事があるわけがございませんでしょう? 勿論、風間……あなたも鬼のしきたりを破るような事はしますまい」
静かではあるが誰にも有無を言わせないような態度に、風間は口をひん曲げながらもその先の言葉が続かなかった。男女の行為までは至ってはいないが、その少し前までを進め始めていた風間にとって、君菊の最後の言葉は大変痛いものがある。
鬼の中では祝言を挙げるまでは男女の行為をするものではないというしきたりが根強く残っている。しかし、そのようなしきたりは既に軽視されつつあるのが現状。今日では、祝言を挙げる前には男女の行為を終えている者たちが殆どであった。そのような事を鬼の頂点に立つ八瀬の姫である千姫がすると、下々の鬼たちの手本にも何もならない。君菊は千姫の鬼の威厳を見せつけておかなければならないと考え、今までに幾度か共に寝た薫と千姫の布団のすぐ傍では寝ずの番をしたのである。
「部屋数もたくさんあるから、好きな所で寝てくれてもいいわよ。男三人で仲良く寝てくれてもいいし……」
「俺はこやつらと寝る気はない。俺はこのようにだだっ広い屋敷の中の一番いい部屋を遣わせてもらう」
風間の言葉に千姫があかんべえをしながら強い口調で言い返した。
「あら、この屋敷の一番いい部屋は私たちが使うの。だからあんたには二番目にいい部屋を与えてあげる。でもねぇ、その部屋は今、薫の私室になっているんだけど、それでもいいなら使いなさいよ」
風間が薫を睨みつける。そして、
「おい薫、その部屋を俺に明け渡せ」
と命令口調で言葉を放ってきた。すると、何故だか分からないが薫の中にドキンと心ときめくものが起こった。
この男、風間の緋色の瞳には男でも女でも関係なく惹かれる何かがあるようだ。薫は少し顔を朱に染めさせながらその思いを断ち切るように酒を一気に飲み干した後に、
「あ、ああ……別にかまわないよ」
と答えたのだが、薫は風間の顔を直視できず、視線を彷徨わす。すると、これはからかいがあると思ったのか、風間がいきなり意味深な笑みを浮かべて口元を揺らした。
「ほう……俺に気があるのか?」
「あ、あるわけがないだろう!」
彷徨わせていた視線を風間の顔に向けた薫は、自分の視界に入ったそれに吸い込まれるように見つめてしまう。その態度を見た風間の口角がキュウッと上に吊り上がり、薫が一番に聞かれるのを良しとしない問い掛けをしてきた。
「お前、京では女の格好をしていたらしいな?」
「何でそれを知っているんだよ!」
薫が千姫と楽しく食事をしている千鶴の方に視線を向ける。
あいつが言ったのか――
全く余計な事を――
薫が小さく舌打ちをしながら風間の方に視線を戻すと、寛いだ姿でこちらに向かって笑みを投げかけていて、やはりその姿には男である薫でさえも惹きつけられる何かがあった。そのような薫の心中を見透かしたのか、風間が片手を翻す。
「悪いが俺にはその気はない」
その言葉でぼんやりと風間を見つめていた薫が我に返った。
「俺だってないさっ!」
風間と薫の会話を聞いていた不知火が驚きの声音を上げる。
「何だぁ! 薫ってあっちの方だったのかよ?」
「そうらしいぞ」
「ち、違うっ!」
これはからかい甲斐がある――
目の前で狼狽える薫を見ながら、千鶴を抱き締める事ができない今夜はこいつで遊んでやろうと、風間の機嫌は一気に直り、不知火に目配せをしていた。
和やか? な食事も終えて、風間と不知火にからかわれ続けた薫がぐったりしてる以外は皆、のんびりと道中の話などをして盛り上がっていた。
道中の初めに千鶴が食べすぎで腹痛を起こし、その時に薬嫌いが発覚した話で笑い転げ、風間が熱を出したと聞いて、
「こいつが熱を出したのか!?」
「天変地異が起こっても生き残りそうな風間が熱を出すなんて信じられない!」
と不知火と千姫が驚くと、風間が口をひん曲げながら言葉を返した。
「俺でも熱は出る時はある。そんなに驚く事もあるまい」
「……いや、その歳になって知恵熱かと思っただけ……いってえぇ! 何すんだよ!」
真面目な顔で正直に自分の思った事を言った不知火は風間から頭突きを頂戴していた。
「何で熱を出したのよ?」
千姫が不思議そうに尋ね、千鶴がその時の事を話そうとした時に風間が横から制止の言葉を出してきた。
「あの時の話はするな……」
まさか水の中に沈んだ千鶴を助けて熱を出したなど知られたくもない風間に、この話は終いだと言われた為に、その話はそのままお流れとなってしまった。
「そう言えば、戸隠に刺されたって聞いた時は心配したのよ」
「あの時は俺も千鶴の傍にいたかったのに、よくも京に呼び戻してくれたね?」
薫はかなり執念深い男らしい。このような男だっただろうか? と思う千鶴はある事に気が付いた。千鶴はまだ兄である薫と真正面から言葉を交わしていないのだ。この京での再会は嬉しいものになると思っていた千鶴にとって少々寂しい気持ちが中に込み上げていた。
「あの……薫……」
意を決して薫に言葉を向ける千鶴を、薫はチラリと横目で流しながら素っ気無い返事をする。
「何……?」
「え、えっと……久し振りね。元気だった?」
千鶴の言葉が気に入らなかったのか、顔が不機嫌な表情に様変わりする。
「見れば分かるだろう? すこぶる元気だよ。ただ、風間に俺の女装の事を言ったみたいだな? そこからかなり機嫌は良くないけどね」
「あ、あれは…薫の話が出てその時は……そうよね……そうね……元気だったらそれでいいの……」
この部屋に流れる気まずい空気を感じ取った不知火が、
「そろそろお開きにして寝るか」
と、気まずい雰囲気を打ち壊してくれ、その周りにいた者たちは胸を撫で下ろした。
「ね、ねえねえ、千鶴ちゃんに見せたい物があるのよ! 薫と二人で選んだんだけど一緒に来てくれない?」
それでもまだしょんぼりとしていた千鶴を元気付けるかのように千姫が千鶴を違う部屋へと連れて行こうとその場から立たせた途端、風間も同時に席を立つ。
「何を見せるのだ?」
「千鶴ちゃんに見せるだけなんだから、あんたはそこで待ってなさい」
「そのような事を言って、俺から千鶴を引き離すつもりであろう」
「そんなわけないでしょう! 全く、厄介な男よねぇ」
千姫が千鶴を引っ張って歩いて行くその後ろを風間が付いて来る。
「何であんたまで付いて来るのよ! 部屋に戻ていてよ!」
「ふん、我が妻に何かされたら困るからな。共に行かせてもらう」
「だから、まだ妻にも何もなってないでしょうが! 祝言も挙げてもないのに、夫面するんじゃないわよ!」
ネチネチと言い合いながら、千姫が千鶴に見せたいと言う部屋まで風間だけでなく、面白がっている不知火と不知火に無理矢理引っ張られている薫までが付いて来るという有様になってしまった。
「さあ! 千鶴ちゃん、入って見て。これは全部千鶴ちゃんの物よ!」
千姫に案内された部屋はこじんまりとはしているが、女の子らしい雰囲気の場所だった。
そしてそこには――
風間と千鶴が京に来るまでに薫と千姫が揃えたという千鶴の為の花嫁道具が所狭しと置かれていたのだった。
「これって……薫とお千ちゃんが選んでくれたの?」
小さな部屋に置かれている衣装箪笥や化粧台。そして着物やちょっとした家具や小物を見た千鶴が目を見開く。
「そうよ! 殆ど薫が選んだのだけど、流石は千鶴ちゃんの兄だけの事はあるわね。千鶴ちゃんの事を考えて選んで、そしてお金まで全部出してくれたのよ!」
「えっ……!?」
千鶴が薫の方を見つめる。薫は顔を赤くさせながら千鶴と目を合わそうとはしなかった。
優しさを素直に出せない不器用な薫――そんな自分の兄に素直な気持ちで千鶴は微笑んだ。
「薫……有難う……。とても嬉しい。大事にするからね」
そのような素直な気持ちを言葉に出す妹に、幸せになれよと、一言も言えない薫は、先程から目を合わせない状態で捻くれた言葉を放つ。
「妹が嫁に行くのに、兄としての義務を果たしただけさ」
兄としての義務――
その言葉が千鶴には【幸せになれよ】と言ってくれているように感じて、嬉しく思うのだった。
「しかし、この衣装箪笥は地味だな……」
千姫と同じく柄付きが良かったなどと言い出す風間に千鶴がニッコリと微笑んで説明する。
「薫は恐らく、先々の事を考えてこれを選んでくれたんだと思います。今は可愛らしいのも良いのかもしれませんが、歳を取るにつれこのような家具の方がしっくりくるものなんですよ」
「物は良いようだが……。しかし、これだけ揃えたとなると、早く運ばねばならんな」
千鶴と風間の会話を聞いていた千姫が感心したように呟いている。
「流石に双子だわ。お互いの性格をよく知っているのね……」
千姫の呟きを聞きながら、薫の心の中は千鶴への祝福の気持ちが溢れ出るのと同時に、何やら不満のような、変な気持ちが浮かび上がってきた。
俺は一体、誰に嫉妬しているんだ? 俺は風間なんか気にはしていないんだからな!
複雑な気持ちを持つ薫は、千姫に頼んで、風間に明け渡した部屋からかなり離れた部屋で休む事にしたのであった。
薫は一人で寝る事になったが、風間と不知火はまだ酒を飲むという事で同じ部屋で寝る事になった。
「薫、てめえも酒に付き合えよ!」
不知火の誘いの言葉にもしどろもどろに遠慮の返事をした薫はそそくさと自分の寝る部屋に入って行ってしまった。
「変な奴だな」
「先程のように俺たちにからかわれるのが嫌なのであろう。他にも何か理由があるようだがな」
「他に何の理由があるんだよ?」
「さて、それは俺にも計り知れぬ事だ」
不知火の不思議そうな言葉に、風間は意味ありげにニンマリと口角を上げると、酒の続きをしようと不知火と部屋に入って行ってしまった。
千鶴と千姫は二組敷いてもらった布団に入り込んで女同士の話しを始める事にした。
二人は道中の話や、千鶴を待っていたまでの間の京での話しなどをして楽しい夜が過ぎていく。しかしそんな話も尽き、いきなり千姫が千鶴に問い掛けてきた。
「千鶴ちゃん、今頃言うのも何だけど……本当に風間でいいの?」
「えっ、どういう事?」
褥の上で横になって頬杖を付いている千姫がホウッと溜息を吐いた。
「私ね、風間に付いて江戸に行くって言った時の千鶴ちゃんを見て、この二人はいずれ夫婦になるのかな? って思ってたの。でも、あの後、風間は一人で西に帰ったって言うからホッとしたのも本当よ。私は風間が千鶴ちゃんを女鬼……それも血筋の良い女鬼としか見ていないと思ってたから。そしたら急に江戸に嫁として迎えに行くって情報が入るし、その前に京に来て天霧と君菊を夫婦にさせるとか言い出すし、ごちゃごちゃになっちゃったのよ。一応、風間には確認したのよ? 江戸にいる千鶴ちゃんは風間の嫁になる事に納得しているのか? って……。そしたらしてるって言うし、千鶴ちゃんが納得した事なら止めろとも言えないじゃない?」
天霧と君菊の間にそのような話が上がっていたのか、それと最後の方の話が少し違うよ鵜な気がすると、千鶴はそう思いながら苦笑する。迎えに来るとか何とか言っていたのは確かだが、その言葉に対して待っていると返事した覚えはなかったからだ。しかし、結局は納得して共にこの京までやって来たのだから、千鶴はその事については千姫には話さない事に決めた。恐らく話せばこの千姫の事だ、今の時間でも風間と不知火の部屋に踏み込んで行くだろう。折角皆が良い気持ちでいる今の時間を壊したくはなかった。
「お千ちゃん、私は千景さんが江戸に迎えに来てくれた時、本当に嬉しかったんだ。一人で頑張っていたんだけどやっぱり寂しくてね。毎晩新選組の夢で魘されて……その夢を見せないようにしてくれたのも千景さんだったの。道中も色々な事があったけど、私にとても優しくしてくれてたしね。捻くれていて感情を丸出しにはしないし、意地悪な事も言うけど、この道中で私も千景さんの事が好きなんだな……ううん、愛しているんだなって思ったし、彼は全然そんな事言ってくれないけど愛してくれてるって分かるし、千景さんの妻になれるのが嬉しいし、良かったって思ってる」
千鶴の長い話を静かに聞いていた千姫がニッコリと笑う。
「そう……千鶴ちゃんがそう思っているのなら良かったわ。風間もやっと幸せな男になれるのね」
「えっ!?幸せな男って……?」
千姫の言葉に千鶴が疑問符を投げかける。
そうか、あの男は自分の過去の事を詳しく千鶴に話していないのだ――
それに気付いた千姫が慌てて首を横に振った。
「この話は風間本人から聞いた方がいいと思うわ。私が話す事ではないから……」
千姫の返す言葉を聞きながら千鶴はふと思う。風間は自分の過去の事はあまりと言うよりも殆ど話さない。千鶴の事も聞いてはこないが、こちらの事は全て調べているのか、よく知ってはいるようだった。
それに――
千鶴は更に考え込んだ。
千景さんの性格とかは少しずつ分かってきたけど、他はよく知らないんだ。愛してくれているって事が分かるって千姫に言ったけど、言葉に出して言ってもらった事もないし――
千鶴は女として、夫となる風間の事をもっとよく知りたい。そして、愛しているという言葉を口に出して言ってもらいたい。千鶴の中にはどんどん女としての欲が膨れ上がってくる。
千鶴はその欲を打ち消す為に話題を違う方向に変えた。
「ところで、お千ちゃんは何で薫を好きになったの?」
「えっ? ああ、簡単よ。千鶴ちゃんに似てたから」
「えっ?」
「別に変な意味はないわよ。私は千鶴ちゃんが大好きだったの。薫が土佐の鬼の主として挨拶に来た時にビックリしたのよ。あなたにそっくりだって…。でもね、性格も全然違うんだけど…何でだろう?好きになっていたのよね。」
「へえぇ……」
切っ掛けを知った薫はどんな顔をしたのだろう?
千鶴の脳裏では薫の表情を探し回るが、残念ながら千鶴の記憶には幼い頃の可愛らしい顔と現在の捻くれた顔の薫しか思い浮かばなかった。
二人の女子の話は夜更けに近づくにつれ更に進み始める。今夜は女二人で寝る為に、この部屋の中に君菊の姿はなかった。
「ねえ……ところでさ、千鶴ちゃんはあの風間とやっちゃったの?」
いきなりな言葉を受け取った千鶴は、布団の中から上体を俊敏に上げた。
「や、やっちゃったって……お千ちゃん、いきなり何を言い出すの?」
「そりゃぁ、男女が長い道中何もなかったなんておかしいわよ。ねえねえ……」
女同士の会話は最終的に卑猥な話へと突入しようとしていた――。
翌日、不知火ととことんまで酒を飲んで楽しかったのか、ご機嫌な風間と、千姫に執拗に質問をされたが頑として口を割らずに寝不足気味の千鶴は千姫の屋敷を後にした。
嫁入り道具は千姫が責任を持って西の里に送ると二人に伝えており、隣の薫も眠れなかったのか瞼を重たくさせていた為、風間が最後にからかいを入れた囁きをしていた。
「おい薫……何度も言わせてもらうが俺は無理だからな。よく覚えておけ」
「し、しつこいな! 俺だってそんな気は更々ないよ!」
「何がそんな気はないのよ?」
「まあまあ……男にも色々とあんだよ」
千姫が訝しげに二人を見つめる。そこには顔を真っ赤にする薫と、肩を震わせて笑う風間がおり、不知火を除いた他の女たちは何が起こったのかさっぱりと分からなかった。
帰り道、千鶴が何度も大欠伸をするのを見つめていた風間が、昨日は眠れなかったのか? と聞くと、最後の欠伸を終えた千鶴が返事をした。
「あっ……ふ……。お千ちゃんと話し込んでしまったのもあるんですけど、昨日は昼まで寝ていたので目も冴えてなかなか眠れなかったんです」
千鶴の歩行を見ていても何となく覚束ない。
「今日は宿へ戻るか」
と風間が言葉を掛けると、隣を歩いていた千鶴は嬉しそうに微笑んだ。
「はい……その方が私も嬉しいです。それと私、千景さんに言いたい事があるんですけど」
「何だ?」
千鶴から言いたい事とは一体――
風間が短い問い掛けをすると、千鶴は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「宿に帰ってから言います」
「そうか……」
その後、黙ったままの二人はそのまま宿へと戻って行った。
宿へ戻ると、風間は千鶴を胡坐の上に乗せ、
「言いたい事は何だ?」
と質問をした。その話を言うのには勇気がいるようで暫く考え込む千鶴を我慢強く待つ風間。そして、やっと意を決したのか、千鶴はゆっくりと小さな声で話し出した。
「昨日の夜、千姫と話していたんですけど、私、道中……千景さんの性格は徐々に分かるようになったとは思うんですけど、まだ深くはよく知らないなって思ったんです」
「俺の事をまだ深く知らないとは……?」
「えっと…千景さんの過去の事とか……です」
千鶴の言葉を聞いた風間は、そのような事かと笑った。
「俺の過去については西に着いてからゆっくりと知れば良い。あちらに着けば嫌と言うほど俺の事を知る事になるからな」
「何でですか?」
「俺の幼き頃を知っている奴が多くいるという事だ。話はそれだけか?」
風間が千鶴の首元に唇を寄せていくが、それを必死に押し返す千鶴に不機嫌な表情を見せた。
「何だ、まだ何かあるのか?」
「はい、あるんです」
千鶴の蜜色の瞳がかざまの緋色の瞳に溶け込んだ。
「私……千景さんに【愛している】って言われた事ないんですけど……」
千鶴のもう一つの言葉に暫くの間考え込む風間。どうやらその言葉を言ったのか言ってないのかを思い起こす為に、今までの道中を振り返っているようだ。その沈黙はかなり長い時間掛かっていた。
「一度くらいは言ったのではないか?」
「言ってませんし、聞いていません」
「そうだったか?」
風間は惚けながらも言っていないとは言いたくないようだ。更に考え込もうとしているのを眠い目を必死に開けている千鶴は言って欲しいともう一度だけ頼んでみた。もう、起きているのが限界なのだ。風間の腕の中で意識が薄れてきているのも分かっていた。それに気づいていたのか、風間は千鶴に問い掛けの言葉を与える。
「何故、いきなりそのような事を言い出したのだ?」
「だって……言ってくれないと……不安に……」
「寝たか……」
風間の腕の中でとうとう眠さの限界を超えてしまったらしい千鶴が規則正しい寝息を立て始めた。その寝顔を見ながら風間が苦笑する。
「お前に対する俺の態度を見て分からんのか?」
分かっているのだが、言葉に出してもらわないと不安になるとは――
女とは何と面倒臭い生き物なのだ――
風間は天井を見上げて溜め息を吐いた。しかし以前の風間であれば、他の女にそう言われたら速攻その言葉を発した女たちを捨てていただろう。それがこの千鶴にはできないのだ。それ程までに千鶴という女に入れ込んでしまっている。
「俺は、お前を愛しているのだ……。誰の目にも触れさせたくないくらいにな……」
昨夜は千姫に千鶴を取られてしまい、この夜の楽しみを妨げられた風間が呟く。
「昨夜に続いて今宵もか……全くつまらん」
明日から暫くは京で滞在しながら新選組の辿った場所を見に行く事になる。それに、あの千姫がいつ千鶴を誘いに来るか分からない。つまり、この京では二人きりになる時間が削られるという事である。
「だから京は嫌なのだ……」
横に置いてあった杯の中の酒を飲み干した後、千鶴を抱き上げた風間が布団の敷いてある部屋へと入る。そして千鶴をゆっくりと寝かせると、自分も一緒にそこに潜り込み、目の前にある美しい輪郭をした柔らかい唇を指でなぞった。そして、それで満足した風間の両瞼もまた、ゆっくりと閉じられていった――。
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