天霧のやられたら倍返し-sidestory



「天霧、千景はまだ帰って来んのか?」
「あ、長老…… 風間は十日ほど前に京に到着をしまして、本日こちらへ向かって出立をしたようです」
「そうか、そうか…… あやつが江戸に向かったのは雪村の女鬼を迎えに行く為であったな……」
 風間家の長老の一人が天霧の部屋を訪れて、風間の帰郷はいつかと問いかけてくる。こうして長老自ら尋ねてくるのも無理はなかった。何故ならば、風間がこの西の里を出立したのは昨年の師走の半ばであり、そこから既に三、四か月は過ぎているのだ。
 いくら女鬼を連れているからとはいえ、それに東海道の途中で思わぬ災難も起こったが、江戸から西の里までならば遅くともひと月半くらいで歩いて来れるはずだ。
「千景が己の嫁だと選んだ女鬼を早くこの目で見たいものなのじゃがな……」
 天霧の了承もなしに、ここに長く居座るつもりなのであろう。その長老が部屋の奥に置いてあった座布団を自ら天霧の前に持ってきてそこへ腰を下ろした。
「で、今日に京を発ったのならば…… おお、なかなか面白い駄洒落じゃと思わんか? 今日に京……くっ、くっ……!」
 長老の面白くもない駄洒落を聞いた天霧は、これは話がながくなりそうだと小さな溜め息を吐き出した。
 頭領である風間が不在の今、家老職に就いている天霧には山ほどの仕事があり、自分たちの役目を若い者に託し、余生を送っている暇な長老たちとのんびりと会話などしていられない。しかし、鬼の世界の中では女鬼は勿論の事。子供や年寄りを大切にするという風習が根強く残っており、心の中では困惑はするものの、表面上はにこやかに振る舞った。
「なかなか頭が冴えておりますな。御年が百二十歳とは思えませんよ」
 長老が天霧からの言葉を聞いて嬉しそうに笑う。鬼と雖も百歳を超えれば皺も増えて腰も曲がる。若い者に比べれば勿論、力も多少は劣るのだが、年寄りだからと思って甘く見ていてはいけない。呆けてもいない長老たちの戦力は口――。その口元から出てくる言葉に、あの風間でさえも舌を巻く時が多々あるのだ。
 しかし、今日の私は長老と戯れている時間がないな――
 その時間を仕事に充てなければ終える事ができない難題な仕事がある天霧は、自分の目の前に腰を下ろしている長老に薄い笑みを浮かべて唇を揺らした。
「風間と千鶴さまは、京から大阪に出て、水俣港まで船を使って来る事でしょう。恐らくですが、あと数日くらいで西の里に到着をするのではないでしょうか?」
 天霧の言葉を聞いた長老は、自分が今、ここにいるのは邪魔なのだと悟ったのだろう。
「そうか、そうか…… では数日後を楽しみにしておこうかの……」
 とつまらなさそうに呟くと、緩慢な動きでその場から立ち上がった。そのような長老の姿を垣間見た天霧が咄嗟に声をかける。
「長老…… 相模どのにお伝え願えませんでしょうか?」
 天霧の呼びかけに、部屋から出ようとしていた長老の歩みがゆっくりと止まって、こちらを振り向いてきた。
「相模という名は後継者に託して今は出羽(いずは)じゃがな。あやつに何を伝えておけば良いのかの?」
「この度、風間の伴侶となる千鶴さまは、あの雪村家の生き残りではありますが、人間として暮らしてきた年月の方が長く、鬼の社会に慣れてはおりません」
 そこまで黙って聞いていた長老は、天霧が何を言いたいのかがよく理解できた。
「お前は千景と違って、しっかりと言葉を選んで話す男だ。やはり、お前を風間家の家老職に就かせて良かった……」
 と、天霧に褒め言葉を投じながら、もう一人の息子のように思っている、ふてぶてしい男の顔を脳裏に浮かべた。
「そういえば、あやつの世話も俺たち長老職に就いている男たちと出羽でやっていたのじゃな……」
 本当にあの頃が懐かしい――
 長老は、部屋の中央に正座している天霧の今の姿と、脳裏に蘇った過去の姿を重ね合わせた。
「つい最近まで幼い餓鬼であったお前たちが、今ではこんなにも立派な大人の男になるとは考えてもみなかったな」
 大人になっても未だ子ども扱いをしてくる長老。それもそのはずである。風間や天霧と長老たちの年の差は、四捨五入をすれば百近くもあるのだから。人間でいえば、子供というよりも孫かひ孫、または玄孫くらいにあたるであろう。そのような彼らにとって、風間や天霧のような年の男たちや女たちは皆、立派な青年になろうが大人になろうが、まだまだ尻の青い餓鬼のようなものなのである。
「出羽に、雪村の女鬼の教育を頼むとお前は言いたいのか?」
 曲げていた腰を思いっきり伸ばしながら問いかけてくる長老に天霧が静かに頷いた。
「相模どのは既に現役を退かれてはおられますが、できればお願いしたいのです」
「今の相模では駄目なのか? あやつももういい年だからな……」
「まだ九十九歳であれば、お若いですよ」
 天霧のさり気ない褒め言葉に、長老が苦みを混じらせた笑み声を放った。
「全く…… 千景よりはましな男だとは思ったが、それは撤回じゃ。お前ほど年寄りをこき使う男はおらん」
「お褒めの言葉を頂き、誠に光栄でございます」
 捨て台詞を吐き出す長老の背に向かって、天霧は頭を深々と下げる。
 長老たちの中でも、風間や天霧が一番に懇意にしていたこの男。その妻である出羽は、風間家に代々伝わる頭領の妻となる女の教育兼乳母の役目を数十年も務め上げた女である。その出羽に千鶴を任せる事が一番だと考えた天霧ではあったが、
「里に戻って来た風間は、私のこの決断をどう思うでしょうかね……」
 と、溜め息を吐き出していた――。




 風間と千鶴が船で帰って来ると思っていた天霧ではあったが、再び不知火に手伝いを頼んだ時の事であった。
 京から西の里にやって来た不知火の口から、風間たちは船を使わずに西国街道を通って来るという知らせを聞いた瞬間、天霧の中で燻りを続けていた怒りが一気に爆発を起こした。
「風間たちが西国街道を歩いているとはどういう事ですか?」
 天霧の怒りは爆発すると表面上は異様な穏やかさを見せる。それを見逃さなかった不知火は、その怒りにおびえながら返事をした。
「え、ええっとな…… ほら、千鶴が道中に船酔いをしていたのを天霧も知っているだろ? 大坂から水俣までの船旅はかなり長距離になるからよ…… 風間はそれを心配して西国街道を通って戻って来るんだと思うぜ」
 風間を庇う不知火の態度を見た天霧が、両目をすうっと細めた。
「いやに風間を庇いますね……?」
「い、いや……その……何だ……」
「酒と女で吊り上げられましたか?」
 不知火の弱いところを突いた天霧は、更に痛いところを突く。
「ああ、あなたがあの風間を庇うのは、千鶴さまの為ですか?」
 天霧の最後の言葉に、不知火が小さな唸り声を放つ。それを聞いた天霧は、小さく呟いた。
「図星ですか……」
 女鬼らしくない千鶴ではあるが、恋愛感情とまではいかないが男を虜にする魅力はあるようだ。不知火の感情は兎も角として、天霧でさえも千鶴を好きか嫌いかの二択を問われれば、好きだという答えがすぐに出る。それにあの性格だと、鬼の一族だけしか住まないこの西の里でも、あの千鶴なら上手くやっていけるだろうと思っていた。
「しかし、船ではなく徒歩だとは……」
 長老には、風間たちが船で帰って来るだろうから、あと数日くらいだと返答をしたのだ。
 風間の帰りを誰よりも心待ちにしている長老の落胆した姿が目に浮かんだ天霧は、今ここにはいない風間を恨んだ。
 嫁となる千鶴を連れて急いで西の里へ戻り、祝言を挙げて子を作る。それが老い先短い長老たちに今まで世話をかけてきた風間が一番にしなければならない恩返しなのではないのか? それなのに、あの男は恩を仇で返そうとしている。いや、長老たちの存在などすっかり忘れているのかもしれない。そのような事は、西の鬼を支配する頭領がすべき事ではないし、他の仲間たちに示しがつかない。
 風間も迷惑な行動をしてくれる――
 自分勝手な主を恨みつつ、ある事を思い出した天霧は、風間がしなければならない仕事に手を付け始めた不知火の目の前の書簡などを横から素早く取り上げた。
「おい、何すんだよ?」
 天霧の意味不明な行動によって書簡を奪われた不知火が隣に睨みの視線を流した。が、そのような事で怯むような天霧ではない。
「不知火、あなたには先にしてもらわなければならない仕事があるのを忘れていましたよ」
 手の中にある書簡をくるくると巻き上げながら、天霧が不知火にしてもらわなければならない仕事内容を伝えてきた。それを聞いた不知火がげんなりとした表情を浮かばせる。
「それ、俺があいつに言わなければならねぇのかよ?」
「勿論、あなたが風間に伝えるのです」
 天霧が不知火に頼んだ仕事の内容は、西の里に戻った後の千鶴の事についてであった。
「千鶴の教育係になんのはあの出羽だろ? かなりの老い耄れじゃねぇかよ……それに、風間が出羽を苦手としてんのをお前は知ってんだろ?」
 不知火の言葉に天霧は頷いた後に、今度は頭を左右にゆっくりと振った。
「確かに、風間は出羽さまを苦手とされています。しかし、相模という役職にはあの出羽さまほどの適任はいません」
「でもよぉ…… 現役の相模がいるじゃねぇか…… そっちじゃ駄目なんか?」
 長老に嘘を吐いてしまったが為に、今しなければならない仕事を置いておいて謝罪をしに行かなければならない天霧は、自分を裏切った風間に仕返しをしようと考えた。それが、前相模であった出羽の名前を出す事である。
「やられたらやり返す…… これが私の信念です」
 今頃は西国街道をのんびりと歩き、千鶴との旅を楽しんでいるであろう風間に、不知火の口から出羽の名を聞いたとすればどうするか――
「では不知火、言伝を頼みましたよ。ああ、それと…… それを風間に伝えたらすぐに戻って来て下さい。先ほどやりかけていた仕事をして頂きますからね」

 天霧はそう言い残して、謝罪をする為に長老たちの集合場所へと歩みを進めて行ったのであった――。


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