妻たちの会話を盗み聞き-sidestory-


「いやぁ、正月も近いと酒蔵の中も活気が出てるな」
「この酒蔵は、天霧の先祖が造ったのだそうだ。確か…… 天霧千岳と言ったか……」
「その通りでございます。史実によると、一晩でこの大樽の中の酒を半分以上も飲み干したらしいですが……」
 相も変らぬ無表情で答える天霧に、風間と不知火が怪訝な表情を浮かべた。
「お前は酒をあまり飲まぬが、本当は強いのか?」
「ああ、それなら俺もあまり見た事がないな…… だから天霧が酒に強いのかどうかは分からねぇ……」
 二人のその言葉を聞いた天霧が、微かに口元を緩めた。
「さて…… 私が酒に強いかどうかは二人のご想像にお任せします」
 と、何とも曖昧な言葉を言い残して酒蔵から出て行ってしまった。その背を見ていた二人は、
「恐らく……」
「とんでもなく強いんだろうな……」
 と呟いていた――。


「今年の酒もいい出来のようだな。従って、翌年の正月には美味い酒が飲めるぞ」
「あの酒蔵に忍び込んで、隠れて酒を飲んでいた頃が懐かしいぜ」
 酒蔵の中で少しだけ試飲をした二人は上機嫌で西の里内を歩き回る。
 師走とあってか里内は忙しないようだが、仕事以外には何もする事がない二人のこの時期はとても暇。不知火も自分の里内では全く役に立たないと長老たちに言われて追い出されたのだが、どこに行けばいいのやらと考えながら歩いているうちに、風間たちの住む里へとたどり着いてしまっていたのであった。
 しかし、今の不知火は一人ではなく妻を娶った為に、その女も共に連れて来ていた。
「千鶴も酷い女になったもんだよな…… 俺よりも姶羅を見て大はしゃぎしやがってさ……」
 不知火は、日向の鬼姫である姶羅(あいら)と夫婦になっていたのだが、それ以前から少し顔見知りであった千鶴と姶羅は、互いに風間と不知火の妻になっても大変仲が良かった。
 姶羅は不知火の自由奔放な性格によって、頻繁に旅は道連れにされていたのだが、千鶴はその反対で、風間によって里内―― いや、屋敷内に閉じ込められている事が多い為に、姶羅が里に訪れて来るのをいつも心待ちにしているのである。
「不知火…… お前は姶羅と夫婦になってからどれくらいになる?」
 風間のいきなりな質問にも驚かない不知火が、自分の指を数本折り始める。
「ああ? 俺と姶羅が夫婦になってからか…… そうだな、二年になるか」
「まだ、子はできんのか?」
 再びの風間のいきなりな質問に、今度の不知火は風間の顔を睨みつけた。
「できねぇんじゃなくって、姶羅が千鶴よりも自分が先に子を生む事ができねぇって言うからわざとできねぇようにしてんだよ」
 不知火はこう見えて意外に子供好きであり、本当は早くに我が子が欲しかった。しかし、愛する姶羅の願い事ならば聞いてやらないわけにはいかず、未だ子を持たずのまま。それを聞いた風間が喉奥から絞り上げるような笑み声を放ち、不知火に流し目を起こした。
「ほう…… お前の嫁は己の立場というものがよく分かっているようだ。やはり、この西の里の頭領である俺の妻である千鶴より、何もかもを先に進んではならないと、そう考えているのだな」
 風間のその言葉を聞いた不知火が眉根を潜めて答える。
「いや、別にそういう意味じゃないみたいだぜ」
 女の仲、絆というものの強さはどの時代でも理由は同じであるようで、姶羅は千鶴といつも同じにしていたいという願望があるようなのだ。つまり、千鶴が桜の簪を持っていたとしよう。それと同じものを姶羅は欲しがる――。そう、女同士にしか理解できないような、男にとっては何とも仕様もない繋がりを持ちたがるようである。しかし、それをこの目の前にいる風間に説明をしても無理な事。この男は、こうと頭の中で決めてしまえば、それを覆す事は滅多にないからである。だから不知火は、黙ったままでいる事にした。
「ああ、そうかもしれねぇな……」
 と、どうでもいいような返事をして――。
 そうして二人が風間の屋敷に足を向けて戻り、縁側の方へ行った時、その場所からは、二人にとっては愛おしく思える各々の妻の声音が聞こえてきた。
「俺たちが里内へ出かける前から話しておったのに、まだそれが継続されているのか?」
「女は喋りが大好きだからな。まっ、久しぶりの再会だしよ、会話の邪魔はしないでおこうぜ」
 風間が女の話は長いと愚痴り、それを宥める不知火ではあったが、二人の耳は既にその会話を盗み聞きしようと敏感になっている。
 それは何故か――?
 二人の妻たちの会話が、各々の夫に関する話であったからだ。
「姶羅はいいわよね…… 不知火さんが外を駆け回るのがお好きだから、いつでも一緒に出掛けられて……」
「あら、鬼の世界では千景さんみたいな男鬼が多いのよ。私は里内で大切にされている千鶴が羨ましいわ」
 この会話に二人の男は顔を見合わせた。
「おい、お前の妻は囲われたいらしいぞ」
「いや、お前の妻はそれが嫌だって言ってんだよ」
 そして風間と不知火は再び耳をそばだてた。
「千景さんって、千鶴を大切にしているし、常に心配している夫としての鏡よね」
「えっ? 私は不知火さんのような執拗でないところがいいと思うんだけど…… ほら、不知火さんって、何て言ったらいいのかしら…… 豪快……?」
「ああ、それは確かにあるかも…… 悪く言えば大ざっぱだけれどね」
「それは千景さんにもある事よ。でも千景さんはねぇ…… 執念深いし強情で強引だし、偉そうだし…… それでいて変なところで神経質なのよねぇ……」
 今の二人の妻の会話を聞いていた風間と不知火。ここで風間の表情が思い切り曇った。
「あやつめ…… 夫として不足のないこの俺に対して、何と失礼な物言いをするのだ」
「いやぁ…… 俺って、豪快よりも大ざっぱだったんだなぁ。まあ、確かにそれは否定できねぇわ」
 不知火が自分の性格について言われた事にあっさりと認めるような言葉を放った為に、風間は何故か無性に腹立ちを覚えた。
「不知火、お前は自分の妻に陰でこのような話をされていて腹が立たんのか?」
「腹が立つ? おいおい、女たちの会話ってもんはこんなもんだぜ? それに対していちいち腹立ててちゃ疲れるだけだって。こういうもんは軽く流しときゃいいんだよ」
 しかし、風間の腹立ちはそこではなかった。
「お前に対する愚痴の言葉数が少なくて、何故にこの俺のそれが倍をいくのだ?」
「あれ、腹立ってんのはそこかよ」
 つまりは自分の愚痴を数多く言われたのが腹立たしく思っている風間に、不知火が呆れた返事をする。その間にも、二人の妻の会話は続いた。
「でも、匡さんとの旅で危険な目にもたくさん遭ったのよ。だから、年中旅をするのもどうかと思うわ。それに、一年の殆どを里にはいない状態でしょ? 長老たちからも苦言を申し立てられているのも事実なの。それを受けるのは全部私なんだから、これも困りものだわ」
「何で姶羅が苦言を受けなくてはならないの? それこそ不知火さんに受けてもらえばいいのに」
 千鶴のその問いかけに姶羅が深い溜め息を吐き出した。
「だって、匡さんって自分の身に何か嫌な事が起こりそうだと感じるとすぐに逃げるのよ。そういう時だけは私は置いてけぼりなの。普段は置いて行ってくれても構わないから、そういう時だけは一緒に連れて行って欲しいわ」
 姶羅の心中の素直な言葉を今初めて聞いた不知火が項垂れる。
「ああ、そういえば、お前が一人でこの里に来た時も数回あったな。その時に千鶴によく聞かれていたではないか…… 姶羅は連れて来なかったのかと……」
「ああ、その時こそまさしく今の話の内容だな……」
 同じ夫である身分として、不知火よりも少し上に立てたような気がした風間は偉そうな態度で不知火を見下げる。風間がそういう性格であると知っていて既に慣れている不知火は、姶羅の座っている方向に両手を合わせて頭を下げていた。
 そのような各々の夫の愚痴を言い終わった二人の女が同時に空を見上げる。
「ねえ、姶羅は何故、子供を生まないの?」
 空を見上げたまま姶羅に問いかけた千鶴の言葉に、二人の男の耳が敏感に反応を起こした。
「聞けば、私よりも先に子は生めないって……」
 千鶴の再度の問いかけに、二人の男が同時に呟いた。
「己の身分をわきまえているからだ」
「女同士のしょうもない繋がりを持ちたいだけだろ」
 風間は兎も角として、不知火まで心中の愚痴を吐きたくなってしまう。何故ならば、不知火はどうしても今、子が欲しい衝動に駆られていたからである。しかし、姶羅の口からは、誰もが想像できない言葉が吐き出されていた。
「こ、これは誰にも言っていない事なのだけれど…… わ、私…… お、お産が怖くて……」
「えっ……?」
 姶羅のその言葉に、隣に座っていた千鶴が目を見開いた。
「お産が怖い……?」
「ええ…… 怖いの…… 痛いし苦しいし…… 大変なんだって…… それに女鬼はそのお産で命を落とす場合も数多あるって聞いたから……」
 お産を怖いと思っている姶羅は、風間と千鶴が暫くは夫婦二人だけの生活をすると聞いた為に、それを口実にしていたのだ。
「匡さんには悪いと思っているの…… あの人は子供が大好きで、一日でも早く欲しいと思っていらっしゃるから」
 姶羅の話を最後まで黙って聞いていた千鶴が柔らかな笑みを浮かべた。
「不知火さんって、本当に姶羅の事を大切に思っているのね」
「えっ……?」
「だって、自分の思い通りに子が欲しかったら、姶羅に無理強いさせても子を孕ませていたはずだわ。それを我慢してらっしゃるなんて、夫として最高の男の方だと思うわ。千景さんなんて、私がそろそろ子が欲しいって言っても、まだだ! なんて短い返事だけですもの」
 そして二人の女たちは顔を見合わせて意地悪く笑う。
「私たち、夫になる男を間違えたのかもしれないわね……」
「本当に、そうかもしれないわ…… でも、千鶴は千景さんのそういうところが好きで一緒になったのでしょう?」
「そうかもしれない…… 姶羅だってそうなんでしょう?」
「そうかもしれないわ……」
 こうして二人の女の会話は幕を閉じたのであった。




「おい、姶羅…… お産ってもんは怖くねぇ! お前をこの俺が死なせるわけがねぇだろ! それに痛みがある時はそれを俺が和らげてやる。そして苦しい時はずっと傍にいててやるから……」
 風間家の客間の一室に飛び込むようにして入った不知火が姶羅の小さな身体を強く抱きしめた。
「だから…… 俺との子を生んでくれ……」
 不知火がいきなりこのような言葉を投げつけてきた為、姶羅は先ほどの千鶴との会話を盗み聞きされていたのに気付いた。しかし、気づかれてもいい程に不知火は子が欲しいのだと強く感じた姶羅は、抱き締めてくれている目の前の大切な夫の背中に自分の両腕を絡ませた。
「はい…… 私、頑張ります……」




「千鶴、そろそろ子が欲しいとは思わんか?」
「え、いきなり何なんですか?」
「子が欲しくはないかと聞いている」
 風間はあの後の不知火の行動を予測していた。
 きっと、姶羅に子が欲しいと懇願をするに違いない。そして姶羅もそれを承諾するだろうと――。
 あの不知火には何もかもが負けられないし、不知火が子が欲しいと聞いた瞬間に、風間の中にもその想いが強く溢れ出したのだ。
 だから風間は、千鶴に子が欲しいと言わせて、さっそく子作りに励もうと考えたのである。
 風間がいきなりこのような事を言い出すには何か訳があると考えた千鶴は、先ほどの姶羅との会話を思い出していた。その中で子が欲しいやら生むやらなどの内容の会話もあった事を更に思い出すと、意地悪く笑んだ。
「でも、千景さんはまだ欲しくないんですよね?」
「ん? まあ、俺はまだいらんが、お前が欲しいと言うのならば考えてやろう」
 千鶴の反応がどうもおかしい。いつもならば、
 欲しいです!
 子供を生んでもいいんですか?
 などと、喜びの態度を見せてくるはずなのだが―― それがない上に、風間が予想していたのとは違う言葉が返されてきた。
「千景さんがいらないんでしたら、私もまだいいですよ」
「何……?」
「だって、まだ千景さんとは二人きりで過ごしたいんですもの」
「しかし、お前は最近まで子が欲しいと俺に強請っていたではないか」
 風間は心中の中では慌てるが、表面上は落ち着いた雰囲気を醸し出しながら千鶴に問いかけ続ける。
「あの箱根の時もお前は子が欲しいとこの俺に言ったはずだ」
「でも、あの時は外れてしまいましたし…… それに私、もう少しこのままでもいいかなって思ったんです」
 最後にそう言い放った千鶴の身体を布団の上に倒した風間。それをされた千鶴は心の中で呟いた。
 ほら、強引なんだから――
「お前は子が欲しいとこの俺に言ったのは忘れはしまいぞ。だから今から子を作る!」
 風間のその言葉を聞いた千鶴は、心の中で溜め息を吐き出した。
 ほら、何でも相手のせいにして自分は悪くないみたいな、偉そうで強情で、執拗なんだから――
「しかし、男女を生み分ける方法があったか……」
 できれば女がいいと目の前で何度も呟く風間に、千鶴が今度は溜め息を外に吐き出した。
 でもって、神経質なのよね――
 心の中で全てを吐き出した千鶴は、風間の背中に自分の両腕を絡ませて強く抱きしめた。
「無事で生まれてきたら、男であっても女であってもいいじゃありませんか」
 千鶴のその言葉に、風間がふと思い出したように唇を揺らした。
「お前のように双子で、男女に分かれていれば一番いいのだがな……」
「まあっ、それは一石二鳥じゃありません?」


 この盗み聞きのお蔭で、ようやく風間と千鶴の間に子ができたのだが、それは二人が夫婦になってから何年も何年も経った頃の事であった――。

 


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