京滞在記:7



 朝日が紫紺の瞳に鋭く突き刺さる。東の格子窓から差し込むその光に、不知火はしかめっ面を顔面の中で浮き彫りにさせた。


 昨夜は一睡もする事ができなかった不知火が、隣で未だに酒を飲みながら愚痴を零している風間を睨みつける。


「おい、いい加減に帰れよ」
「帰らん……」
「俺は寝てぇんだよっ! お前は宿に戻って千鶴に頭を下げて来い!」
「何故に、この俺が頭を下げねばならんのだ」


 昨夜、島原の角屋で芸者たちと遊んでいるところへ千鶴が姿を現した。そして部屋中を散らかした挙句に店を飛び出してしまい、その後を風間が追いかけて行ったのだ。


 芸者たちは千鶴に恐れをなすし、風間に寄り添っていたその一人は暫くの間、その場で腰を抜かした後に泣き崩れていた。


「あの芸者、贔屓のお客さんを他の芸者に取られてね……」


 あの場所ではよくある出来事。しかし、芸者や舞子にとって贔屓の客はできれば手放したくないものだ。だから、贔屓の客を一人なくしてしまったその芸者は、風間に自分が気に入られたと喜んでいた。


 芸者や舞子は客に呼んでもらってなんぼ―― しかし、男は今も昔も若い女を好む。それはそうだろう。張りのある肌、体力、美に対する自信。どれを取っても若い女に年を重ねた女は敵わない。特に花街の女たちが引退する時の年齢は、まだやっていけるだろうと思われる程に若い。風間に寄り添っていた女も不知火から見ればまだ若い娘のようだった。それなのに、それ以上の若い娘に贔屓の客を取られたのだ。


「風間と千鶴ちゃん、どこに行っちゃったのかしら?」


 不知火の目の前で心配をする千姫。結局は芸者を帰して、千姫と君菊相手に酒を飲む事になった不知火ではあったが、その部屋にこもる空気はどんよりとしていて、酒を口に含ませても旨いとも何とも感じなかった。


「俺、帰るわ……」


 不知火がその場から立ち上がり、千姫も店じまいだと頷いた。そして、不知火が宿泊している宿に戻り、自分の部屋に入った時であった。


「な、何で……」


 不知火が口をぱっくりと開けて部屋の中を凝視する。


「邪魔しているぞ」


 そこには、酒を大量に持ち込んで寛いでいる風間の姿があった――。




「千鶴ちゃん、風間も男だし……欲求不満を解消したいっていう意味もあって芸者遊びをしたのよ」
「でも、あの芸者の方といい雰囲気だったわ……」
「そ、それはね……」
「それにあの芸者の方、千景さんの好みみたいだったし……」
「えっとぉ……」


 翌日、二人を心配していた千姫が、風間と千鶴が宿泊している宿を訪れると、部屋の中では千鶴が一人、ぼんやりとしながら窓の欄干に腰を下ろしていた。恰好とはいえば、昨夜の芸者姿のままで白粉も落としてはいない為、そのような事を忘れる程にかなり落ち込んでいるのだと千姫は思った。すると、千鶴から風間についての質問が投げられてきた。


「ねえ、お千ちゃん……千景さんって、今までどれだけの女の人にもてたのかしら?」


 そのような事を聞かれても困る。千姫は風間がどのような男であったかは知っていたが、私的な事までは詳しく知らないからである。ただ、風間の女遍歴は風の噂で少しは知っている。


 追う者拒まず去る者追わずの性格だったらしく、風間の隣に立つ女はほぼ一日毎に変わっていたとも言われている。


 まあ、抱ければ良かったくらいしか考えていなかったんでしょうね――


 千姫は心の中でそう思いながら、欄干に腰を下ろしたままで動かない千鶴を見つめた。


 あの女遍歴の激しかった風間が雪村家の生き残りである千鶴を見つけた後、暫くして、その噂は激しく落つる如きの滝の水のように掻き消えてしまった。そして今度は、風間の私生活がようやく落ち着き始めたという安堵にも似た噂が広まり始めたのだ。


 西の里と言えば、千姫が治めている八瀬の里の次に大きな里、西海九国を差す。その頭領である風間に、良き伴侶を迎えて落ち着いて欲しいという声が数多、上がっていた。それを無視する形で二十数年、風間は千鶴が自分の妻に相応しいと周りに語り始めたのである。それは勿論、千姫の耳にも届いた。


 風間が落ち着いてくれるのならば嬉しい。そう考えていた千姫ではあったが、その当時の千鶴は自分が鬼とは知らず、風間にお前は鬼だと言われて動揺もしていた。その上に、我が妻になれと強要をされて不憫に思えた。


 千姫が風間から千鶴を守ろうとしたのには理由がある。


 本来ならば女鬼を大切にするのが男鬼の務め。鬼の世界では女鬼の数が少なかった。それに、風間のような由緒ある鬼は、それ相応の血筋の女鬼を求めるのだが、最初の風間が千鶴を妻に迎える理由が、ただ跡継ぎを生ますだけの相手のような言い方をしたのが千姫は気に入らなかったのだが、その後からの風間は徐々に、千鶴の事を気にするようになり、言葉には出さないが、千鶴の事を愛し、大切に想うようになっていたのである。その事を千鶴に伝える千姫。しかし、千鶴の表情は優れる事がない。


「だって、千景さんは愛してるって一度も言ってくれてないんだもの……」


 とまあ、このような感じであるが、それは千姫にも思い当たる事があった。


 そういえば、私も薫に言ってもらってないじゃない――


 千姫の心の中にもやっとした感情が起こり始めた時、千鶴が千姫に向かってこう問いかけてきた。


「お千ちゃんも、薫に芸者遊びをされたらどうする?」


 その言葉は千姫の心の中のもやに火を点けた。


 千鶴の真向かいの欄干に荒々しく腰を下ろして大きな鼻息を鳴らす。それを見ていた君菊は、何とも情けないと小さな溜め息を吐き出した。


「千鶴ちゃん、今日は女同士で男についてとことん話しましょう!」


 二人が男に対しての愚痴を放ち出す。それはかなり長くなりそうだと察知した君菊は、


 この光景をずっと見守っていなければならないのか、何とも面倒な――


 と、再び小さな溜め息を吐き出していた――。




「おい、風間……いつまでここにいるつもりなんだよ?」


 一日の終わりを告げるように、外は既に月明かりの夜。不知火は眠い目を擦りながら風間に問いかけた。


「ふん、眠たければ寝れば良い」


 酒を飲む事に飽きた風間が窓の欄干に腰を下ろして夜空を見上げている。その寛ぐ様子から見ると、まだまだ帰りそうな気配は感じられなかった。


 どうしたら宿に戻ってくれるだろうか――


 畳の上で仰向けに寝転んでいる不知火は考えた。


 千鶴に危険が迫っていれば、すぐにでも飛んで行くだろう。しかし、嘘でも危険を知らせてくれる者が今はいない。不知火は両瞼を閉じ、頭の中を全活動させて必死に考える。そして片目を薄っすらと開けると、欄干に腰を下ろしている風間の方に紫紺の瞳を向けた。


「なあ……」
「何だ?」
「お前と千鶴がずっとそんなんだったら、俺があいつをもらうぜ?」


 風間の顔が不知火の方にゆっくりと向く。表情は無であったが、不知火には風間が怒っていると確信できた。それは緋色の瞳を見れば分かるのだ。不知火だって伊達に幼い頃から風間とつるんできたわけではないのだ。しかし、不知火は自分の放った言葉で風間が動くと思っていたが、風間は不知火が思っていた事とは違う言動に出た。


「ふん、したければすればいい……」
「えっ……? お前、それを本気で言ってんのか?」


 千鶴は俺のものだ! 絶対に渡さん!


 風間はきっと、怒ってそう言うのだろうな――と、考えていた不知火の予想とは全く正反対の言葉を放ってきた風間に、不知火は眠気も失せて、寝転がせていた上体を起こすと、無の表情であった風間は最後にこう言い放つ。


「不知火……お前にはそのように大それた事ができぬ事くらい俺には分かる」


 こちらも伊達に幼い頃から友として付き合っているのではないぞというような笑みを浮かべてくる風間に、不知火の心の中でまだ小さい炎がちらつき始めた。


「へえ……じゃあ、明日……千鶴をもらうわ」


 不知火が挑戦的な笑みを放つ。それを二つの緋色の瞳で見つめていた風間は、心の中でこう呟いた。


 こやつは好きな女に無理強いをする事はできまい――



 それは、風間が不知火のいくつかの女遍歴を見てきて、女に対しての不知火の性格を把握した為による自信の呟きでもあった――。


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