11:ツンデレ鬼のお正月:二
先程の口付けで苛立ちが帳消しになった訳ではなかった。しかし今は、苛立ちよりも先に風間の相手をしていた女たちを想像しながら劣等感に陥る自分が情けないと思っている。洗い物をしている間、千鶴の脳裏にはまた、寝ぼけていた時の風間の言葉が反芻していた。
「綺麗な女の人なんだろうなぁ……」
手元の盥(たらい)の中で器などを洗うのではなくカチャカチャ掻き回す。ぞんざいに扱われた漆器はぶつかり合って今にも形を崩しそうな勢いである。
風間の緋色の瞳には自分がどう映っているのだろうと考えるが、あまり期待できるような答えが浮かばない。盥に張った水の表面に映る自分の顔を見つめた千鶴は何度も情けない溜め息を吐いていた。
何とか無事な姿で洗い終わった漆器を籠の中に入れた千鶴が茶の間で一人、風間とどこかへ出掛けたいと思いながらぼんやりと座っていると、背後上から風間の声が降り落ちてきた。
「出掛けるぞ」
今、考えていた願いごとが現実になった為に驚いた千鶴だが、それを悟られぬように無表情で背後にチラリと視線を向ける。
相変わらずの薄着。そして何故か千鶴に向かって片掌を差し伸べている。
「その手は何ですか? ああ、もしかして……」
昨日、風間の寝間着などを買った時に、外出時に必要かと羽織も選んでいた。早速それを活用できるとはと、少し気持ちをそわそわとさせながらそれを取り出そうとすると、
「昨日、お前に渡した銭袋を返せ」
だった――。昨日はあまりにも忙しくて返すのを忘れていた千鶴が羽織の上にそれを乗せて渡そうとすると、風間は金の入った巾着袋だけを手に取り、羽織は千鶴の方に押し返していた。
「俺はこのままで十分だ。このような寒さなど何とも思わん」
押し返された羽織を元の所に戻しながら千鶴が風間に問い掛ける。
「どこへ行くんですか?」
「どこでもいい。さっさと用意をしろ。日が暮れるではないか」
命令口調で言葉を放った風間は、千鶴に出掛ける用意を急がせると、戸口は開けたままで家の外へと出て行ってしまった。
「ほんっと、何でもいきなり自分で決めちゃって。その上、どこに行くかも教えてくれないんだから」
千鶴が風間に聞こえるような声音で文句を言いながら、自分の部屋の箪笥の一つを引き出す。そして、中に入っている着物の中でどれを着るか選び始めた。勿論、戸を開け放して、その前で仁王立ちをしている風間の耳にはしっかりとそれが聞こえている。
「あいつの口は俺への文句を言う為だけにしかついておらんのか。 一緒に出掛けられて嬉しいくらいの本音も言えんとは、どれだけ捻くれた性格をしているのだ」
自分の言葉足らずと身勝手な行動が、どれだけ千鶴を混乱させているかも分からず、本音を言わない自分を棚に上げながら千鶴の本音は聞きたいと思っている。そして、何か都合が悪い事があると、全てを千鶴のせいにしてしまおうとしている風間も風間である。
「少し寒いな……」
今日は昨日よりもかなり気温が低いようだ。それに、千鶴はかなりの寒がりなのか、家の中は暑いと思う程に暖かくしている。中と外の寒暖の激しさからか、風間がブルッと身体を震わせていると、
「お待たせしましたっ!」
プリプリと頬を膨らませながらもしっかりと粋な恰好をしている千鶴が姿を現した。しかし、その格好の上から更に分厚い羽織がしっかりと巻き付くように羽織られている。その為か、風間の口か放たれそうになった褒め言葉が一瞬にして喉奥へと引っ込んでしまった。
「何だその座布団のような羽織は?」
「だって、寒いんですもん」
暖かそうな厚い羽織を着ているにも関わらず、薄化粧を施している千鶴の唇はプルプルと小刻みな震えを見せている。それに、千鶴は自分だけ厚着をしていて、風間の羽織を持って来てはいない。
「おい、俺の羽織はどこだ?」
「だって、風間さんはいらないって言ってたじゃありませんか」
「この格好で町中を歩けば、人間共に何を言われるか分からん。俺の羽織を持って来い!」
風間が人間の視線などを気にするとはおかしい――千鶴が両目を細めて風間を見上げた。
「もしかして風間さん、寒いんですか?」
「寒くなどない」
千鶴の問い掛けは図星。しかし風間は、整いを見せる鼻梁をつんとさせながら否定をした。が、今はどうしても羽織が必要であり、千鶴に持って来させる方法を引き出そうと頭の中でありったっけの知恵を振り絞る。
「羽織を持って来い。でないと近所の者たちに何を言われるか分からんぞ」
「何を言われるって言うんです?」
予想していた返事が返ってきたと風間はニヤリと笑んだ。
「お前一人だけ暖かい格好をして、隣りを歩く俺には羽織さえも着せぬ冷たい女だとな」
「だって、風間さんがいらないって言ったんじゃありませんか」
千鶴が口をへの字にしながら言い返すと、風間は掌をひらひらとさせて千鶴に羽織を持って来るよう、再び命令をしてきた。
「いいから早く持って来い。俺が寒がりのお前に合わせてやると言っているのだ。有難く思え」
「なっ、何て勝手な……」
「勝手ではない。ここは俺が一歩譲って同調してやるのだからな。素直に感謝しろ」
「もう、寒いのなら寒いって素直に言えばいいのに……」
千鶴がぶつくさと文句を言いながら家の中に戻って行く。風間はその背中を見つめながら、ハアッと大きな溜め息を吐いた。
「俺の妻になるには、先の事を予想して先準備をする心構えというものが必要なのに、なっておらんな」
暫くして、家の中から羽織を手にした千鶴が姿を現した。
「はい、どうぞ」
千鶴がそれを手渡そうとすると、風間はが背中を見せている。
「どうしたんですか?」
羽織を持ったままの千鶴が首を傾げると、背中越しに顔を向け、両腕を左右に広げている風間が不満そうに呟いた。
「羽織らせろ」
「はい?」
「妻たる者は、夫が外出する時には着替えの手伝いをするものだ。早く腕に袖を通せ」
「何で、そこまで……」
「いいから、早くしろ。近所の女たちが見ているぞ」
「えっ……?」
千鶴が隣の家の門のところに視線を向けると、昨日と同じで、そこの奥さまの顔がこちらをのぞき見しているのが確認できた。
「人間という者は、身の回りに起こる出来事に興味津々なのだな。仲がいい話よりも少し拗(こじ)れたような話には特にな。今晩もこれがおかずになるのか?」
確かに風間の言う通りだ。女たちの噂話には楽しい内容よりも、少しどろどろしたような内容の方が多い。昨日も風間との言い合いのところを見られてしまっている。そして今は――先程までの風間とのやり取りを思い出した千鶴が溜め息を吐いた。
「それは困ります」
「では、仲がいいように見せ付けておけ。さすればあの者たちも興が冷めるだろう」
風間が顎でしゃくってくる。早く羽織を着せろという命令なのだろう。千鶴は仕方なく畳んでいた羽織を広げて風間の腕に袖を通した。
「これでいい」
風間が満足気な笑みを浮かべて、いきなり千鶴の肩に自分の腕を回して引き寄せてくる。
「何するんですか? ご近所の方に見られたらどうするんですか?」
「もう見られているだろうが。少しは大人しくしろ」
「あっ、そうでした……って、普通に隣を歩くだけでいいじゃありませんか?」
「寒いのだろう?」
「はいっ……? だから、私が言いたいのはですね。私たちを見るのはご近所の方たちだけではないんですよ」
風間が眉間に皺を寄せながら、大声で文句を言おうとした千鶴の唇に人差し指を当てた。
「お前はどこまで馬鹿なのだ? 腕を回していようといまいと、共に並んで歩いていたら、見た者はあらぬ噂をするのが常。言い合いをしながら隣を歩くのと、さも仲良さそうに歩いているのを見られるのとでは噂の中身も違ってくるではないか」
このように千鶴の肩に回されている風間の腕に力が入る。
「それに、もうすぐここから西の里へ旅立つお前にとっては別に構う事でもあるまい?」
風間にそのように言われた千鶴が騒ぐのを止めて、いきなり真面目な表情を浮かばせながら口を噤み、大人しくなってしまった。
千鶴が何を考えているのか、風間はすぐに理解した。
まだ、西の里へ行く決心が心の中で燻りを続けているのだ。何が千鶴を鈍らせているのか――それは昨日、新選組の事で責めた為ではない。今、千鶴が診ている患者の事が気になっているのである。
暫く静かであった千鶴の唇が静かな揺れを見せた。
「さあ、出かけましょう」
「このような所で立っていても時間が無駄になるだけだ。行くとするか」
そして、二人は歩き始めた。
風間が千鶴の横顔を見つめる。
初めは女鬼だけの価値しか千鶴に感じていなかったが、いつの間にかそれだけではなく、愛する女として瞳の中に映し始めていた。特別に美人という訳でもない。しかし、美しく成長をしたと風間は感じていた。今すぐに無理やりにでも西の里へ連れて行きたい衝動に駆られるが、それはいけないと自分に言い聞かせる。
頭領である自分の妻にしたい千鶴には、揺るがない決意を持って来てもらいたいからである。頭領である自分も、そしてその妻になるであろう千鶴にも、感情には流されずに、辛い決断を下さなければならない時もあるからだ。
例えば、風間が千鶴の育ての父親である網道を制裁した時のように、愛する者の大切な存在であろうとも制裁を下さなければならない時があるのだ。
風間が千鶴から視線を離して前を見て歩く。すると、千鶴の傍をすれ違う男の視線が気になり始めた。何故ならば、千鶴の顔を見た男たちが皆、それに引き寄せられるかのように見入っているからだ。そして、千鶴とすれ違い、かなりの距離が作られていても、その男たちの視線が逸れる事はなかった。
風間の心の中に苛立ちが生じる。千鶴の隣に自分がいるのを見た男たちが嘆息を吐いている姿を見ていてもだ。できれば誰にも千鶴の姿を曝したくはないという風間の我儘が勝手な行動に出てしまう。
愛しているという気持ちでいっぱいの心の中の言葉を口に出すのを好まない風間はいつも本音とは反対の言葉を出してしまい、いきなりの行為や動作でその心の中の言葉を表そうとするが、鈍感な千鶴にはその気持ちがなかなか伝わらない。それが更に風間の心の中を掻き乱した。
千鶴の小さな身体を隠すように、肩に置いていた腕に力を込めてそれを更に引き寄せた。
「風間さん……?」
風間のいきなりな行動に、千鶴が隣りの風間の顔を見上げる。相も変わらず端正な顔立ちをしていると感じた。
初めて出会った時には恐ろしい印象しかなかったのだが、京から江戸、そして蝦夷に行くまでの間、風間の色々な面が見え、その恐ろしさもいつの間にかなくなっていた。そして、最後に口付けをされた後から風間の事が気になり始めていた。しかし、唐突な口付けの後から音信不通。あれは幻だったのかと考えた日もあった。日が経つにつれ、千鶴の心の中には不安の感情が溢れ返る。その頃から、新選組の辛い夢も見るようになっていた。
昨日、江戸まで迎えに来てくれたが、千鶴の決心がなかなか定まらない。
風間はいつも突然な行動をする男だ。迎えに来たと言ってもそれは彼の気紛れであり、蝦夷での別れの時のように、自分はいつか置き去りにされてしまうのではないかという不安が、迎えに来てくれたのが現実だと理解していても消え去ってはくれない。
江戸に残していく患者の事もあるが、それよりも今は、鬼であるのに鬼の事を知らない千鶴が、果たして西の里で、それもいきなり鬼の上に立つ頭領たる男の妻の座に堂々と居座る事ができるのだろうかとも思っていた。
風間の横顔から視線を周りに向け直した千鶴の中に、風間を起こしに行った時に生じた苛立ちが再び頭角を現した。
二人とすれ違う女たちが皆、風間の色香に誘われるように熱い視線を向けている。その女たちは、同じ女である千鶴でさえも美しいと思う容姿を持った者たちばかりであった。風間が一人で歩いていたのならば声も掛けてきたのだろうが、隣りに千鶴がいるのを確認すると、迷惑そうに両目を細めて威嚇をしてくる。まるで、あんたみたいな平凡な女が何で傍にいるのよ――と言われているようにも感じた。
あの時の寝ぼけの言葉で、風間が女によくもてるという事、そして今、自分の肩に置かれているその腕で数多の女の身体を抱いてきたのだと思うと、苛立ちが更に強くなり始めていた。
私は風間さんを愛している――
それは前から確信している事だが、千鶴も言葉に出してまで意思表示をしようとするような女ではない。だから、風間の腕に引き寄せられた千鶴が自ずから身体を密着させて、自分の気持ちを伝えようとする。
風間は千鶴の心中をよく理解している。そして、鈍感ながらも、千鶴は風間の気持ちを薄々分かり始めている。しかし、互いに素直な気持ちを言葉で伝えるのが苦手なのか、なかなか真っ直ぐには伝わらないのだ。
千鶴が自分に密着してきた事で、少しだけ苛立ちが静まった風間が言葉を掛ける。
「この辺に神社か寺はあるのか?」
「神社ならこの先にありますよ」
千鶴が指差す方向を見ると、道行く人間も皆、そちらに向かって歩いていた。
「風間さん、初詣に行くつもりだったんですか?」
千鶴が驚いたように目を見張っている。
「新年だからな。初詣にでも連れて行ってやろうと考えていたのだ」
「そうなんですか……そうですよね、新年ですものね」
「それに、屋台というものも出ているのだろう? そして各神社ではお神酒も振舞っているとか……俺はそれが楽しみでならん」
「ああ……お酒が目的なんですか」
昨日も風間と共に買い物に行きたいと思っているとそれが叶った。そして今日も風間と出掛けたいという願いが現実となり、風間の目的が例えお酒であったとしても、千鶴の中にあった苛立ちは少しだけ和らぎを見せていた。
最初は意識をしながら密着させていた互いの身体も、神社に近付くにつれて自然に寄り添って、ゆっくりと歩み続けている。
「寒くはないか?」
肩に乗せられている腕から、じわじわと優しさのある温もりが千鶴の全身を包み込んでいる。
「今は暖かいです」
「それは俺がお前を寒さから守ってやっているからだ。ずっと暖かくしておきたいのならばこのまま俺の傍を歩け」
風間だって千鶴に身体を密着させているから暖かいと思っているはずだ。それなのにどうしてこのような捻くれた言い方しかできないのだろうか。
「風間さん、私に傍にいて欲しいんでしょう?」
「そのような事はない。ならば、離れるか?」
「離れます……?」
しかしその瞬間、意地の悪い北風が互いの身体に否応なく吹き付け、離れるどころか余計に身体を密着させ合ってしまった。
「は、離れたら寒いので、これでいいです」
「ふん、素直に離れたくないと言えばいいのだ。お前は素直ではない」
「だから、それは風間さんもでしょう?」
二人の心中とは反対の素直ではない会話は、神社の鳥居を潜り抜けるまでずっと続けられていたのだった――。
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