13:ツンデレ鬼のお正月:四



 家に帰った千鶴が急いで酒を温める。その酒の事で二人はまた喧嘩を始めていた。


「お前の温める酒は熱いか生温いか、両極端だ」
「お酒も呑めない私に、程よい熱さが分かる訳ないじゃないですか」
「人肌という言葉を知っているのか? 熱燗は人肌がいいと言うだろう?」
「人肌と言っても各々の温かさは違います」
「俺の助言をも聞き入れず、反論をするか……」


 風間と千鶴が睨み合う。そして互いにフンッと大きな鼻音を鳴らすと、風間はそのまま茶の間で、千鶴は自分の部屋に入ってしまった。


「もう、何でも文句をつけて嫌になっちゃう」


 千鶴はそう呟くと、自分の着物を収めている箪笥を見つめた。


「西の里へ行く用意、いつしよう……」


 昨日、風間は嫌だと言っても連れて行くと言った。しかし、それから後は、いつ出立するのかを伝えてこない。恐らく、新選組の事を忘れられない千鶴の迷いが理由の一つに入っているのだろう。それについては夜中にこれからの自分の気持ちを伝えたつもりではあったのだが、風間はただ柔らかい笑みをくれただけだった。


「私の決心がまだ揺れているのを分かっているのかな?」


 三が日が終われば、体調を崩した患者たちが千鶴を頼ってここに訪れるだろう。その者たちを放ってまで西の里には行きたくはない。できれば、風間から少しだけでも時間をもらい、患者たち一人一人にここを出る説明をしてから西の里に赴きたいというのが千鶴の一番の願いでもあった。


「今すぐに行けない事は、ちゃんと伝えなきゃね」


 先程までは他愛もない事で素直な気持ちを隠して言い合いをしていた自分が情けなく思う。


 どうして素直になれないのだろうかと、千鶴は一人悩んだが、最終的な答えはいつも、


「風間さんが素直じゃないからよ」


 と、捻くれたものになってしまっていた。しかし、大事な事をずるずると引き摺るわけにはいかない。もう少しここにいる事で風間が千鶴に価値がないと思うのならば、きっと一人で西の里へ戻ってしまうだろう。風間は西の鬼の頭領として正しいと思った方向に進む男だ。いくら千鶴の事を愛してくれているとしても、決意が固まらない女をいつまでも待つような無駄な時間を潰す男ではない。


「その時、私はどうすればいいの……?」


 両目に熱いものが溢れ出す。それを堰き止める為に唇を噛み締めた。


 蝦夷から戻った千鶴の脳裏には風間の姿がいつもあった。そして昨日再会した時、千鶴は本当に嬉しかったのだ。その嬉しさが今は萎んでしまっている。しかし、沈んだ心を奮い立たせるように頭を左右に激しく振った。


「ちゃんと言わなきゃ。それで風間さんがどう決断しようと仕方がない」


 千鶴はその場から立ち上がると、背筋を伸ばして風間のいる茶の間へと歩いて行った。






 風間は茶の間で一人、手酌をしながら酒を呑んだ後、仰向けに寝転がって、低い天井を睨み付けていた。


 神社までの道中、千鶴が真面目な表情を浮かばせて黙ってしまった時間があった。何かに迷いがあるような、そんな表情であった。しかし、それの理由を風間は聞かず、千鶴も何も言ってはこなかった。


「昨日、俺は無理やりにでも西の里に連れて行くと言った。しかし……」


 千鶴が西へ行くという決意の言葉は一度も聞いてはいない。


「やはり、新選組と患者の事か……それとも、住み慣れた江戸から離れたくないのだろうか」


 千鶴が行くと言えば勿論、即刻ここから出立をするつもりだ。しかし、行かないと言えばどうする? と風間は自分に問い掛けた。しかし、嫌でも連れて行くと宣言をした風間の心中は決まっていた。どちらの返答になろうとも千鶴を連れて行くつもりであった。そう――昨日の買い物の前までは――。


 今、風間の決心は生まれて初めての揺れを見せていた。


 嫌がる千鶴を無理やり連れて行き、果たしてお互いが幸せな時を過ごせるのか? 千鶴に想いを寄せるまでの風間にはなかった感情が、今になって様々な形を成して次々と現れてくる。


「千鶴は俺に振り回されると言ってはいたが、どうやら俺が振り回されているようだ」


 今まで味わった事のない経験がまるで楽しいかのように笑みまで浮かべてしまう。


「この俺を振り回し、楽しませるとは……何とも飽きのこない女よ」


 やっと手中に納められる手前まできているのだ。その千鶴をもう手放す事は無理だ。風間は天井に手を振り翳すと、腕を真っ直ぐに伸ばしきったところで強く拳を作り上げた。


「どうしたら、あいつの全てが俺のものになる……?」


 風間が自分の心に問い掛ける。しかし、その答えは返ってはこない。


「つまりは、自分で考え、答えを見つけ出せという事か……」


 風間は振り翳した手を下しながら苦笑を洩らしていた。その時、今まで自室にいた千鶴の動く気配を感じた風間は、下した手を頭の下に敷きゆっくりと瞼を閉ざした。


 千鶴はきっとこう言うだろう。


 共に西には行けないと――


 そのような言葉は聞きたくない。千鶴の本音は寝た振りをして聞こう。昨日も風間が寝ている振りをしている時に千鶴が本音の言葉を紡いでいたのを思い出したのだ。


「まずは千鶴の気持ちを確かめねばな……」


 気持ちを聞いた上で、これからの事をゆっくりと考えていけばいい。


「無駄な時間も悪くないものだな」


 風間はそう言うと、千鶴を騙す為の嘘の寝息を立て始める。瞼が隙間なくしっかりと閉じられて、目の前が暗闇に包まれた時、襖を開け、静かに茶の間へ入って来る千鶴の気配を近くに感じ始めていた。






「また寝ちゃってる。ちょっと待って……もしかして嘘寝?」


 茶の間へ入った千鶴は風間の寝顔を見ると、溜め息を吐きながら呟き、昨日の風間の嘘寝を思い出し、風間の頭を軽く小突いてみた。そして顔を覗き込むと、どうやら本当に眠っているようだ。安堵と迷いの混じった溜め息を吐きながら、眠っている風間の傍に腰を下ろした。


 まさか、また狸寝入りをしているとは思ってもいない千鶴は、風間の黄金の髪に指を静かに差し入れる。その髪の毛は柔らかくサラサラしていて、撫でる毎に千鶴の指は心地好さを感じ始めていた。


「風間さん……」


 囁きかけるような静かな声音で、眠っている風間に呼びかける。


 返事はない。それを確認した千鶴は、自分の心の中の言葉を練習するかのように、目を閉じている風間に向けて、聞こえるか聞こえないかの声音を吐き出し始めた。


「私、決めましたよ。風間さんと一緒に西の里に行きます。ただ、あと少しだけ時間を頂きたいんです。私には病を治してあげたい患者さんもいます。でも長期間の治療が必要な患者さんもいますから、その方たちにはしっかりと説明をして、他の診療所に紹介して、全てが落ち着いてから……」


 千鶴が一度、言葉を紡ぐのを止め、背後で深呼吸をしているのを風間は感じた。


「……全てが落ち着いたら、私を西の里へ連れて行ってくれますか?」


 新選組の事は別として、今の千鶴が患者の事で決意が揺らいでいるのは風間にもよく理解できていた。だから、断るのであれば、それを理由として言ってくるだろうという事も想定内であった。しかし、西の里に連れて行って欲しいと千鶴の口から出る事はまずないと考えていた風間は、眠った振りをしながら驚く。


 千鶴が自ずから西の里へ行きたいと言ったのは夢か将又現か――


 それ程までに、風間にとっては現実味のない言葉に聞こえたのだが、それはすぐに現であると確信ができた。何故なら、


「私、風間さんと一緒に西へ行きたいです。だから、連れて行ってくれますか?」


 と、二度も同じ言葉を千鶴が繰り返した為であった。


 欲しいと思っている女の口から、最上級の嬉言葉をもらった瞬間、風間の上体が自然と起き上がり、自分の目の前で瞠目している千鶴を見つめた。


「風間さん、起きていたんですか?」


 驚いている千鶴の顔は濃い朱に染まっている。


「俺にとって興のある話をしていたみたいだな? しかし寝ぼけていたせいか……詳しい内容までは聞こえなんだ。従って千鶴、今再び先程と同じ言葉を申せ」
「ええっ? どうせ起きていたんでしょう? だから言いません」


 千鶴の濃い朱に染まった頬が、今度は茹でたばかりの蛸のような真っ赤に染まる。


「寝たふりをしていて、私の話を盗み聞きまでして狡いです。絶対に二度も言いませんからね」


 千鶴が頬を膨らませて風間から目を逸らす。いつもならば、ここで反逆の言葉を放つのだが、風間にとって今の千鶴の態度が心地好くさえ感じる。


 それは、これからも千鶴が自分から離れないと、傍にいると確信できたから――。


 風間は目の前の千鶴を自分の胸の中へいきなり引き寄せると、強く抱き締めた。


「千鶴、もう一度言え……」
「嫌です……」
「言うのだ……」


 胸の中の千鶴が大きな溜め息を吐き出しているのを感じる。


「もう……あんな恥ずかしい事、言えるわけないでしょう」


 風間はそんな千鶴を更に強く抱き締めた。そして唐突な問い掛けを放つ。


「千鶴、お前は桜が好きだったな?」
「ええ、好きですよ。桜の花は新選組の皆さんを思い出します」
「またそれか……」


 何故だろう? 今まで千鶴の口から新選組の名が出る度に苛立ちを感じていたのが今はない。それはきっと、千鶴のこれから共に生きていく相手が自分に定まったからだと風間は納得した。しかし、風間の中に千鶴をからかう衝動が起こる。


「まあ良い。しかし、もう一度確認をしておかねば、お前の願いが叶えられんかもしれんぞ」
「えっ、私の願いって……」
「西の桜を見たいとは思わんか?」
「見てみたいです……」
「お前が先程の言葉を素直に言えば、西の桜を見せてやる。しかし、言わないのであれば、その桜をお前は一生見れまい」


 西の里の桜を見る事ができない――即ち、素直に風間と共に西の里へ行きたいと言わないのならば、西の里へは連れて行かないという意味なのだ。


 言わなければ風間は一人で西の里に帰ってしまい、自分はまた一人ぼっちになってしまう。千鶴の心の中に不安が大きく膨らみ始めた。


「さあ、千鶴。西の里へ行きたいのならば……」


 風間の指が千鶴の唇の輪郭を優しくなぞる。その指に誘われるかのように、唇が自然と隙間を作り始める。艶のある男は、指先にまでその魅力があるのだろうかと千鶴は感じた。


「言うがいい……」
「私を……」
「私を、何だ……?」


 唇をずっとなぞり続ける風間の魅力に引き込まれている。千鶴は悔しそうな表情を風間に見せながら、静かに唇を揺らした。


「西の里に連れて行って下さい……」
「そうか、そんなにも俺の傍にいたいのか。そうならそうと素直に言え」
「風間さんが強制してきたんじゃないですか。だから、言いたくなかったんですよ」


 そう言いながらも、少しだけ素直な気持ちを吐き出した千鶴は、既に歯止めが効かなくなってしまっている。抑えきれない思いが喉の辺りまで這い上がってきている。それを見透かすように、


「他に何か言う事があるようだな? 言え。聞いてやる」


 次に風間の指は千鶴の唇を軽く突いてきた。何となくからかわれているのではないだろうかと思い始めた千鶴が頬を膨らます。


「もう……風間さんは狡いです」
「狡いだと? そのような分かり切った事を今更言ってどうする?」
「や、やっぱりからかってたんですね? 風間さんは意地悪です」
「褒め言葉として受け取ろう」
「今のは褒め言葉じゃありません!」
「今のお前の悪態が、俺の内耳には褒め言葉として流れ込んでくるのだ。しかし、俺がお前から聞きたい言葉はそれではない」


 風間が千鶴に何を言わそうとしているのかくらい分かっている。自分は素直でないのに千鶴には素直になれと言い続けている男だ。


 風間が欲しいのは、恐らく千鶴の口から紡がれて欲しい【愛してる】の言葉だ。しかし、その言葉は軽々しく口にするものではないと思い、今は絶対に言わないと千鶴は心に決めていた。だから、その言葉よりも少し重みを感じさせない言葉を選ぶ。


「風間さんなんて性格悪くて勝手で、いつも上から目線と口調で……でも、でも……」


 千鶴が風間の唇に自分のそれを押し付ける。しかし、それはすぐに離れた。


「でも、大好きです……」
「大好き、か……。俺の欲しい言葉ではないな」
「今の風間さんにはこの言葉で十分です」


 本当ならば【愛してる】の言葉が欲しい風間であったが、その不満は千鶴から与えられた口付けで帳消しとなった。


「好きの前に大がついたからな。まあ、許してやろう。しかし、恐らく西の里に着く頃には、その言葉では物足りなくなるだろうな」


 次は強いだけではない。ピリピリとした痛みを感じる程の力で風間は千鶴を抱き締めてきた。その耳元で千鶴は囁く。


「風間さんと一緒に西へ行きます。いつがいいですか?」


 強い抱き締めの行為を行った後、風間は千鶴を少しだけ自由にさせると顎に手を添えた。


 風間の顔には満足気な笑みが浮かび上がっている。


「お前は桜が好きだと言ったな。西の里の桜もまたこちらとは違う美しさがある。ただ、俺の里は暖かいのでな。桜の開花は少し早い。だから、その桜が満開を見せる頃にお前を西の里に連れて行きたい」
「私、西の里の桜を見たいです。見せてくれますか?」
「ああ、勿論西の里へ連れて行ってやるし、美しい桜の花も見せてやる。鬼は約束を守ると言ったろう? そうだな……ここを出立するのは梅が咲き始める如月頃にしよう。俺はお前とのんびりと旅をしたいのだ。西の里の桜の開花に合わせて帰れるようにすればいい。それまでにお前のすべき事をなせ。その間、俺はここに留まってやる」
「風間さんがいない間、西の里は大丈夫なのですか?」


 千鶴のその言葉で、天霧の不機嫌な顔を思い浮かべた風間。しかし、千鶴を連れて帰れるのだ。天霧も文句は言うまい。そう考えた風間は、


「大丈夫だ……そのような事は心配せずともいい。お前は俺だけを見ていれば良いのだ」


 抱き合った二人の顔がゆっくりと距離を狭める。


「お前の心は決まったと解釈していいのだな?」



 風間の確認の言葉に千鶴は小さく頷く。その後の風間は、蝦夷と昨日までの唐突なものではなく、千鶴の意思を確認した口付けを施していた――。


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