京滞在記:3



 翌朝、風間よりも先に目覚めた千鶴は、昨日と同じ場所で寝間着から着物に急いで着替えた。そして、布団の中で深い眠りに未だ入っている風間を揺り起こす。


「千景さん、起きて下さい。今日は新選組の皆さんの足跡を辿るんでしょう?」
「ん……」


 千鶴が何度も起こす行為を繰り返すと、風間はどんどん布団の中に潜り込んでいってしまう。


「もう、千景さんったら!」


 布団を引きはがそうとした瞬間、布団の中から風間の手が伸びてきて千鶴の手首を掴んできた。


「え……きゃあぁっ!」


 千鶴の小さな身体が布団の中に引きずり込まれる。その後、布団の中では千鶴に与える風間の愛撫が迸るように繰り返されていた――。
 


 幕末に京の都にも名を広めた新選組。彼らは反幕府勢力取締りの為の警察活動に従事し、その後に旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った治安部隊、軍事組織であった。


 江戸時代末期には京が政局の中心地となり、諸藩から尊皇攘夷、倒幕を掲げる過激派が集まり、治安が悪化した。従来から京の治安維持にあたっていた京都町奉行と京都所司代のみでは防ぎきれないと判断した幕府は、新たな治安機関、京都守護職を新設、会津藩主の松平容保を就任させる。その配下で治安維持にあたった臨時警察部隊が新選組であったわけである。


 新選組の隊員数は約六十〜二百名。佐幕派であり、京に潜伏する尊皇攘夷論者、倒幕過激派などの取り締まり、警邏、警備、暴動の鎮圧などにあたった。その一方で、隊の規則(局中法度)違反者を次々に粛清したり、凄惨な内部抗争を繰り返していた。


 戊辰戦争が始まると、幕府軍の一員として従軍、参戦し、敗戦に伴い隊士たちは散り散りになり、解散してしまった。


 文久二年、江戸幕府からの将軍、徳川家茂の上洛に際して、将軍警護の名目で浪士を募集した時に、彼らは浪士組として一団を成し、京へ向かった。京に到着した後、清河が勤王勢力と通じ、浪士組を天皇配下の兵力にしようとする画策が露見。浪士取締役の協議の結果、清河の計画を阻止する為に浪士組は江戸に戻る事となったのだが、それに対し、近藤勇、土方歳三を中心とする試衛館派と、芹沢鴨を中心とする水戸派は、あくまでも将軍警護の為の京残留を主張した。そして、彼らは新選組の前身である『壬生浪士組』(精忠浪士組)を結成する事となり、壬生村の八木邸や前川邸等を屯所とした。


 文久三年八月に起きた八月十八日の政変に出動した壬生浪士組は、その働きを評価され、新たな隊名『新選組』を拝命されたのだった。


 二人が宿を出たのは既に昼過ぎ。


「何をふてくされている?」


 風間の愛撫を受け続けていた千鶴は、朝早くから身に纏った着物は乱され、手入れをした髪の毛はぐしゃぐしゃにされた為に、出かける前にもう一度、手直しをしなければならなかった。


 全く、風間の寝起きの悪さには困ったものである。あまりにも執拗な愛撫に耐え兼ねた千鶴が風間の頬を一打ちすると、目の前で千鶴を凝視している風間の姿が現れた。そして一言――


「何だ、襲われにきたのか……」


 その言葉に、


「襲ってきたのはそっちですよっ!」


 千鶴の平手は再び風間の頬に命中していた――。


 風間と千鶴は、千鶴が新選組と初めて出会った後に連れて行かれた壬生の屯所、八木邸と前川邸、そして壬生寺に行く事にした。


 八木邸も前川邸も無事に屋敷の姿を保っており、千鶴は胸いっぱいに懐かしさが込み上げてきた。壬生寺に行くと桜の花が咲く準備を始めるのだろうか。近くでよく見てみると、木々の枝がほんのりと桜色に染まり出している。この寺では、新選組が兵法調練場につかわれ、武芸などの訓練が行われていた。


「懐かしいです。初めは辛くて悲しくて……でも、皆が親切にしてくれたお陰で段々楽しくなって、大切だと思えて……」


 瞳に潤いを波立たせ、鼻水をズズッとすすりながら言葉を紡ぐ千鶴に、風間は一昨日昼前の千鶴の行動を思い出していた。


「まさかとは思うが、お前はこの屯所で京に着いた翌日のような行動はしてはおらんだろうな?」
「京に着いた翌日の行動?」


 千鶴が考え込んでいるのを見た風間は、もう忘れてしまったのか? と溜め息を吐いた。


「男の目の前で堂々と裸体になっていたのではないだろうな、という事だ」
「……」
「あったのか?」


 千鶴が黙り込んだのに気付いた風間が静かに問う。しかし、その静けさの中には怒りも込められている。これは勝手な思いではあるが、風間は自分よりも先に千鶴の裸体を見た男が許せないのである。


「い、いえ。裸体とかそんな事はなかったと思うんですけど、沖田さんが毎朝私を起こしに部屋に来てくれた時に、時々胸元が肌蹴てたりしてからかわれた事はあります。でも……」


 あの時はまだ子供みたいなものでしたし――


 あまり気にもしないような様子で話す千鶴に風間は、


「あのような男所帯の中で一緒に暮らせただけの事はあるな……しかし……」


 と、呆れながら大きな溜め息を見せ付けた。


「見せているようなものだろう。全く、お前は女としての危機感というものがないのか? 特に男だけの頓所内で女一人という事がどれ程危険かもしれないという事が分からなかったのか?」


 前川邸の前で堂々とした態度で説教を始める風間に、責め立てられて顔を真っ赤にさせながら顔を俯けている千鶴。そのような二人を通りすがりの町民たちが笑っている。


「も、もう……いいじゃないですか! 次行きましょう!」


 これ以上、町民たちの笑い者になるのは堪らないと、千鶴が不機嫌極まりない男、風間の腕を引っ張ってその場所を後にした。


 前川邸から離れてもまだぶつくさと文句を垂れる風間を引っ張りながら、千鶴は風間と初めて顔を合わせた【池田屋】へと向かった。


 元治元年六月五日、池田屋と呼ばれる宿に潜伏していた長州藩、土佐藩などの尊皇攘夷派志士を、新選組が襲撃した事件である。これを【池田屋騒動】といわれ、風間や千鶴もこの事件には加わっていた。


 風間は薩摩の隠密のように長州、土佐の動きを見張っており、千鶴は新選組の一人として動いていた。事件後、七ヶ月間の営業停止の上、後に廃業してしまった池田屋は、今では人手に渡ってしまい【佐々木旅館】として建物だけが当時の面影を残していた。


「ここで千景さんに会ったんですよね」


 前池田屋の二階を見上げながら千鶴が唇を揺らす。


「俺に湯呑を投げ付けおって……」


 あの時の事を思い出した風間は、先ほどと同じく不機嫌極まりない。それに対して、千鶴が申し訳なさそうに表情をくにゃりと歪ませながら、


「あれは、沖田さんを助けなきゃって思ったからですよ」


 と伝える。千鶴の口から沖田の名が出た瞬間、風間の機嫌は更に悪くなった。


「俺と沖田とどちらが大事なのだ?」


 風間のふてくされた顔を見た千鶴は、この池田屋で初めて風間に会ったのに何故に風間が大事だと思わないといけないのだろう? と首を傾げた。


「……あの時は沖田さんです」


 千鶴の返事を聞いた風間も、この池田屋で初めて千鶴と出会った事を思い出した。


「……まあ、そういう事になるか……」


 過去と今がごちゃ混ぜになっている風間も、


 俺は一体何を言っているのだろう? 過去に嫉妬するとは――


 と、首を傾げてしまう。


「あの時の千景さんは怖かったですよね。今はそうは思いませんけど、あの時は私を殺そうとしてましたし……男だと思ってました?」
「思うわけがないだろう。女とは分かっていたが、まだ同胞だという確証は掴めてはいなかった。しかし男であれ女であれ、あの時は俺にとって邪魔する者は斬るつもりでいてたからな」


 風間の言葉に更に首を傾げる千鶴。


「……沖田さんを殺さなかったじゃないですか?」


 風間は千鶴の問い掛けには答えずに背を向けた。


「……池田屋はここまでだ。行くぞ」


 こちらをずっと見つめる千鶴から背を向けて視線を逸らした風間は、あの時に千鶴を守ろうとした沖田の翡翠色の瞳を脳裏に思い浮かべていた。


 あの時の沖田は気付いていなかったのだろう。そして気付かぬまま死んで行ったのだ――


 千鶴に少しの恋心と言うものを抱いていた事に――


 そして、二人は【禁門の変(蛤御門の変)】と呼ばれる事件にも関与しており、その事件のあった蛤御門などを訪れた。


 元治元年七月十九日、その事件は起こった。


 この事件は、尊王攘夷論を掲げて京での政局に関わっていた長州藩と、会津、薩摩藩、その他の藩、そして新選組との戦いであった。


 【禁門】とは【禁裏の御門】の漢名であり、【蛤御門】の名の由来は【天明の大火】の際、それまで閉じられていた門が始めて開放された為、焼けて口を開ける蛤に例えられた為であった。禁門の変が蛤御門の変とも呼ばれるのは、この蛤御門付近が激戦地であった為であった。


 この事件で新選組の斎藤と原田が、天霧と不知火と出会い、斎藤と天霧は話し合いで両者とも引き、原田と不知火は互角に戦うも、不知火の引きによって決着はお預けとなったという事を千鶴は後に聞いていた。そして、風間と千鶴は二人が再び出会った場所天王山の手前の橋まで歩いて行った。


「ここで、千景さんと土方さんが刀を交えたんですよね。迫力があったというか、お互い怖かったというか……」


 この京の町は、嫌でも新選組の男たちを思い出させる。風間は小さな舌打ちを起こしながら唇を揺らした。


「土方は気に入らん奴だった。俺の邪魔ばかりしおって…今思い出しても腹が立つ」


 橋の中央まで歩いた二人が欄干に手を置いて水の流れを視界に映した。


「千景さんの刀が私の腕に刺さったんですけど、あれ……わざとですよね? あの時に私が鬼かどうか確かめたんでしょう?」


 池田屋事件の後、千鶴と少しの会話をした風間は、千鶴に同胞らしき匂いを感じていた。鬼だと確かめるには身体の一部分に傷を付けるのが一番簡単な方法であり、風間はそれを実行した。腕に傷を負った千鶴がその個所を咄嗟に隠したのを見て、鬼であるという事を確証できたのだ。


「ほう……あの時の俺の行動で、何をしようとしていたか分かっておったのか?」
「いえ、あの時はすぐに塞がった傷を隠すのに必死で……それと、意味ありげな視線を向けているなって思っただけです。男の格好をしているけど女ってばれたかもって焦ってましたけど、今、あの時に私が鬼であるという事を確かめたのだと理解できました」
「今、理解できた……だと?」
「ええ、たった今、ここで……」


 千鶴の鈍感さに風間の膝がカクンと折れそうになる。


 今頃そのような事を知ってどうするのだ? 意味がない――


 それを言おうとした風間が千鶴の方を振り向いた時、千鶴は天王山に向かって両瞼を閉じて手を合わせていた。


「何をしているのだ?」


 風間の問い掛けに、千鶴は手を合わせたまま静かに答える。


「天王山で自害された長州の方たちに……」


 安らかに眠って下さいと――


 暫くの間、閉じていた千鶴の両瞼が押し上げられる。その目の中にある蜜色の瞳は敵味方関係なく、慈悲の色が浮かび上がっていた。


「この時代も尊王派の思い通りになった。死んだ長州の者たちも浮かばれている事だろう。まあ、お前が慕う幕府の犬どもは浮かばれてはおらんかもしれんがな」


 いつもならば、風間が新選組隊士たちの事を悪く言えば歯向かってくる千鶴がそれをしなかった。


「浮かばれていますよ、きっと……」
「何故、そのような事が分かる?」
「彼らは武士として立派に死んだのですから……後悔は無いはずです」


 千鶴の新選組贔屓に呆れながらも、風間は柔らかい笑みを浮かべて空を見上げた。


 彼らの着ていた浅葱色のような空が広がっている。京の地に広く知られ、恐れられていた色が今、優しい色になってその地を包み込んでいた。


 この後、二人は新選組のもう一つの屯所となった【西本願寺】へと足を運んだ。


 西本願寺と言う名は通称であり、正式名称は【龍谷山 本願寺】である。京の町民たちからは【お西さん】の愛称でも親しまれている。


 境内には桃山文化を代表する建造物や庭園が数多く残されている。庭を歩いていた風間は庭の中に造られている池の傍で立ち止まると、


「お前はよくこの場所で箒を持っていたな」


 とククッと小さく笑っていた。その言い方は毎日のようにここへ来ていたとしか思えないように感じた千鶴が風間に質問をした。


「千景さんは私が箒持っている時の姿を一度しか見ていないはずです。もしかして見張ってました? って言うより覗いてたんですか?」


 と問いかけると、


「我が妻の動向を把握しておかねばならんかったからな。しかし、俺がここに来る度にお前は箒しか持っていなかったのだ。余程暇だったと見える」


 ここには頻繁に訪れていた事を肯定する言葉を投げかけてきた。


「覗いてたんだ……」
「お前も鬼ならば、俺の気配くらい察しろ」


 風間はフンと鼻を鳴らしながら不満げな言葉を吐き出している。その物言いにカチンときた千鶴も負けじと言い返した。


「頻繁に私を見に来てたなんて……千景さんも暇だったんですね?」


 しかし、千鶴の憎まれ口くらいでへこたれる風間ではない。


「わざわざ将来の夫が気に掛けて見に来てやったのだ。有難く思え」


 ああ言えばこう言うを繰り返し、結局は千鶴が口負けをしてしまっていた。この風間は、のんびりな話口調とは反対に頭の回転はかなり速い。恐らく千鶴の頭の回転が遅いだけで風間が普通なのだろうが、千鶴はこの言い争いでも勝つ事ができなかった。もう言い合っても仕方がないと考えた千鶴は、屯所襲撃の事を話し出した。この西本願寺では、風間たち鬼が千鶴を奪いに来た場所でもある。その前には千姫が千鶴を風間たちから匿う為にここを訪れてもいた。


「あのじゃじゃ馬……あの時は忘れもせん。俺が薩摩の仕事でなかなかお前を奪いに行けぬ事を知ってここに来たのだ。それに腹が立ったのでな、すぐに襲撃してやったわ」


 千鶴を浚いに来たはずの風間。あの時は簡単にそれを実行する事ができたはずだ。それなのに風間は、興が冷めたなどと言い放って姿を消したのだ。


「何で気を失っている私をそのまま連れて行かなかったんですか? 千景さんなら簡単な事だったでしょうに……」


 今日は首を傾げる事ばかりだと、千鶴が呟いたのを聞いた風間が薄い唇を強く閉じた。


「……」


 あの頃の風間は、千鶴よりも新選組の方に興味があり、千鶴は子孫繁栄の為の、そして由緒ある雪村家の生き残りである女鬼としか見ていなかった。


 あの当時の俺にとってのお前の価値はそれくらいのものだと伝えたとしたら、千鶴はどう思うのだろうか?


 風間が言おうか言うまいかと考えながら千鶴を見る。そのような風間を再び不思議そうな表情で見つめ返す千鶴。その時、風間の中にもやもやと嫉妬が燻り出した。


 そう、西本願寺でのあの時の光景が風間の脳裏を過ったのだ。


「そう言えば、お前はあの時、土方を守っていたな……」
「えっ? ああ、はい……」


 それがどうしましたか? とでも言うような千鶴の表情が憎たらしい。


「同胞であるこの俺に小太刀を向け、土方を守っていたのだったな」


 千鶴の脳裏にも風間同様、あの時の光景が脳裏を過った。土方を守るようにして刀を握っていた千鶴に、風間は、


「何故人間などに与する?」


 と問い掛けてきたのだ。それに対しての千鶴返事はこうだった。


 それでも信じているから――


 人間たちを憎いとは思わない。


 確かに初めは驚き、戸惑いもあったが、鬼として生まれた自身も今は誇りに思う。その自信を与えてくれたのは、今、目の前にいる風間である。


「そんなに拗ねないで下さいね。あの頃の私には新選組の皆に守ってもらってばかりで、そんな彼らの役に立ちたいと思っていたんです」
「俺が拗ねているだと? いい加減な事を言うな」
「違うんですか? そんな顔してましたけど。」
「……」


 やはり、千鶴といると普段隠している自分の素顔が出ているようだ。風間はできるだけいつもの無表情な顔を作り出し、前を向いた。


「拗ねてはおらん……」


 そのような風間の態度が面白いと思った千鶴がからかいを始めた。


「拗ねてたでしょ? 認めて下さいな」


 その言葉を発した瞬間、千鶴の身体がふわりと宙に浮いた。風間にいきなり横抱きにされた千鶴の頬が炎のように燃え上がる。


「な、何をするんですか!」


 今度は自分が千鶴をからかう番だと言わんばかりに、風間が意地悪い笑みを浮かべてきた。


「何をだと? お前が俺をからかうから、仕置きとしてこのまま宿まで連れて行ってやろうと考えたまでだ」


 風間は千鶴の嫌がる事をよく知っている。千鶴は風間の胸をドンドンと叩きながら懇願した。


「も、もう言いませんから、降ろして下さいよ!」
「俺をからかうなど、何十年も、何百年も早い」


 ニヤリと笑った風間が千鶴を降ろそうとした時、背後から男の声が掛かった。


「おい、あんた……風間って人じゃないのか?」
「ち、千景さん、降ろしてくれるんじゃなかったんですか!」


 叫ぶ千鶴を抱き抱えたまま風間が振り向くと、目の前に見覚えのある旅姿をした男が立っていた。


「お前は、あの時の……」


 風間の胸を叩いていた千鶴もその旅姿の男を見て目を見開いた。


「あっ……あなたはもしかして、蝦夷に向かった時に一緒に船に乗られた方ですか?」


 二人が新選組を追って蝦夷へと向かっていた時、仙台の地で風間が拾って来た男、井吹龍之介だった。千鶴は彼とは全くといっていいほど話した事がなく、薄っすらとした記憶が残っているくらいだったが、風間はそれ以前にこの男に会っている為、しっかりと覚えていた。


 忘れもしない――


 治る見込みのない病を抱えていた芹沢鴨と共に島原に来ていた。そして、縁あってか仙台で片腕が使えなくなってしまっていた井吹を助け出したのである。あの時の龍之介もまた風間や千鶴と同じように新選組を追っていた。彼の瞳は当時の千鶴の瞳とよく似ており、風間としては放ってはおけなくなって共に蝦夷へと連れて行ったのだった。


「お前は何故ここにいるのだ?」


 千鶴を降ろした風間が井吹に問い掛けると、彼もあの蝦夷から新選組の足跡を辿りながら旅をして来たのだと言う。日当が貰える仕事をしながらの旅であった為に、この京に着くまでにかなりの日数が掛かったそうだ。


 こやつも新選組の亡霊にまだ未練を残しているのか――


 風間がそう思っていると、井吹の口からは意外な言葉が飛び出していた。


「蝦夷から京まで旅をして来たんだが、ここで俺と新選組の奴らとはお別れだ」
「別れだと……?」
「ああ、俺がここまで旅をして来たのは、新選組の名が世に知れ始めたこの京で奴らとの思い出を断ち切って、新しい人生の出発をする為だったんだ」


 今の井吹はしっかりと前を見据えて生きようとしている。それを感じた風間は、安堵の吐息と共に短い言葉を吐きだした。


「……そうか」
「ところで、あんた達はここで何をしているんだ? まさか京に住んでるのか? それにあんたは、確かあの時……」


 井吹が荷物を抱え直す動作をしながら、二人に問い掛けてきた。


 蝦夷に向かっていた時、確か風間の隣の女は男の格好をしていたはず――


 と、呟きながら不思議そうな顔をする、そのような井吹の瞳には迷いも何もないようだ。これからは残りの人生を自分の為に使うだろう――


 風間は安心したように少し微笑んだ。


「訳あってな、あのような格好をしていたのだ。俺たちも今、旅をしている途中だ。直に俺たちが住む里へ戻る」
「そうか……またどこかで会えるといいな。じゃあ俺は行くから、元気でな」
「お前も達者でな」


 井吹は風間の言葉に深くまで追及はせず、荷物を肩に担いだまま背を向けて二人の前から遠ざかって行き、風間と千鶴はそんな井吹の姿が見えなくなるまでずっと見つめ続けていた。


「さて、俺たちも宿に帰るとするか」
「はい」


 二人が沈みかけている夕陽に背を向ける。



 新選組と共に在った時は何もかもを燃え尽くす紅蓮の炎のようだった夕陽。それが今では静かで優しく、柔らかい愛の焔のようだ。その光に照らされて長く伸び、重なるように寄り添っている二つの影は、家路に急ぐ町民たちの中に紛れて消えていった――。


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