喧嘩をする程仲がいいのはお互いの相性にもよる-sidestory-
「おや、これは不知火ではないか。久し振りだな」
「ああ、ここに来るのは何か月ぶりかね」
「一年は経っている。今まで何をしてたんだ?」
「ああ、そういや、この一年間、ここは素通りだったからな」
風間と千鶴が宿泊しているという宿の暖簾を潜った不知火は、迎えに出て来た宿主と軽い挨拶を交わしていた。
「ところでよ……あいつ、いるか?」
「あいつ……? ああ、風間か」
宿主は不知火の気乗りしないような表情を見て、あいつが誰の事を指しているのかを理解して返事をしてくる。そして二階の階段を指差して、一番奥の特上の部屋にいると伝えてきた。
「はあ…… 部屋で何してんだか…… 取り込み中に入りたくないもんだな……」
不知火が呟きながら階段の一段目に片足を乗せた時、その二階の奥の方から千鶴の悲鳴がいきなり響いてきた。
「もうっ! 千景さんの意地悪っ!」
その後には風間の押し殺したような笑み声まで聞こえてくる。その会話の様子で、想像していたのとは違う取り込み中である事を確信した不知火は、数段ある階段を次々に踏みしめて上がっていた。
あいつら、本当に夫婦になるのか?
前から思ってたが、やってる事が餓鬼なんだよなぁ――
と考えながら一番奥の部屋の前に立つ。そしてその場所から大きな声音を放った。
「おおぉぉいっ! 入っていいかぁぁぁっ!」
すると、目の前の襖ががらりと開き、涙でいっぱいにしたうるうる瞳をこちらに向けている千鶴の顔が不知火の視界に飛び込んできた。
「おい、どうしたんだよ?」
その表情に内心どきりとしながらも、冷静さを保ちながら問いかける不知火。そのような千鶴の背後からは、遊びを中断させられて不機嫌な表情になっている風間の姿も現れた。
「不知火さん、聞いて下さいよ!」
瞳を潤していた涙が頬を伝う。それをそのままにした千鶴が不知火に抱き付いてきた。
「うおっ!」
止めてくれぇ、止めてくれぇ――!
勃っちまう――!
っていうか、目の前の風間が怖ぇぇ!
自分がまるで蛇に睨まれた蛙のようだと辛い思いをしながら、抱き付いている千鶴の両腕をゆっくりと自分の腰から引き離した。
「な、何があったんだぁ?」
あまりの鼓動の速さに、不知火の声が上擦る。すると、千鶴の背後で不知火を睨み続けている風間が機嫌を悪くしたままで唇を揺らしてきた。
「何をしに来たのだ? お前などに用はない。さっさと失せろ」
用事がないのならば、不知火とて風間と千鶴のいちゃつく光景など目にもしたくはない。しかし、今回はあの天霧の用で仕方なく足を運ばせたようなものであった。
「天霧からの言伝を持ってきてやったんだよ。有難く思え!」
と不知火が言うと、風間はそれに対して鼻を鳴らしながらすぐに突っ返してきた。
「ふん! 天霧の言伝など俺には必要がない。持って帰れ」
「阿呆! そのまま持って帰っちゃ、俺が天霧にどやされるだろがよっ!」
だから俺の話を聞けと伝えた不知火を、風間は冷めた視線で聞きたくもないというように拒絶した。
「どやされるがいい……」
「くぅぅっ!」
鬼の一族も勝手な者ばかりが多いと心の中で嘆いていた不知火は、先ほどの千鶴の聞いて下さいよ―― という言葉を思い出して、
「ところでお前、さっきはどうしたんだよ?」
風間との面白くもないやり取りで千鶴の事などすっかりと忘れていた不知火が振り向くと、やはり無視された事が気に入らなかったのか、頬を最大限に膨らませている千鶴の姿がそこにあった。
「私の話なんて聞いてくれなくて、二人で仲良くしないで下さいよ」
「へっ?」
あれのどこが仲良くしていたんだと叫びたい不知火ではあったが、千鶴にとって二人のやり取りがとても馬が合っていい感じに見えたらしい。
「あのなぁ…… 仲良く何てしてねぇだろが……」
「してましたよ」
何度も仲良くないと伝えても、この千鶴には通じそうにもない。不知火は大きな溜め息を吐き出した後に、千鶴が風間に何をされていたのかを問いかけた。すると、
「あ、そうだ! 聞いて下さいって!」
と、せがむようにして不知火の長い襟巻の端を掴んで引っ張ってくる。それによって不知火の首が閉まる形成となってしまった。
「く、苦しい! 苦しいっ! ちゃんと聞くから離せっ!」
その不知火の苦しむ姿を見て何を思ったか、風間が千鶴が持っていない方の襟巻の端を掴んだ。
「千鶴、鬼と雖も苦しみはある。こういう場合はだな、一気にあの世へ送ってやるのがいいのだ」
「な、何を言って…… うっ、ぐぅぅっ!」
この後、不知火は自分の首と襟巻の間に両手を突っ込み、それを真っ二つに引き裂いて、何とかこの世に魂を留める事ができたのであった――。
千鶴が不知火に先ほどの出来事を話し、それを聞いていた不知火は大袈裟な溜め息を吐き出した。
何でも、三色団子の中の桜色を全て風間に食べられてしまったらしいのだ。それも千鶴が口に入れた途端に口付けをしてきて舌で掬い取って――
千鶴にとっては最悪な事件だったに違いないが、その話を聞いている不知火には辛い時間であった。何故ならば、二人のやり取りがただのいちゃつき合いにしか考えられない上に、そのような事が堂々とできる立場にある風間が滅茶苦茶に羨ましいとさえ感じていた。
何で俺が惚気話のような訴えを聞かなきゃなんねぇんだよ――
不知火が恨めしそうに風間の方に視線を向けると、視界の中に映った風間の顔は優越感たっぷりの表情を浮かばせている。それを垣間見た不知火の心の中に少しだけ不安要素が浮かび上がる。
まさか、こいつ―― 俺の気持ちを知ってるってわけじゃねぇよなぁ――
風間は何も言わないし聞いてはこない。しかし、今の表情で、
俺は何もかも知っているのだぞ――
と言っているような雰囲気を不知火には感じていた。
できれば早く、この部屋から飛び出したい――
そう考えていた不知火は、額に人差し指を当ててその個所を掻き毟(むし)った。
「まあ、何だ…… 喧嘩をするほど仲がいいって言うじゃねぇか…… 千鶴だってぎゃぁぎゃぁ言ってっけど、本当は風間にそんな事をされて嬉しいんじゃねぇのか?」
すると、千鶴は顔を真っ赤にさせて口ごもってしまう。
「そ、そんな事…… だ、だって、私は、その…… そのぉ……」
その態度を見ていた風間が、ふふんと鼻で笑った。
「ほれ見ろ。やはり嬉しかったのだろう」
「そ、そんな事ありませんっ!」
「俺は味見もさせずに奪ってはおらんぞ。お前がしっかりと口の中に入れて桜色の団子を味わったのを確認してから奪ったのだからな」
「だ、だから、そういう意味じゃなくって……!」
風間の執拗なからかいに、顔を真っ赤にさせて反論をしようとする千鶴だが、その動揺振りからして、風間に顔を近付けられればされる程、千鶴の表情には愛という感情の色が濃く浮かび上がる。それをずっと見せつけられていた不知火は、
やってらんねぇ――
と心の中で嘆息を吐き出した後に、その場から立ち上がった。
「風間ぁ、お前に伝えておかなくちゃなんねぇ事があるんだよ。それも千鶴の事でな」
不知火の言葉に風間の表情が曇りを見せる。
「こやつの事で何の話があると言うのだ?」
「えっとな……」
「お前はこやつを俺から奪おうとしているのか? その決闘ならば今すぐにでも受けてやるぞ」
この男は何でこういう考えしか頭の中に思い浮かばねぇんだ?
西国の鬼の中で、風間の一族の中で稀にしか現れないという強い力を持った風間。その上に頭脳明晰でもあると日の本中の鬼たちの間では有名だ。そして高慢ちきとしても―― そのような男が、一人の女に対しては偏った、変梃(へんてこ)りんな妄想や考えしかできない。不知火は風間のそれを自分の中に置き換えて考えてみると、自分も風間であり、千鶴の夫となる立場であったら、同じような考え方しかできないのかもしれないと思った。
これが愛ってもんなのかねぇ――
愛という感情についてあまり深く考えた事もなかった不知火ではあったが、この感情を知れば知るほど、心が浮きだったり沈んだりと、なかなか忙しいものだと少しだけ興味が湧いた。しかし、今はそのような感情に浸っている暇はない。西の里に到着をした後、風間が苦手とするあの者が、千鶴に風間家の嫁としての教育を施すのだから――。
優しい女なのだ。
今ではかなりの皺くちゃ婆ではあるが、若かりし頃は美しい女鬼だと言われている程だ。しかし男にはかなり厳しく、風間だけではなく不知火だって苦手の対象に当たる女であった。
「天霧がよ…… 千鶴の教育係は前相模の出羽にするって言ってたぜ」
不知火の口からその名が出た途端、風間がいきなり胸倉を掴んできた。風間の手で掴まれている布の個所が小さな裂け音を鳴らした。
「不知火…… 今、何と言った……?」
「だから、千鶴の教育係が出羽になるって言ってんだよ! ってか、襟巻を使いもんにできなくして、その上に俺の着物にまで手をつけんのか!」
それでも風間は胸倉を離さない。その音は次第に部屋に響くほどの大きな音を鳴らし始める。
「すぐに天霧の元へ戻り、取り消して来い」
「も、もう決まっちまった事だから無理だって!」
風間の掴んでいる個所が少し破け、不知火の浅黒い肌が垣間見え始める。
「何故にお前は反対をしなかったのだ!?」
「だ、だから…… 俺がその話を聞いた時には決まってたんだって! ああっ!」
少しずつ大きくなり始めていた裂け音が、いきなり激しい音に変化した。
風間の手の中には不知火の胸倉のところにあった着物の残骸。そして、それが破れた為に、不知火の身体は宙を舞って壁に激突をした。
「痛ぇぇぇ…… おいっ、風間…… どうしてくれんだよ? これじゃぁ、外を歩けねぇじゃねぇか!」
悪い事をしたとは思っているのだろう。しかし、このような事で簡単に謝罪をするような風間ではない。それに、自分に非がある時ほど、思ってもいない事を口に出す男である。
「不知火…… 俺とお前は友であろう。これしきの事で喧嘩などしょうもないではないか」
風間のその言葉を聞いて唖然とする不知火。その二人のやり取りを見ていた千鶴は、先ほどの険相から一変。いきなり嫉妬深い笑みを浮かべながらとんでもない言葉を投げつけてきた。
「お二人って、本当に仲がよろしいんですね……」
「はっ……?」
こいつ、何を言ってんだ――?
だから、どう考えても仲良くなんて見えねぇだろ!
不知火が千鶴に冷めた視線を向ける中、風間は千鶴が浮かばせている表情がお気に召したようだ。いきなり不知火の顔に自分のそれを近付けてきた。
「確かに、俺たちは気の合う仲間だからな」
すると、千鶴の口元から嫉妬めいた言葉が吐き出された。
「喧嘩をする程に……?」
それに風間が即答をする。
「そうだ…… 喧嘩をするほど仲がいいと言うからな……」
いや、喧嘩をするほど仲がいいのは相性にもよるぜ――
千鶴のじっとりとした視線を受けている不知火がそう思っていると、顔を近付けていた風間が耳元で囁いてきた。
「良いか…… 天霧に申しておけ。出羽は…… 却下だとな……」
「で、できるわけがねぇだろっ!」
風間が不知火の耳元で囁き、それに答える為に風間の顔に急接近をした不知火。そのような光景に千鶴の癇に障ったらしい。
「もう! 千景さんから離れてっ!」
「い、いや! こいつが俺に引っ付いてるんだって!」
「不知火さん、離れてぇぇっ!」
この後、不知火の着物は見るも無残な形になってしまっていたのであった――。
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