西国街道-今宿→鵤(いかるが)宿→正篠宿→片嶋宿→有年宿→梨原宿→片上宿



 翌朝、千鶴は風間に文句を言われながらも、西国街道をひたすら歩く事に専念していた。どうも、夜の口付けの行為の途中で眠ってしまっていたらしい。何度か頭突きをされて目覚めはしたのだが、再びトロリと瞼が溶けるように落ちていってしまっていた。


「お前は女としての自覚がないのか?」


 自分の中で男女の行為を封印させている風間にとって毎夜の長く深い口付けは大切な儀式なようなものだ。それを中断させられた為か、かなり機嫌を損ねている。


「だからですね、疲れていたんですから仕方がないでしょう? 私が何かすればいつも、【女の自覚がない】ばっかりなんだから……」


 風間の文句に反論する千鶴ではあるが、それは風間の機嫌の悪さを更に助長させてしまう。


「普通の女ならば、あのような行為で寝る事はまずない。お前は変わった女だ」


 と、文句の言葉を追加してくる始末である。


「その言葉は東海道の時にも聞いたような気がします。変わった女だと分かっていて嫁にしたいと思ったのは千景さんじゃないですか? それにあのような行為って言いますけど、私にとってあれだけでもかなり疲れるんですからね」


 千鶴の言葉に両目を大きく開いて声音を大きくさせて放った風間の言葉はとても恥ずかしいものであった。


「あれで疲れるだと……? では西の里に着き、祝言を挙げた日の初夜をお前は昨夜のように寝てしまうつもりか? 口付け、前儀以上の事をするというに、昨夜のあれだけで鳴き疲れて寝てしまうつもりなのか?」
「ち、千景さん…… 声が周りに聞こえていますって……」


 もう少し静かにと伝える千鶴だが、風間はそのような事はどうでもいいようだ。


 そう、この風間は道端でも人目を気にせずに大胆な行動をする男であった。それは昨年の年末―― いや、蝦夷で別れた前の口付けの時から分かっていた事ではないか。


「あれの行為が初めてのお前に、俺は初夜の時に時間をかけて前儀をしながらお前の秘部を湿らせて蜜を溢れさせてだな…… 痛くないようにしてやらなければならない、気の遣う事をしなければならないのだぞ」
「だ、だから、そういう話はもう少し静かに……」


 二人とすれ違う旅人たちが興味深そうな視線を風間に向けている。男は厭らしい笑みを浮かべ、女は見目の良い風間の口から卑猥な言葉が吐き出されるのに色気を感じながらも、恥ずかしそうな笑みを浮かべていた。


「こうなれば、旅の間にあの個所をもっと柔軟にしておかねばならんな……」
「だ、だから、千景さんったら!」
「祝言の前夜は早く寝ろ。さすれば初夜の時には一晩中起きていられるぞ」
「だ、だから…… 恥ずかしいじゃないですか!」


 風間は通り過ぎる旅人の目も気にせずに、千鶴はそれをかなり気にして、ギャーギャーと言い合いながら鵤宿へと歩いて行った。


 原坂の峠を越えて歩いて行くと左の竹やぶに【桜井の清水】があった。播磨十水の一つだそうで、涼しげな水音をうっそうとした竹やぶの中に響かせていた。


「うわぁ、美味しい!」


 冷たくて甘い味が口内に広がっていく。珍しく風間もその清水を口にしていた。


「ふん、これはいつ飲んでも美味いな」


 風間の口から褒め言葉が出るなど滅多にない事で、千鶴は清水と風間の間で顔を左右させながら首を傾げた。


「千景さんが清水を美味しいって言うなんて…… 酒精(アルコール)でも入っているんですか?」


 風間が美味いというものは酒くらいであるからと、思った事をそのまま正直に尋ねると、風間の表情にまたまた不機嫌な色が浮かび上がっていた。


「俺をからかっているのか……? まあ、いい…… そう思うならば勝手に言っておけ。酒が造られる場所にはこのように清水、湧き水などが豊富にあるのだ。美味い酒は水が命だからな」
「水がいいとお酒も味が変わるんですか?」
「勿論だ。酒という物は……」


 聞かなければ良かった――


 千鶴がそう思っても既に遅かった。鵤(いかるが)宿に入るまで風間の酒仙話は延々と続いていた。


 鵤の地名は推古天皇十四年聖徳太子が推古天皇よりこの地に与えられた鵤荘に由来する。更に進んでいくと右手斑鳩寺への参道入り口両側に【聖徳皇太子】と彫られた常夜灯二基が立っている。二人は斑鳩寺の仁王門前に出た。白木作りのやや痩せ型面長の仁王がこちらを睨み付ける。


「仁王って雰囲気が怖いですよね……」


 千鶴が鋭い睨みを作り上げている仁王の顔を凝視しながら呟くと、


「人間が作り出した守護神に興味はない」


 風間はそう言って千鶴の手を繋いで鵤寺から離れて行く。二体の仁王はそのような二人の背中が見えなくなるまでずっと睨みつけていた――。


 二人は更に歩き続け、正條の渡しを超え正條宿へと入って行った。


 西国街道での泊まりは忍びの鬼が担っている旅籠ばかりであった為に、風間と千鶴の昼餉はいつも愛情の篭もった握り飯であった。千鶴が大食いだという事も広まっているのだろうか? いつも竹の皮に包まれている握り飯は男が握ったのかと思うくらい大きく数も沢山だった。その握り飯の中の一つを風間が食べる。そして、後の残りは千鶴がぺろりと平らげてしまう。


「塩気のものを食べた後には甘味の物が欲しくなりますよね」


 ほぼ二人分の昼飯を平らげた千鶴が竹筒の中に入っているお茶を啜りながら、まだ物足りなさそうに呟く。それを聞いた風間は大きな溜め息を吐き出した。


「あれだけ食っておいてまだ食う気なのか?」
「あら? 御飯と甘味は別腹っていうじゃないですか」


 千鶴は大きな腹をポンポンと叩き、それを見た風間は片手はまだ食べきっていない握り飯、もう片手は顔を覆うと、再び深い溜め息を吐いていた。


 以前の風間ならば冷たい言葉で相手の要求など却下していただろう。しかし、今ここにいる風間は自分でも驚くほどに甘い男となっていた。


「もう少し歩くと茶屋がある。そこで団子を買ってやる」
「本当ですか? ああ、嬉しい!」


 風間に団子を買ってもらった千鶴は満足気な笑みで、反対に風間は呆れ返った表情で、片嶋宿を通り過ぎ、有年宿へと足を踏み込んで行った。


 先を歩いていると【池魚塚】と彫られた珍しい石塚が見えた。この塚は街道を改修する為に池の魚が多く売られ、その魚に対しての感謝と供養の為に建てられたそうだ。


「池の魚だけで街道の改修が出来たなんて、それ程多量に魚がいたんですね。それに海や川の魚なら分かるんですけど……池の魚って何でしょうか?」
「鯉か何かだろう」
「鯉か何かって……?」


 いつもならば、自分の中にある知識を見せつけてくる風間ではあったが、今回は説明がやけに簡単だ。暫くの間、塚を見つめていた風間がぽつりと言葉を漏らした。


「……これは俺にもよく分からん」


 風間はそう言って先を歩いて行き、千鶴もその後を慌てて追いかけて行った。あの塚の資料は少なく、天保七年に建てられた物らしいが詳しい事は謎のようだ。


 有年宿の本陣の前の街道は広くて西に真っ直ぐに伸びている。今日も暖かい日差しが差しており、二人は長閑な道のりを西の有年峠に向かって歩いて行った。この有年峠は、【播磨箱根】と呼ばれるほどの難路である。千鶴は、風間に手を繋いでもらいながら、その難路を進んで行った。


 足場の悪い道を歩いて行くと、坂折池という名前の池の所に辿りついた。


「千景さん…… ちょっとここで一休みしたいんですけど駄目ですか?」


 千鶴が荒い息を起しながら風間に懇願するが、駄目だとの一点張りである。


「どうして駄目なんですか?」


 いつもなら休憩を促すと、渋い顔をしながらも足を止めてくれるはずの風間が今回に限ってはそれをも許さないかのように頑固だった為、おかしいと思って訊ねてみた。


「ここはな……」


 風間の低い声に千鶴がゴクリと固唾を飲んで待つ。


「蝮(まむし)が出るのだ…… 毒牙を持ち、酒にすると滋養強壮剤になる……」


 正直な話、千鶴は蝮を見た事がなかった。蝮は温暖な地に生息をするからである。しかし、恐ろしい生き物だという話は育ての父親であった網道から聞いていて知っていた。


「ま、蝮ですって!」
「ついでに言えば猪も出る」
「ええっ! 猪もですか!」


 今は三月―― 暖かくはなってきたが、日が暮れるのは早く、暗くなってしまってはこの峠道は難所の為に危険である。風間は嘘を吐いてまで疲れ切っている千鶴に急がせる。この峠、この池から先が急な勾配になって大変である為、休憩などをせずに一気に超えた方が良いと判断したからだった。もう少しすれば蝮も冬眠から出て来るだろうが、まだ目覚めるには早い。猪は出るかもしれないが、今の所近くにいる気配はない。しかし、風間は千鶴を騙しながら峠を越えて行った。


 結局最後は、風間に引き摺られるようにして峠を下る千鶴であった。ぐったりとした千鶴を無理矢理歩かせる事ができないと悟った風間は、この峠を下りた麓の旅籠で泊まる事にした。その旅籠にも忍びの鬼がいたが、挨拶もそこそこに風呂に入らせてもらった千鶴は、夕餉も食べずに布団に倒れ込むように横になると、すぐに深い眠りに入ってしまった。


 最近、千鶴の体調の変化に気付いた風間が、朝餉の時に問い掛けていた。


「いつも疲れているようだが、何かあったか?」


 風間の言葉に千鶴はパッと顔を上げると、首を傾げながらううんと唸っていた。


「千景さんから祝言を挙げた後からが大変だって言われてから、そればかりが気になってしまって……。考えれば考える程に疲れちゃうんですよね。鬼の里に着いたら着いたで新しい生活も始まりますし、それに悩みが一つ増えてしまって……」


 ああ、あの事でずっと悩んでいたのか――


 と、風間は納得をした。見知らぬ地へ赴く千鶴に新たな悩みが加わり、それらが千鶴の体力や精神面に負担を掛けていた。


「気にするな。里に着けば俺が守ってやれる。それに、天霧もいる…… 不知火もよく遊びに来る上に、長老たちはお前の味方だ」


 風間のその言葉に千鶴は、はて―― と首を傾げた。


「天霧さんや不知火さんなら、私の味方だと言われても納得ができますけど、顔を見せた事もない長老たちが何で私の味方になってくれるんですか?」


 嫌われるかもしれないではないかと伝える千鶴に、風間は少しだけ迷惑そうな表情を浮かべる。


「あの相模…… 出羽がいるのだからな……」


 そういえば、以前に不知火が宿にやって来た時も、その相模という女の事で揉めていたような気がする―― それを思い出した千鶴が風間に尋ねた。


「あの…… その、相模さんってどのような方なのですか? それに、私と何か関係があるんですか?」


 すると、風間が千鶴の両肩に二つの手を置き、顔を見つめてくる。その風間の表情は、まるで千鶴を憐れんでいるかのように物悲し気であった。


「まあ…… 覚悟をしておくがいい……」
「えっ……?」


 覚悟とは一体何なのだろう? もしかして姑?


 などと考えてはみるが、風間の母親は早くに亡くなってしまったと聞いている。だから、千鶴には姑がいないはずなのだ。


「あの…… その方って一体……」
「……聞きたいのか?」


 自分に関係がある者で、風間も苦手としている女ならば、少しは興味がある。何故ならば、相模―― いや、出羽という名を不知火から聞いただけで、風間の表情には苦手とする色が浮かび上がっていたからだ。何にでも恐れずに立ち向かおうとする男が、その出羽という女だけにはあまり関わりたくないような様子を見せていた。


「き、聞きたいです…… っていうか、朝っぱらからお酒なんて飲まないで下さいよっ!」


 深刻な会話だというのに、目の前の風間はゆったりと寛ぎながら酒を飲んでいる。その姿を見ていた千鶴は、最近の緊張からか、軽い眩暈を起こしてしまいそうになる。


「相模とは、風間家代々の嫁や子に仕える教育係兼乳母のような女だ。俺の時はその出羽という女であったのだが、今では引退していてな。新しい相模に代わった。しかし、天霧が…… ふん、今になっても腹が立つが……」


 風間の話の続きによれば、風間の了解をも得ず、天霧直々に出羽に千鶴の教育係を頼んだのだと言う。しかし、その話を聞いた千鶴は心の中で何となくホッとしていた。その理由は、天霧が自分の為を思って出羽という女に頼んでくれたに違いないから――。それを風間に伝えると、


「ふん! 天霧は俺への嫌がらせの為にやったのだ。あの婆もかなりの老い耄れだからな。大人しく隠居生活をしていればいいものを……」


 何とも皮肉めいた返事をしてくる。しかし、千鶴は何故かしらこう感じた。


 風間も出羽の事は大好きなのだと――
 ただ、母親に対する少しの反抗心を起こしているだけなのだと――


 そう感じるには理由がある。それは、皮肉めいた言葉を吐き出している風間の口元はずっと、ずっと緩みっぱなしだったからであった。


「まあ、出羽が気に入れば、長老たちもお前の味方になる」
「何でですか?」
「出羽の伴侶が長老の一人なのだ」
「じゃあ、何が何でも出羽さまに気に入られなければならないじゃありませんか」
「普段のお前らしくしていればそれでいい」
「いい加減な事を言わないで下さいよ!」


 未だに不安げな表情を浮かばせている千鶴を促し、二人は有年宿を出立して梨原宿に向かって歩いて行った。


 今朝は少し曇り空ではあったが、雨が降る気配はなさそうだ。二人は長閑な田園の間の道を歩いて行く。そろそろ田植えの時期も近付いてきているのか、冬の間放置していた田や畑を耕している農民がちらほらと目に付いた。


 ここ梨原宿は、【梨原商人】と呼ばれた商人が存在し、西国街道沿いの流通の中心であったそうだ。この宿場はかなり小さい集落から成り立っている為、本当に流通の中心であったのかと首を捻ってしまうくらいであったが、足を踏み入れてみると、確かに旅人や商人らしき人々で賑わいがある。二人はその賑やかさには似合わない長閑な風景の中を歩き続け、船坂峠へと向かって歩いて行った。


 船坂峠をひたすら歩く二人は【雲水の井戸】の近くにある【三軒茶屋】で暫しの休憩を取る。風間と千鶴は団子の奪い合いをしながら足の疲れを取り、再び西へと歩き続けて行くと、右の方向に神社が見えた。


 【三石神社】と言うが、【三石明神】又は、【孕石神社】とも呼ばれているそうだ。


 この神社は、今から一千有余年の昔、神功皇后が懐妊の身体でこの地に立ち寄った際、この社にある大きな岩の上で休息し、それ以来境内の岩や石は、みな白い小石を孕んでいるようになったと伝えられている。今も遠近から子宝に恵まれたいと願う夫婦がよく参拝しているそうだ。


「よおくよく願っておけ。子宝に恵まれる神社だからな」


 風間が千鶴に早く手を合わせろと催促をする。


「千景さんも一緒に手を合わせて下さいよ。私一人で願っても意味がないんです。夫婦揃って願わないと子なんてできないじゃないですか!」


 まだ夫婦ではないですけどね――


 千鶴が言葉を付け足しながら手を合わせて目を閉じる。


「それもそうだな…… 神などは信じないのだが仕方あるまい……」


 風間は千鶴の言葉に珍しく納得すると、道中で初めて神の前で手を合わせる仕草をしていた。


 これくらいでいいだろう――


 目を閉じていた千鶴がゆっくりと瞼を上げて隣を見てみると、手を合わせている風間だが、やはり緋色の瞳は目の前の神を睨み付けていた。


「この俺が願ってやったのだからな。しっかりと仕事をするのだぞ。分かったか? ああ、それと…… 子はまだいいぞ。できれば数年後にしてくれ」
「あ、あれだけ子供、子供って言っておいて、数年後でいいんですか?」
「ああ、あれは風間家の者たちが煩く言ってくるだけだ。俺はまだいらん」
「はあっ!?」


 力が抜けて行く感覚が一気に生じてくる。


 風間の神に対しての高慢、勝手な言葉に、千鶴はただただ呆然と見つめるしかなかった。そして、二人はひたすら西に向かって歩き、船坂峠を越え、その途中で【清水地蔵】の脇に湧き出ている清水で喉を潤した。この清水は、風間と千鶴が歩いて来た船坂峠を越えた旅人や、二人が今から足を踏み入れる兄弟坂を超えて来る旅人の喉を潤している。清水地蔵は、道中の無事を祈って誰かが寄進したものらしい。二人は、先に弟坂を上り、そして兄坂をひたすら下ってその坂を越えて行った。


 暫く歩くと【藤ヶ棚茶屋】があり、そこで再び休憩する二人。千鶴の身体が疲れやすくなっている為、風間は小まめに休憩を取るようにしていた。


 片上宿に入った二人は、田園風景の続く道を歩いて行った。


【宇佐八幡宮】があり備前焼狛犬が悠然とした姿で置かれている。宇佐八幡宮は建武三年、延元元年、足利尊氏が多々良浜(現福岡)の戦いで大勝し、九州制覇ができたのは豊前の宇佐八幡宮に参籠して武運長久を祈願したお陰だと勧請し、足利の守護神にしようとした。しかし帰路おおしけに遭い、神のお告げで潟神村(片上村、現備前市)に祀ることにした。その後天保三年に現在地に遷宮したもので十万石の格式が与えらていた。


 この辺りの神社の狛犬は殆どが備前焼で作られていた。独特の風合いを醸し出し、どっしりと構えるそれらに恐ろしい程の強さを感じさせられる。


 この片上宿は【日本売薬備中売薬の祖(薬祖)万代常閑翁】でも有名である。【越中富山の薬売り】の根源はこの宿場にあるそうだ。【反魂丹(はんごんたん)】と言う薬なのだが、これは丸薬の一種で胃痛、腹痛などに効果があるそうだ。【反魂】とは、死者の魂を呼び戻す、つまり死者を蘇生させるという意味であり、大陸の方ではその霊薬を【反魂丹】と呼んでいたらしい。


 船坂峠や兄弟坂の少し辛い道を越えて来た二人は、この片上宿で宿泊する事にした。


 この宿場は港が近くにあり、魚料理が美味しいと評判である。旅籠に着くなり、風間と千鶴は又しても鬼仲間の歓迎を受けるが、最近、それが千鶴にとってはかなりの重荷になっていた。しかし、風間の頭領としての評判を落としたくない千鶴は、できるだけ愛想良く微笑みを絶やさずにいた。それが風間にも伝わっていたのか、旅籠に入るとすぐにその鬼の仲間にすぐに部屋に案内してもらい、夕餉の時間までは部屋の入室をやんわりと断っていた。千鶴のちょっとした雰囲気で、その時のの気持ちをすぐに察する風間に、千鶴は深く感謝をしていた。


 広々とした部屋で、風間の胡坐の上に座りながら、胸に顔を埋める千鶴。体力よりも精神的な疲労がかなり溜まっているようだった。


「そのように悩むな。楽にしておけばいい」
「でも…… やっぱり緊張はしますし、悩みます……」


 鬼にしろ、人間にしろ頂点に立つ者の伴侶とはこのような重圧に耐えなければならないのかと思うと、余計に胸が苦しくなってくる。風間の妻になる千鶴がこれだけの重圧を受けているとなると、風間は幼い頃からどれ程の重圧に耐えてきたのだろうか――?


 そのような千鶴の不安を取り除くかのように、風間が強く抱き締めてくれている。


 大丈夫――
 千景さんが隣にいてくれる限り、私は強くなろう――



 千鶴は、自分を包み込んでいる力強い腕と胸の温かさを感じながら、心を落ち着かせるような大きな呼吸を何度も繰り返していた。


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