西国街道-片上宿→間の宿香澄→藤井宿



 大分落ち着きを取り戻した千鶴は、その旅籠での夕餉を思う存分味わっていた。


 新鮮な海の幸の料理が次々と彼女の胃袋の中へ詰め込まれていく。その食欲と表情を見た風間は少しホッとしたような表情で、ゆっくりと酒を唇に浸していた。


 その夜は何もなかったが、風間に抱き締められたまま眠った千鶴の表情は、翌日には吹っ切れたように明るくなっていた。まだ少しは悩みはあるものの、くよくよしていても仕方がない。東海道での馬込川での教訓であり、それを思い出した千鶴は、何とかなるだろうと考え始めていた。そして、二人は旅籠の主人に見送られながら先を歩いて行った。


 その先の葛坂を歩いていると、右手に【お夏の墓】というものがあった。


 寛文二年、姫路の宿屋但馬屋の娘お夏と手代清十郎とが駆け落ちした事件があったらしいのだが―― 風間もこれは詳しくは分からず、ただ、井原西鶴が好色一代女に脚色したらしい―― 何とも曖昧な説明であった。


 その内、葛坂は林間の上りになり、情緒ある坂道が続いていき、丁度峠の場所に【お夏茶屋の井戸】があった。この葛坂峠お夏茶屋は、お夏の天性の美貌と知れ渡った評判の店は随分はやったそうなのだが、今現在はここにその茶屋はなく、井戸だけがあるだけだ。その井戸に何故か手を合わせる千鶴に、風間がどうしたのかと問い掛けると、


「天性の美貌ですよ…… あやかりたいものです」


 そう言って再び手を合わす。風間はその隣で呆れ返りながら、


「天性という意味も知らんのか……?」


 と、呟いていた。


 葛坂の緩やかな下りを二人が歩いて行くと、備前焼の窯元が目立つように建ち並び始めた。


 備前焼を気に入った千鶴は、流石に昨日から目に焼きついていた神社の狛犬は諦めたものの、やはり備前に伝わる焼き物は欲しかったらしく、道行く人々に教えられた備前焼の品を売っている店に入って行った。


「備前焼は落ち着いた色合いの焼き色ですね」


 店の中に入り、自然な風合いの焼き物を見ながら千鶴が一品を手に取る。それは、赤茶色の中にも少し光るものを施した銚子と杯の一揃いだった。


「私はお酒が飲めませんけど、これで頂くお酒は美味しいかもしれませんね?」


 千鶴がふわりと笑ってその一揃いを店の主人にお願いして包んでもらっている。


「買うのか?」


 風間の驚いた問い掛けに深い頷きを見せる千鶴は、包んでもらったそれを大事そうに抱き締めていた。


「俺が酒を飲むと、嫌そうな顔ばかりしていたではないか?」
「少しならいいんです。千景さんは酒仙なんですもの。でも、このように上品な物で飲むとお酒も悪くないような気がしたんです」


 風間の脳裏には、千鶴に無理矢理酒を呑ませた時の情景が思い出されていた。


「ちと癖は難がありそうだったが、千鶴の鬼になった姿も悪くはなかったな……」


 ボソリと呟く風間の方を振り向いた千鶴が不思議そうに首を傾げている。


「何か言いました?」
「いや、何もない。行くか」
「はい」


 里に着いたら、もう一度千鶴に酒を飲ますか――


 風間の心の中ではちょっとした悪戯心が沸き起こっていた。


 備前焼の誕生は平安時代から鎌倉初期にかけてらしい。備前焼を気に入った千鶴の為に、風間がある神社に立ち寄った。


 【天津神社】と言われる神社であるが、鳥居の左右には備前焼の狛犬、備前焼瓦で葺いた神門、随身門。石段の左右の塀には備前焼の陶板が飾られており、千鶴にとっては夢のような世界が目の前に広がっていた。


「少し、寄り道でもするか?」


 風間がそう言って、この神社の中に入って行く。


 何があるのだろう?


 千鶴は不思議そうな顔をして風間の後を付いて行った。


「わあぁぁ!」


 千鶴が驚くのも無理はない。本殿の前の床は備前焼の陶板で敷き詰められていたのだ。至る所に備前焼が使われているのはこの神社だけらしい。他の神社では瓦などは大和(奈良)から取り寄せたりもしているらしいのだから――。


 暫くの間、沈黙を続けながら千鶴がうっとりと備前焼の世界に入り込む。その姿に慣れてしまった風間は欠伸をしながらも、千鶴の好きなように陶酔する時間を与えていた。


「さあ、千景さん行きましょう!」
「もういいのか?」
「はい、十分堪能しました。有難うございます」


 徐々に元気を取り戻しているとは言え、やはり千鶴の気分を少しでも和らげようとした風間の心遣いは、しっかりと理解されていたようだ。風間はフッと表情を緩めると千鶴の手を握り締めて、天津神社の随身門を潜って外に出て行った。


 鶯が頑張って練習をしたのか、美しい鳴き声が響き渡り、気分の良い二人は、大ヶ池の辺を歩いて行った。その先を歩いて行くと、五角柱の石塔を度々目にする事があった。各一面ずつ【天照大神】【大己貴命】【小安彦命】【埴安媛命】【倉稲魂命】と書かれていて、風間の話しでは社日様という田の神で、五穀豊穣を祈って、境内の隅、田の端などに五角形・六角形の石柱で祀られることが多く、社日塔と呼ばれているという事だった。そして二人は間の宿、香登に入って行った。香登の町並みは、二階に漆喰の幾何学模様のある家や茅葺で覆った家などが並び、情緒ある風景を目に焼き付けてくる。左右に土塀や蔵造りの家が並ぶ道を歩き続けて行く。そしてその先は、風間が楽しみにしているという、【備前長船刀剣】発祥の地があるらしい。今も造られてはいるらしいのだが、数はかなり減少してしまったという事だ。


 この備前刀、山陰側の真砂(まさ)という不純物の少ない砂鉄よりも、備前の赤目(あこめ)という混ざりものが多い砂鉄の方が他の元素と複雑に絡み合って硬くて折れにくい名刀になるらしい。この刀は、街道や、この地を流れる吉井川の水運から徐々にこの日の本中に知れ渡っていったらしい。


「この刀は買わないんですか?」


 以前に名刀を買っていた風間を思い出した千鶴が訊ねてみると、既にこの刀は風間家の蔵に納まっているらしい。


 酒通でもあるが、刀も愛して止まない風間の演説が吉井川の渡しの所まで延々と続いたが、風間の楽しそうに話す姿を見ながら、千鶴は新選組のもう一人の刀を愛していた男を思い出していた。


「斎藤さんも刀を愛していた一人なんですよ」
「ああ…… あの土方の犬か」
「もうっ! 犬だなんて失礼ですよ。土方さんを尊敬されていたんです!」


 新選組の仲間を貶すような言葉を放つ風間に反論する千鶴だが、風間の心中がそう思ってはいない事に気付く。何故なら、千鶴の前で彼らを貶す風間の表情は、穏やかな雰囲気を漂わせていたからであった。


 吉井川を舟で渡った二人はどんどん先を歩き、その途中の茶屋で休憩をした。心をホッとさせる熱い茶を啜り、疲れを一気に忘れさせる甘い串団子を頬張る千鶴。


「急いで食うと、串が喉を突き刺さるぞ?」
「だって…… 桜色の団子を取られると嫌なんですもの!」
「取られたくないのならば…… こちらに渡せばいい」
「取られるのも渡すのも嫌です!」


 今回は千鶴の必死の守備により、風間は桜色の団子を一つも口にする事はできなかった。



 桜色の団子を食べられず機嫌の悪い風間と、初めて団子を全て守りきり、満足気な表情の千鶴は、藤井宿へと入って行った。


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