西国街道-古市宿→徳山宿→福川宿→富海宿→宮市宿→小郡宿→山中宿→船木宿→厚狭宿
翌日、いつもよりゆっくりと目覚めた二人は、旅籠の女将の勧めで【春雨桜】を見てから出立する事になった。
この【春雨桜】は、幕末の藩主毛利敬親が文久元年、萩を出立して江戸に向かう途中の福川で病にかかり、花岡宿で静養をした時にこの桜が心を慰めたと言われている。春雨は敬親の雅号で、敬親遺愛の桜である為にこう呼ばれているのだ。
この木の下で満開の桜を見つめる二人の上からは、ちらりちらりと可憐な花弁が舞い降りて来る。
「綺麗ですね…… 敬親公が心を慰められたというのが分かる気がします」
千鶴が舞い降りて来る花弁の一枚を手の中に納め、その掌を上に翳すと、優しい風がそれを空に向かって吹き飛ばした。
「さて、そろそろ行くか……」
「そうですね……」
春雨桜が見送る中、二人は遠石宿へと向かって行った。
二人が小川を渡った先の右手に【法静寺】があり、その境内左手に【花岡福徳稲荷大明神】がある。十一月には狐の嫁入り行列で有名な稲穂祭が行われ、賑わうそうだ。享保九年、時の住職が遠石浦の白狐夫婦の死をねんごろに葬ったのを感謝して、火難、盗難を避け出世の功徳を授けるという。文政年間に、代官所で紛失した書類が、この稲荷に祈願するとたちまち出てきたそうで代官が喜んで神殿を建てて厚く尊崇したとの逸話も残っているらしい。
「狐って油揚げを好むんですよね?」
千鶴は狐に関する質問を始め、それを聞いた風間がくくくっと小さな笑いを零した。
「確かに、油揚げを好むと言う話は有名だが、狐は霊獣として古くから伝えられている。【二本霊異記】には、狐の話が記されているしな」
「どのような話なんですか?」
「美濃大野郡の男が広野で一人の美女に出会い、結ばれて子をなすが、女はキツネの化けた姿で、犬に正体を悟られて野に帰ってしまう。しかし男はキツネに、【なんじ我を忘れたか、子までなせし仲ではないか、来つ寝(来て寝よ)】と言ったそうだ。狐は人間との婚姻譚において語られる事が多かったようだ」
千鶴は大人しく風間の話を聞いていたが、何故稲荷の神の使いとして崇められているのかが不思議で再びそれについて質問をしてみると、風間は丁寧に教えてくれた。
「狐が神秘的能力を持つのは、稲荷の神の使いとして親しまれてきた狐が、元来は農耕神として信仰され、豊穣や富の象徴であったからだ。狐婚姻の類話には、正体を知られて別れた狐の女が、農繁期に帰ってきて田仕事で夫を助けると、稲がよく実るようになったという話がある。また江戸では、大晦日の夜、関八州の狐が集い、無数の狐火が飛んだというが、里人はその動きで豊作の吉凶を占ったと伝えられているらしい。【狐の嫁入り】があるだろう? あのにわか雨も降雨を司る農業神の性質によるものだろうな」
しかし、風間の最後はいつも通りで、
「言い伝えだからな……」
で終わってしまった。
そして、次は【狐が狡猾者】で伝わる話を延々と語り続けられ、風間の狐の演説は【早乙女坂】と呼ばれる下り坂まで続いていた。
この早乙女坂は、江戸の頃、日頃往還道を通る若い飛脚が地元女性の評判になり、丁度田植時にここを通りかかった飛脚を早乙女たちがとり囲んだところ、突然懐の短刀を抜いて斬りつけたことから名付けられたという。
「普通の男なら早乙女に取り囲まれて悪い気はしないであろう。無粋な男だ」
「千景さんも早乙女に囲まれたら悪い気はしないんですか?」
千鶴がプッと膨れながら風間に問い掛けると、千鶴を見下すような笑み顔をみせた。
「ない…… と言うよりもそのような状況には慣れておるからな。先日の会合でもよく分かったであろう?」
会合の言葉を出した風間の表情が苦笑染みたものに変わり、それに気付いた千鶴がどうしたのかと聞いてみると、風間はこの辺りに伝わる狐の伝説をもう一つ教えてやろうと言い出した。
それは、【おさん狐】と言われる狐で、美女に化けて妻帯者や恋人のいる男へ言い寄ってくる狐の妖怪の事らしい。おさん狐は痴話喧嘩を好み、嫉妬深い一面があるそうだ。恋路を邪魔する女や浮気相手の女に対し、蔑称として女狐と呼ぶ場合があるが、このような呼称はこの妖怪が起源だとされているらしい。
そして、風間は千鶴に意味不明な一言を放った。
「千鶴…… この先の道中は美しい女に気を付けるのだぞ」
「気を付けないといけないのは男である千景さんじゃないんですか?」
風間が美しい女に気を付けるべきなのに、何故か女である千鶴に気を付けるよう何度も繰り返してくる。
「女を好む女狐もおると言う事を忘れるな」
何それ?
訳が分からない――
千鶴は鈍い頭を必死に掻き混ぜながら理解しようとするが、結局、その意味が分かる事はなく闇の中に葬られてしまっていた。
狐の長かったが面白い話も尽きたらしく、二人は暫くの間無言で徳山宿へと歩いて行った。
徳山宿の茶屋で休憩をしたが、痩せると宣言していた千鶴の目の前には美味しそうな団子が数本皿に乗せられてやって来た。
「千景さんっ!」
それを見た千鶴が目を吊り上げながら風間を睨む。しかし、風間はその団子をからかうつもりでの道具にしたわけではなさそうで、至って真面目な表情を作り上げながら団子の一本を手に取った。
「いいから食え。我慢して機嫌が悪くなればこちらに面倒が掛かるではないか」
そして、千鶴の口元に団子の刺さった串を差し出し、凄みのある声で一言。
「食え……」
脅しにしか聞こえないその言葉を何度も繰り返し聞きながら、千鶴の口の中に幾つもの団子が押し込まれていった。
茶屋を出る時には、今朝から甘味物を我慢する為にきつく締められた千鶴の帯は少しだけ弛められていた――。
二人はそのまま歩き続け富田宿の町並みを通り過ぎて行く。
この辺りは長州藩の管轄区域であったが、この長州―― かなりの教育熱心だそうだ。それを象徴するかのように、徳山宿からその教育者の名のある墓や石碑が多い。
「長州って言えば不知火さんですよね? あの方も勉学が得意なんですか?」
「あやつは頭は良いのだが、あの通り鬼の規律をあまり守らない男でな。しかし、あのような無鉄砲さは嫌いではない」
「千景さんの口から初めて、不知火さんへの褒め言葉を聞いたような気がします」
千鶴が頬を膨らませながら風間を睨むと、彼は可笑しそうに笑みながら千鶴に問い掛けた。
「お前は男にまで嫉妬をするのか? これでは男女限らず、誰にも声を掛ける事ができんな」
「し、嫉妬なんかしてません! 私なんて…… あまり褒めてもらったような事がないなって思っただけです」
次に千鶴の項垂れる姿を見た風間は、コロコロと変化するその態度が面白くて仕方がない。
「仕方あるまい……。今のところ褒めるところが見当たらんだけだ。ただ、一つだけ褒めてやっても良いところがあるぞ」
その言葉を放った瞬間、先程から頬を膨らませていたり項垂れていたりしていた千鶴の顔がパッと輝きを放った。
全くもって面白い――
鬼は感情表現が乏しい生き物だが、人間の世界で生きて来た千鶴はその表情が豊かである。それが風間の瞳に新鮮に映し出させた。
「私の褒めるところって何なんですか? 早く言って下さい」
余程褒めてもらいたいのか―― 風間の目の前の可愛らしい子犬が大きな蜜色の瞳を輝かせている。
「それはだな……」
風間の言葉が千鶴の内耳に流れ落ちる。
風間が千鶴の耳元から顔を離した後――
ニヤリと笑む風間の目の前で、千鶴の首元から徐々に上へと赤さが進行していき、
「それって褒めてるんじゃなくって、ただ千景さんが好きなところじゃないですかぁぁぁっ!」
と、千鶴の叫び声が遠く先の方まで響き渡っていた――。
「俺は良いところを褒めてやっただけではないか、何故怒るのだ?」
温田峠を歩いている中でも風間のからかいが続き、千鶴は朱顔させながら怒りを露にして先を歩いている。
「千景さんは酷いです! 私のいい所はあの時の鳴き声だけなんですか!?」
「あの鳴き声は褒めるに値すると思うが……?」
前を歩いていた千鶴が立ち止まって振り返ると、風間もその動きに合わせるように歩みを止めた。
「もうっ、からかわないで下さい! 全然褒められている感じがしません!」
「からかってはおらんが……」
風間の緋色の瞳を食い入るように見つめて何を考えているのかを探り出そうとするが、そんな千鶴にいきなり顔を近付けて口付けをする風間に探り出す事を阻まれてしまう。
「もうっ!」
千鶴の過敏な反応を楽しむ風間と、いきなりの口付け攻撃によって怒る事しか出来なくなった千鶴はその峠を登って行った。
温田峠を登り詰めた所に萩御茶水茶屋所があり、怒り狂っていた千鶴がいきなり足を止める。
「休憩でもしていくか?」
風間が親指で差す方向には、【団子・饅頭】と書かれてある。
「私…… 団子や饅頭は食べませんからね。お茶だけで十分ですから…… ただ、峠を歩いた足を休めたいだけですからね」
「無理に食えとは言っておらん」
しかし、茶屋を出る時の千鶴の帯は先程よりも更に弛められていた――。
そんな二人は福川宿を通り過ぎ、赤坂峠の長い道のりをてくてく歩き続け、峠を下りた場所で昼休憩をした。
「……」
「痩せるのは諦めろ」
風間がくっくっと笑いを零しながら見つめる先には――
三段の重箱に隙間なく詰められたご馳走を見ながら固まっている千鶴の姿があった。
結局痩せるのを諦めて三段の重箱の半分以上を食べてしまった千鶴と、食事の間ずっと押し殺した笑いを続けていた風間は歩き始め、【椿峠】へ進んで行った。
この【椿峠】は左右が山に囲まれた厳しい峠である。どの峠もそうであったが、体力を消耗しないように二人は無言のまま越えて行った。
「わあっ、海が見えます!」
峠の下り坂で、千鶴が夕日に照らされて輝く海を見て、嬉しそうにはしゃいでいる。
「この先は富海宿だ。今日はそこに泊まる」
「はいっ!」
峠の坂を下りた二人は富海宿へと入り、今夜泊まる旅籠へと向かって行った。
この富海宿では海の幸料理が千鶴を誘惑する。それに負けてしまった千鶴の腹の虫が呻きを上げるほどの豪勢な幸料理であった。
「く、苦しぃ〜!」
風呂に入ったら少しは楽になるかと思ったのだが、一向に楽にはならず、布団の上で仰向けに寝転がっていると、風間がいきなり千鶴の上に乗り掛かってきた。
「駄目っ!」
千鶴の手が風間の顎を押して自分から距離を持たせようとする。
「苦しいのだろう? 腹を空かさせてやるだけだ」
顎を押されている風間は、不愉快そうに千鶴を睨み付けた。
「お、お腹を空かせるって…… どうするんですか?」
「どうする? 決まっておるだろう」
顎に添えられていた千鶴の手を布団の上に縫い付けるように押さえ付けると、唇を軽く押し付け、そのまま強く深い口付けを始めていく。
「んふっ……!」
久し振りに重ね合わせられる身体が欲を膨らませていく。
部屋の中を橙色の小さな炎がぼんやりとした灯りを作り、その妖しい灯の中で二人の荒い息遣いだけが繰り返されていた――。
翌朝、しっかりと手を握り合った二人は宮市宿へと向かって歩いて行った。
歩いている二人の目の前には遠くに水平線が広がる富海の海が映る。春の穏やかな季節、柔らかい光りを浴びてきらきらと輝いていた。
「綺麗ですねぇ……」
千鶴は少し眩しいのか、額に掌を翳して海を見つめていた。海の近くの山々では満開の桜が淡い化粧を施していた。
【橘坂】という風情ある坂道を歩いて行くと、左手に【手懸岩】と呼ばれる大きな岩があった。この岩は、撫でて通ると足が軽くなると言われているらしく、勿論、千鶴はその岩を念入りに撫で上げていた。
「どうか…… どうか、足が軽くなって早く歩けますように……」
ぼそぼそと念仏を唱えるように呟きながら撫で続ける千鶴を見ていた風間は大きな溜め息を吐き、苦味のある笑みを浮かばせていた。
「足が軽くなろうとも、身体が重くては意味がないのだが……」
そんな二人は長い道のりをせっせと歩き続け、【浮野峠】の入り口の木陰の所で昼休憩をする事になった。
今日の重箱は二段になっており、千鶴と風間の分に分かれている。
「俺はこんなにも食わん。お前が食べろ」
「えっ、いいんですか?」
痩せる事を諦めた千鶴は、風間の残した半分を嬉しそうにぺろりと平らげてしまった。そして峠を過ぎ、美しい竹林の中を歩き続ける。春の風が竹をしなやかに軋らせる。さらさらと葉の擦れ合う音を聞きながら、二人は先を歩いて行った。
この辺りは毛利家の領地でもある。毛利家は大江広元を始祖とし、その子季光の代に相模国毛利荘を領したことから毛利氏を名乗ったとある。毛利家は、全盛期は山陰山陽に及ぶ広大な領地を有していたが、関が原の戦い以後、長門、周防二か国に削減された。
「関ヶ原の戦で西の武士は領土を減らされたんですね」
「負け戦の代償だから仕方あるまい。悔しかっただろうがな……」
静かな町並みを歩きながら、二人は宮市宿へと入って行った。
宮市宿を歩いていると【松崎天満宮(防府八幡宮)】と呼ばれる宮を目にする。
この宮は菅原道真が大宰府に左遷される途中、国司土師信貞が同族だったので船をつけて防府に立ち寄り、「身は筑紫にてはつるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」と誓ったそうだ。延喜三年二月二十五日、菅原道真が亡くなったその日、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引いた為、菅公の異変を知り、翌延喜四年、国司土師信貞がこの酒垂山の地に社殿を建立して松崎の社と号したという。
「ここも藤原道真のゆかりの宮なんですね」
段を登りつめた所に立派な社殿がある。朱塗りの社殿がとても豪奢であった。
「さて、先を歩くか」
休憩以外は手を離さない風間の手を握り返した千鶴はふんわりと春のような笑みを返しており、その笑みに風間も滅多に見せない柔らかな微笑を浮かばせていた。
宮市宿を出た二人は、小郡宿へ向かって歩いて行き、大崎の渡し(佐波川)を超えて歩き続けて行った。
ここ辺りは焼き物も有名であり、萩焼もあるのだが、佐野焼は古い歴史を持つそうだ。
仲哀天皇・神功皇后が西征の折参拝され、今の佐野焼の始祖といわれる沢田の長に三足の土鼎(どてい)(鍋)とひらか(央の下に皿という字)を作らせ、米を炊いて捧げるとともに軍の吉凶を占らったらしい。この占いが占手神事(うらてのしんじ)として伝えられている。
素焼きで素朴な焼き物を見た千鶴は、備前焼とはまた違う味のその焼き物に目を奪われていた。
「千景さん…… 買っていいですか?」
「荷物が多くなるぞ」
「ええ、いいんです。買います」
千鶴は湯呑の茶碗を二組買い揃え、備前焼も佐野焼もしっかりと固定して包んだ。
二人は、そのまま西へ進み続け、【佐野峠】へと入って行った。
左右を山に囲まれ、狭い山道を登り続けて行く。暫く登って行くと木の間から海が見えたが、それは周防灘だという事だった。
「千景さん、少し休憩しませんか?」
千鶴が息を切らしながら訴えると、風間は少し緊張させるような低い声を千鶴に掛けた。
「前は蝮や猪が出ると言ったが……」
「つ、次は何が出るんですか?」
千鶴がゴクリと唾を飲み込んで身体を強張らせる。
「この場所はな…… 熊が出るのだ。もう冬眠から覚めている頃だから気が荒い」
「ええっ!」
その先からは千鶴が風間手を引っ張ようにして歩いて峠を越えて行き、小郡宿へと入って行った。
宮市宿を歩くのに時間を費やした二人は、小郡宿へ入ったのが日も暮れる頃であった為、今夜はこの宿場に泊まる事となった。
その日の夜に、不知火から書状が届いた。その内容を読むにつれて風間の表情が険しいものとなっていた。
「どうしたんですか?」
千鶴が心配そうに風間の顔を覗き込むと、風間は書簡を千鶴の方に差し出してきた。
「読んでいいんですか?」
「ああ、これからお前も狙われるやもしれんからな。よく読んでおけ」
不知火の手紙の内容を読んでいくと、不知火と縁のあった高杉晋作の妻であったまさの行方が分からなくなったと言う。誰が連れ去ったのかは分かっているらしい。
それは、【日向の鬼姫】と呼ばれる女鬼だそうだ。
不知火の書状には、
訳分かんねぇ!
というような感じで書かれていたのだが、風間には何となく思い当たる節があった。そして千鶴を抱き寄せると、静かに話を始める。
「日向の鬼姫の狙いは恐らく不知火だろう。そして、お前も狙われている。先日にお前を会合に連れて行った時に不知火と話しているのを見ていたはずだ。あの鬼姫は、不知火と仲良くしている女鬼や人間の女ばかりを集めているのだ。全く…… それをする理由が分からん……」
風間たちは何度も日向に赴き、鬼姫に連れ去られた女鬼や人間の女達を連れ戻しに行ったそうなのだが、彼女のその行動は現在に至っても直る事がないそうなのだ。
「鬼姫は不知火さんの事が好きなんですか?」
「恐らくそうであろうな。しかし一人で飛び回っているのを好む不知火の事だ。簡単に振り向かせられる男ではないからな。鬼姫もこのような奇抜な事をして気を向かせたいのであろう」
不知火の最後の文には、下関で落ち合おうと書いてあり、風間はややこしくなってきたと嘆息を吐き出していた。
翌朝、小郡宿を出立した二人は山中宿へと向かって歩いて行った。
穏やかな田園風景の中を歩き続けていたが次第に緩やかな上り坂となり、【荒神(だお)峠】を登って行く。峠を越えた後、そのまま歩き続け、山中宿へ向かう山裾の道を歩いて行った。
ここの道はかなり険しい為、途中で昼休憩をする二人は、旅籠の主が持たせてくれた弁当を広げた。
「お前はいつも美味そうに食うな」
「いけませんか? 作ってくれた方に感謝して美味しく食べないと失礼ですよ」
そう言いながら重箱の中の料理を夢中で口の中に放り込んでいく千鶴を愛しそうに見つめる風間がいた――。
この辺りも熊の出没が多いらしく、風間と千鶴は急いで歩き続ける。時々、横から草が揺れる音が鳴り、その度に千鶴は風間の腕にしがみ付いていた。
「このように弱さを見せる女であれば、可愛らしいのだが…… あとは言葉に出せればもっといいのだがな」
「この旅の中で何度も弱い所を見せているような気がしますけど……」
「弱い所を見せるだけではなく、言葉に出せと言っておるのだ、言葉をな」
風間が話している途中で、再び草むらが大きな音を立てて揺れ始めた為、千鶴は風間の手を強く握り締めながら震える声で質問をする。
「な、何を言うんですか?」
「ふん、分からんのならもういい」
弱いところを見せる言葉はただ一つ――
助けて欲しいの言葉が欲しいのだが、その言葉さえも思い浮かばない千鶴に腹が立つ風間であった。
そんな二人は【殿様道(どんだけ道)】と呼ばれる長い長い峠道を越えて歩いて行った。
どんだけの道を歩いたのだろうか? と思うくらい長い長い道のりを歩いて行くと、【吉見峠】に入っていった。ここはほぼ下り坂になっており、そのまま【船木峠】に突入して行ったが、そこからはずっと下り坂が続いていた。
「峠なのに何で下り坂ばかりなんですか?」
「俺もここの峠がどうなっているのかは全く訳が分からん」
そして二人はそのまま歩き続けて、二階の壁には漆喰を使用した家が立ち並ぶ、統一感のある船木宿の町並みを通り過ぎ、西見峠を超えて歩き続けた二人はようやく厚狭宿へと入って行った。
この厚狭宿は商業の町であるが、今この辺りの宿場で中心となっているのは、先ほど通り過ぎた船木宿であるらしい。
日が傾き始めていた為、今日の歩きはここまでだと風間は千鶴に伝えると、今夜泊まる旅籠へと向かって行った。
夕餉を食べ、風呂にも入った二人は早々と寝る用意を始める。
下関まであと少しである。この後、日向の鬼姫が何を仕出かしてくるかは分からないが、風間は至って冷静そのものだった。
「その鬼姫って方は怖くないんですか?」
千鶴の言葉を聞いた風間は暫く考え込み、ゆっくりと話し出した。
「怖いか…… 違う意味で言えば怖いが、実質怖くはないな。連れ去った女共には危害を一切加えん」
「その方…… 何なんですか?」
「俺にも全く訳が分からん。分かるのは不知火絡みだという事だけなのだ」
この話は終いだ――
風間はそう言い放つと、千鶴の胸に顔を埋め愛撫を始める。すると千鶴の喉の奥から心地好い喘ぎ声が外に解き放たれた。
これを褒めてやったのに、何故に怒るのかが不思議だ――
この鳴き声をもっと聞き続けたい――
風間は千鶴の胸の尖りに軽く歯を当てていった――。
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