西国街道-山崎宿→芥川宿→郡山宿→瀬川宿



「今日はどこまで歩くんですか?」


 桂川を目の前にした千鶴の頬は、団子を放り込んだせいで丸く膨らんでいる。 


 桂川を渡し舟で渡った二人は西へと更に進む。


 細く古い町並みを歩きながら芥川へと入って行く。緑多い宿場で長閑な風景が流れるように目に映る。すぐ目の前には小高い山が新芽の色を表に出し始めており、それが日の光にキラキラと照らされていた。


 この辺りは古墳が多く点在している。千鶴が先程から目にしている小高い山々の殆どが昔の人々の墓だそうだ。墓と聞いてぞっとはするが、この美しい景色を見るとその恐ろしさも忘れてしまうようだった。


「綺麗ですね。それに春が来たんですね」


 気持ちの良い空気を思い切り吸いながら千鶴が大きく伸びをする。そのような千鶴を見つめながら、風間が今日はここ辺りで泊まろうと言い出した。


「どうしてですか? まだ歩けますよ。」
「昨夜は殆ど寝ていないだろう。今日はここまでだ」


 風間が言うには、今の千鶴はどうも空元気のようらしい。極限に疲れている時、身体は疲れとは反対の行動を起こすが、それが千鶴の身体にも出てきているのだと言う。


「そうですか? 疲れていないんだけど……」
「身体が疲れておらんと脳が神経を麻痺させているだけだ。事実、お前は疲れている。さて、ここに泊まるか」


 既に此処に泊まる事になっていたのか、旅籠に入ると宿の主人が姿を現し、盛大な歓迎振りをしてくれていた。その旅籠の名前は【亀屋】であった。


 何でこんなにも歓迎してくれているんだろう?


 不思議に思った千鶴が風間に聞いてみると、西国に近付くにつれて、鬼の忍びも増えており、西国街道には鬼がこのような旅籠の主人になっている場所も多いという。つまり、今回二人が泊まるこの旅籠もその関係だったらしい。


 二人はその旅籠の中でも一番上等な部屋を宛がわれ、風間はかなりの上機嫌で、やはり西の方が便利良いと満足気に笑っていた。


 千鶴はその旅籠で沢山の料理を食べ、お腹が満足した後は温かい風呂に入り、意識が薄れたまま布団に入り込むとそのまま深い眠りに落ちていった。


「やはり疲れていたか……」


 欄干に座りながら手酌酒をしていた風間は、穏やかな表情を浮かべて眠り込んでいる千鶴の寝顔を見つめながらフッと軽く笑みを浮かべながら吐息を吐いた――。




 昨夜は早くから眠りに落ちていた千鶴が風間よりも早めに目が覚めていた。千鶴の横では風間が静かな寝息を立てている。


「千景さん、起きて下さい。朝ですよ」


 千鶴が風間の頬を軽く抓った瞬間、手首をグッと掴まれてしまっていた。


「お、お早うございます……」
「朝か……」


 寝ぼけ眼で千鶴をジッと見つめる風間が手首を掴んでいた手を離した途端、それは腰に回され、千鶴は一瞬にして風間の上に乗ってしまっていた。


「ちょっ、ちょっと何するんですか!」


 両手両足をバタバタとさせながらもがく千鶴を風間の力強い両手が離そうとしない為、離れようにも離れられない。


「ふっ……そのように照れずとも良い」


 風間の強い抱擁で、朝早くから身に纏った着物が乱れるのを気にした千鶴が顔を真っ赤にさせて目の前の厚い胸板を両手で押し返していると、何を勘違いをしたのか、風間が嬉しそうに笑って囁いてきた為に、そうではない事を即答で伝える。


「これのどこが照れていると思うんですか! 完全に嫌がっています!」


 それでも風間は千鶴を離そうとはせずに更に強い抱擁をしてくる。


「素直でないな」


 千鶴は、顔を真っ赤にさせているのは全て照れているからだとばかり勘違いをする風間を睨みつけた。


「素直に言っています!」


 そうやっているうちに、この旅籠の主人が食事を持って来てくれていた。二人の暴れ回る光景を見たその主人は驚くどころか、大笑いを始めていた。


「頭領も雪村の姫さまも本当に仲のおよろしい事で……」
「これのどこに仲の良さを感じるんですか!」


 旅籠の主人の言葉に千鶴が否定の言葉を放つが、


「やはりお前もそう思うか? 千鶴、他の者たちから見ても俺たちは仲が良いそうだ。だから照れ隠しはよせ」


 などと言って、主人の目の前で千鶴の頬に唇を押し付けてくる。


 鬼ってこういうところは寛容すぎる――。


 千鶴は風間の唇を頬で受けたまま、旅籠の主人を睨みつけたが、そのような態度にも気づきもしないのか、主人は朝食の膳を全て部屋の中に運び込んでいた。


「さあさあ、仲の良いところを見せて頂いて安心したところで、そろそろ朝食を食べて下さい。」


 ニコニコと笑いながら朝食の用意を終えた主人は軽く頭を下げると部屋を出て行ってしまう。


 何となくおかしな気分になっていく千鶴。あのような光景を人間が見たら、まず先には驚きを見せるはずなのだが、風間の方をチラリと垣間見てみると何事もなく普通に料理に箸を伸ばし初めていた。


 鬼と人間って考え方が違うのかしら――?


 結局いくら考えても答えが見つからなかった千鶴は、


「まあいいか……」


 と呟くと、いつもの千鶴らしさでその考えを終いにして、箸に手を伸ばして朝食を食べ始めた。


 出立する準備が整った二人は、亀屋の主人に昼に食べなさいと握り飯までもらい、礼を伝えた後すぐに郡山宿へと向かって行った。そこには【郡山本陣】があるのだが、その本陣は享保三年に一度消失してしまったらしい。それを享保六年、西国諸大名の寄付によって再建されたそうだ。風間が言うにはこの本陣には別名があるそうで、【椿の本陣】とも呼ばれているそうだ。


「成る程……」


 千鶴が納得する。その本陣の正門の脇には椿の大樹が高く聳え立っていた。


「椿の咲く季節には綺麗でしょうね」


 千鶴がうっとりとその椿の大樹に視線をやっていると、風間が縁起でもないとブツブツと文句を垂れる。


「椿の花というものは、あまり好かれん花だ。その理由が何故だか知っているか?」


 勿論、その理由を知らない千鶴が素直に尋ねた。


「何故ですか?」
「花が綺麗やら何やらほざいておいて知らんのか?」


 と呆れた顔をする風間。


「椿の花が散る時、どのように散るか……。あれは花ごと落ちてしまうのだ。それが人間の首を切ったような様子に見えてあまり縁起が良い花とは言われん」
「首ごと……桜の花のようにヒラヒラと舞い落ちるのではなく、花ごと落ちるのですか?」


「そうだ。しかし、咲いている時は確かに美しい花だ」


 風間はそう吐き捨てると先を歩いて行った。その場から動かずにいた千鶴はその椿の大樹を見つめる。


 縁起でもない木が何故庭に植えられるのだろう――?
 先程風間が付け足して言った事がその答えだろうか――?


 咲いている時は美しい花だ――


 咲いている時の美しさと散りゆく時の残酷さの余りの違いに惹かれてしまうのだろうか――?


 鬼の中にも人間の中にも恐らくあるのだろう。


 美しさと残酷さという対象的な心が――


 椿はきっとそのような花に違いない。千鶴の背筋には少し冷たい風が通り過ぎたような気がしていた。


「何をしている、行くぞ」


 後ろをついて来ていないのに気付いた風間が千鶴の名を呼んでくる。


「あっ、はい!」


 その呼びかけにすぐに返事をした千鶴がその場から駆けて離れて行く。そして二人はその先を歩いて行き、瀬川宿へと向かって行った。


 瀬川宿の手前の池田という場所は城下町として栄えていた所である。能勢方面からの物資の集積や、酒造業などの商業も盛んであり、明治になった今でも賑やかさを保ったままであった。


「酒の良い匂いがする」
「そんな匂い分かるんですか?」


 風間が機嫌良さそうに鼻をくんくんと動かすと、千鶴もそれに倣って鼻を動かしてみる。しかし千鶴には何も匂いを感じず、首を傾げながら風間を見つめた。


「酒の呑めんお前には何も感じないだろうな」


 風間は千鶴の顔を見つめながら喉奥から低い音を出して笑うと、一軒の酒屋に入り徳利に二本ほど酒を入れてもらった物を手にして再び歩いて行った。


 二人は池田城下町の中を流れる猪名川の渡しを渡って瀬川宿へと足を踏み入れて行く。その川を渡り切った所で亀屋の主人が持たせてくれた握り飯を食べながら、暫く休憩をした。その時に、風間が【太平記】の中での話しをしてくれた。


 ここ瀬川宿は、かつて――と言ってもかなり昔に遡ってしまうが、【瀬川合戦】があった場所らしい。元弘三年に行われた赤松則村(円心)を総大将とする後醍醐天皇軍と鎌倉幕府六波羅探題軍との戦いである。


 元弘元年に後醍醐天皇が起した元弘の乱以後、鎌倉幕府倒幕運動が盛んになり、護良親王の令旨を受けて播磨国で赤松則村が挙兵した。赤松則村は挙兵後、六波羅探題側の武将を次々と破り、元弘三年に摂津国摩耶山に白を築城した。同年二月十一日に六波羅探題側の軍勢は、赤松軍を討伐する為、摩耶山麓に陣を構えるが赤松勢に破られた。二十八日、再び六波羅探題側が摩耶山麓に陣を構えるのだが、赤松方は猪名川付近に停滞して六波羅探題方を待ち構えた。


 同年三月十日、六波羅探題方も猪名川付近に布陣し、両軍の睨み合いが続いたそうだが、十日夜になると尼崎から上陸した四国の小笠原勢が赤松方に攻め入り、赤松方は敗走する事になったそうだ。これらの話は【太平記】に記されており、それによると、赤松則村は四国の小笠原勢に敗走するが、赤松則祐の進言により、約三千騎の兵を率いてこの瀬川宿に陣を構えていた約二十三万騎の六波羅探題に夜襲をかけ、六波羅方を打ち破ったと書かれている。これを機に、赤松則村は赤松則祐の六波羅探題追撃の進言を聞き入れ、三月十二日には山城国山崎に侵攻し、その後赤松方は六波羅方を攻め続け、同年に六波羅は鎌倉に敗走して元弘の乱は終結している。


 風間の話を聞いていた千鶴には少々分かり辛い所もあったのだが、一番感心したのは、風間の頭の中が書物のように正確だという事だった。まるで全ての書物を暗記しているような――そして、それに目を通したのが十代の頃だと言うのだから益々驚きを隠せなかった。


「どうして、そんなに正確に覚えていられるんですか? 私なんて昨日の事も忘れてしまうくらいなのに……」


 千鶴が羨ましそうに風間に質問してみると、風間は自慢げに顔を歪めて笑いながら、


「お前とは出来が違うのだ……」


 などの嫌味な言葉を投げ掛けてくる。


「俺は鬼の中でも特別な男だからな」
「千景さんならそう言うと思っていました……」
「俺は当然の事を言っただけだ。それに比べてお前は……」
「その先の千景さんの言葉はもう分かってます。どうせ私は鬼らしくない女鬼ですから!」


 鼻を高々とさせている男と、それに対して少々不満を持つ女は瀬川宿から昆陽宿へと向かって行った。


「今日はこの辺りで泊まろう」


 この宿場にも忍びの鬼が開いている旅籠があるようだ。風間が迷いもなくその旅籠へと足を踏み入れて行く。その旅籠に入ると前の旅籠の主人同様、風間と千鶴は盛大な歓迎を受け、清潔感溢れる上等な部屋へと案内された。


 その旅籠も料理はとても美味しく、風間は今日買っていた徳利の中の酒を呑み出している。一つの徳利はこの旅籠の主人に渡したようだ。風間の横には、二本あったはずの徳利は一つしか置いていなかった。


 風呂にも入った千鶴が格子窓の欄干に腰を下ろして外を眺める。熱い湯に長い時間浸かっていたせいか、夜の冷え込む風がとても心地良く感じた。


 とうとう、東海道、京を経て西に向かっているのだ。千鶴にとっては初めて足を踏み入れる土地であり、不安がないと言えば嘘になってしまう。


「何をぼんやりとしているのだ?」


 千鶴よりも更に長風呂だった風間がようやく部屋に入って行くと、欄干に座り込んだ千鶴が遠くを見つめている姿が視界に入った。


 風間が入って来たのに気付いた千鶴が振り返り、柔らか味のある笑顔を見せるが、その笑みの中には不安気な色が浮かび上がっている。


「何か悩みでもあるのか……?」


 風間が千鶴の横に腰を降ろす。風間のその問いかけに小さく頷いた千鶴に、風間がフッと吐息を漏らして優しく笑いかけた。


「心配するな。昨日の旅籠やこの旅籠の主人たちも気の遣わない者たちであろう。俺の里の鬼の仲間たちもあのような者たちばかりだ」


 風間の言葉には何かしら安堵させてくれるものがあり、一瞬だけではあるが千鶴の中の不安が少しだけ和らいだ。


「しかし……」
「しかし……? 何か問題でもあるんですか?」


 何かを言いかけた風間の言葉が止まった為に千鶴の心の不安が再び湧き起こる。千鶴をジッと見つめていた風間がニンマリと笑みを返した。


「まあ……煩いと言えば里の敬うべく長老と天霧くらいだな。あいつらに慣れれば何とかなるだろう」
「長老……? ってどんな方なんですか?」
「煩い爺たちの集団だ。しかし、あの爺たちはかなりの年長者だからな。鬼の中では頼りになり、敬わなければならん存在なのだ」
「千景さんもその長老には逆らえないんですか?」


 千鶴はこの時、長老と呼ばれる者は一人だと思っていた。しかし、


「ああ、あいつ達には散々、酷い目に合わされたからな」


 風間の言葉の中に複数形が混じっていると気づき、


「あいつ……達……?」


 ポカンとする千鶴。すると風間がいきなり千鶴を抱き上げた。


「きゃっ!」


 急に抱き上げられた千鶴の瞳が大きく開く。そしていきなり抱き上げられた為に、小さな身体の中に収まっている心の臓が大きな音を打ち鳴らした。二人の上半身は密着した状態。恐らく千鶴のこの心音は風間にも聞こえているだろうと思われるくらいに激しい為に、思わず両手を胸の上で押さえつけた。その仕草に気づいているのか、そうでないのか――。風間はこのような時にはいつもならからかうような言葉は発さずに、


「身体が冷たくなっているぞ。暖かくなってきたとは言え、夜はまだ冷える」



 千鶴の耳元でそう囁くと、共に布団に入り込んで優しく口付けを施してきた。千鶴は風間のその行為を素直に受け入れる為に、両手を静かに差し伸べて絡めていた――。


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